クラッチの「今日の一言(つぶやき)」

スポーツ・コーチング総合研究所 オフィスKURACH 所長クラッチこと倉田伸司のつぶやきをお伝えします。

 

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当たり前という基準 

何々するのが当たり前、

何々が出来て当たり前、

遅刻しないのがあたり前、等など

よく耳にする言葉である。

でも言われている本人にとっては、何々しないのが当たり前かもしれない。

日本人は勤勉なのが当たり前、

選手は努力するのが当たり前、

人の話を聴くのが当たり前…。


それは過去の話?。

当たり目のように過程で生活の基盤となる習慣を教えていた時代が過去にはあった。

個性尊重を叫ばれて、自分の基準で生きていけばいいじゃないと叫ばれた時が流れて、

当たり前の基準が明確にされていない時代で生きていく基準は亡くなった?。

極端に言えば、何でもありと言わざるを得ない時が流れた。

でも、過去にあった当たり目の基準をブレることなく守り続けていた人たちが存在した。

これも認められている事実である。

時間を守る。

これ当たり前。

それはなぜということを守り続けることで信頼は得れる。

守らない人に限って言うことがある。

「時間に振り回されたくない」とか

「時間を守らないといけない理由を聞かせて」とか

その時に私は答える。

「あっ、そうですか?」と

ずっと時間を守り、大切に生きる人と守らない人との差が後々現れてくる。

それは信頼という差が出てくることを知っているからであり、

守らない人が思い知る世の中の冷たさが待ち構えていることを自覚している。

ただ、ひたすら「時間を守れ!」という当たり前の基準を理不尽と言われても言い続ければ良い。

守らない人に説明責任はない。

ただ、これだけは教える必要性はある。

8時30分(学校により異なる)に学校は始まります。

それが基準である。

だから、8時30分前に投稿するのが当たり前ということは教える必要はある。

何ぜ、8時30分に設定しているかの説明は必要じゃない。

後々に知ればいい、大勢の人が世の仮中で生活する時の基準が必要であることを生きていけばわかることである。


でも、基準があやふやになって来ている時代には世の中の基準を誰かが教える必要がある。

それは学校じゃない。

家庭である。

それを今、気づくことである。

だって、8時30分に来させるのが学校の仕事ではなく、

8時30分に間に合うように送り出すのが家庭の仕事なんだから、これ社会の基準である。

「何故、遅刻するの?」と問いかけた時に

本人が勝手な理由づけをすして正当化する遅刻の理由に対して、指導する側の聞く姿勢を問いただされた時代がある。

それを一つひとつ聞く必要性はあるのかとずっと思っていた。

遅刻するすべての理由を聞いて認めていたら、遅刻しない人が嫌になる。

時間を守る人は我慢強かった。

乱れた当たり目の基準を守るのが当たり前になりつつある。

時代背景がどうであれ、守るのが当たり前になったからと言って、勝ち誇ったようにガッツポーズはしない。

反面、守らない人は守らなくても当たり前という市民権を得た時には勝ち誇ったように振る舞っていた。

個の差が人間力である。

あなたはどちらを信頼して起用しますか?

聞き正す必要のないルールもあることを教えるべきである。

時間を守るという社会の共通言語を理由づけの必要じゃないことを教えるのは家庭である。

守れる当たり目の基準で接してこられる人には誠意をもって接していく、これが当たり前という基準である。


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何々するのが当たり前、何々が出来て当たり前、遅刻しないのがあたり前、等などよく耳にする言葉である。でも言われている本人にとっては、何々しないのが当たり前かもしれない。日本人は勤勉なのが当たり前、選手は努力するのが当たり前、人の話を聴くのが当たり前…。そ...

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2012/06/23 01:49

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