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クラッチの「今日の一言(つぶやき)」

スポーツ・コーチング総合研究所 オフィスKURACH 所長クラッチこと倉田伸司のつぶやきをお伝えします。

 

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【ある日のコーチング・カレンダー178】《基準の定義》  

【ある日のコーチング・カレンダー178】《基準の定義》 

普通の基準って?

 普通の定義ってなんだろうと悩む時がある。『普通の子が日本一に』佐藤久夫氏は凄いことである。普通の子が努力しだいですごい事ができるとは、現宮城明成(元仙台高校)バスケットボール部佐藤久夫氏がそのことを強く言いたかたんだろう。ところが一般の教育界では普通の子の基準があまりにも不確定なものである。時には普通の子が犯罪に近いことを犯している。世間一般に言う普通の子がとんでもない事を犯す新聞記事は尽きない。そして、社会問題になっている。最近、普通の基準って何なのだろうか?と悩んでしまう。
 自分の子どもが小学生の頃(数年前)、学期ごとに通知表を貰ってくる。
 ・よく頑張った。
 ・頑張った。
 ・普通
この3つのどれかに丸印がしてある。もって帰ってきた時に唖然である。「普通以下はないのか」と怒りを覚える。教育界には普通以下が存在していては駄目なんか。それは違うだろうと常々思っている。自分も教育界で働いている人間だから、余計に感じるのである。そこそこ出来たことを普通と言うならば、そのそこそこ出来た基準を明確に伝えるべきである。通知表に3つの基準しかなく、校内暴力や学級崩壊の張本人たちも持ち帰る通知表に”普通”と表記されていたら、面白くて仕方がない。もっと悪いことやっても、「きっと普通やで」と思うに違いない。勉強面でも九九の計算が出来ぬままにいても、分数がわからなくても”普通”なのはおかしい。子ども達はその評価が「変だ」とは理解できている。なのに大人たちは出来ない、理解できない自分たちを”普通”と定義つける。「それっておかしいよ」と子どもたちは呟く。

 その子どもが思春期をむかえる。世の中の基準には普通以下があることを知る。子どもたち、ショックである。益々わからなくなる。大人になればなるほど、自分たちの周りには、普通以下が存在することをさらに強烈に知ることになる。そして、暴れる。これが今の日本社会の構図である。(誤解のないように言っておくが全てという意味ではない。)
 
ある年齢になってから、「法的に君は法律を犯していますよ」と教えても、幼い時に摺り込まれた善悪の基準が定まらないので、普通の善人の基準は、簡単には身につかない。なんでも良し良しで育てられ子どもが、思春期になってからルールやモラルを教えても大人の言うことを聞くわけがない。15歳近くの子ども達には、簡単に変えることの出来ない自我は芽生えている。普通の基準が不鮮明でかつ、崩壊している日本社会では若者たちの言い分として、今更言われても「しったことかよ」で遅すぎる。やって良いことと悪いことの判断のつく普通の子の基準を大人が確立させて、教えてほしい。高校生になってから、この基準を教えるには、現在の教育界に要求するのは、かなり難しいものがある。「普通の基準を教えるのは、家庭の躾の問題ですよ」とあえて反論しておく。国民全員のモラルの最低が普通であるわけがない。出来ない子を差別扱いしろといっているのではない。「あなたはここまでしかできていませんよ」とはっきりと自覚させる教育の基準がほしい。だから、出来ない子には、もっと工夫をさせるなり、「出来るまでやってくださいよ」と明記すべきである。それが教育である。理解できていない子とまでを普通扱いすることは後々良くない。普通の基準のないファジーな国(日本)では若者は育たない。
 
何故、普通の基準なのか?もっと夢の源を提供して、春らしいものを提供されないのか。自分の実力の基準がはっきりと自覚しすることを教えて、一人一人の春を掴みとってほしいので、普通の基準を考えてみた。畷北では、まず教えることが自分の実力である。自分の力が定かでなく、過信している天狗な子は、最初良いが壁がすぐ来る。そして、出来ないことを知ると落ち込みがきつい。私の指導経験から、自分には、まだまだできないことがたくさんあると思っている子は学ぶな姿勢があり、努力して伸びる。だから、『自分は出来ない』宣言できる子は、吸収力が凄い。「もっともっと教えてください」と謙虚で素直である。そして、できるまで努力する。世の中には、普通以下が存在して、最低と言う基準もあることを自覚させることで、最高と言う基準を目標にさせる。それが指導者クラッチの考え方である。
自分の出来ない基準が最低と悲観するのでなく、現在、自分には実力が伴っていない。そのことを最低の基準にすれば、日々の努力で一歩ずつ最高に近づくことが出来る。その基準を自覚させることである。自分が最低だから努力しても仕方がないでは、この話は終わりである。最低だから、実行したこと全て吸収すれば、右上がりの曲線グラフになる。このことを最初に教えたい。それが畷北のクラッチの普通の基準である。この普通の基準を後から教えても仕方がない。畷北が最初に教える事は、普通以下の存在である。特に新入生には、普通の基準がチームに出来上がるまで、可能な限り、出来るだけ、「それは普通やで」の言葉は禁句にしている。

信じるか否かは、あなた次第である。
                  
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category: オフィスKURACH

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