クラッチの「今日の一言(つぶやき)」

スポーツ・コーチング総合研究所 オフィスKURACH 所長クラッチこと倉田伸司のつぶやきをお伝えします。

 

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【ある日のコーチング・カレンダー163】チームの乗りノリを考えるⅡ 

【ある日のコーチング・カレンダー163】チームの乗りノリを考えるⅡ
”乗り(ノリ)”を考える -そのⅡ-
 集団にリーダーがいない。
 
 ある日、ある学校の廊下でクラスの仲間がただ集まっていた。
 誰かが教室のチョークを投げた。
 一人の者に当たった。
 それを投げ返す。
 教室に入り、黒板のチョーク入から、細かいチョークを次々と持ち出して投げ合う。
 教室、廊下、壁にチョークの残骸の山となる。
 チョーク投にあきると誰が辞めようとも宣言せずに下校する。
 散乱するチョークは全然気にならないらしい。
 明くる日、散乱するチョークの残骸に唖然とする教師集団。
 早速、らしき者に「おまえらやろ」と探りを入れる。 
 「はい!僕たちです」と悪びれた様子もなく白状する。
 そして、後片づけが始まる。
 散らかす前以上に美しくする。
 これって、何と言いたい。
 
 無軌道な集団の”ノリ”にリーダーはいない。だれかれとなく集まり、友達になり、時にはあだ名は知っているが、どこの誰かとも判らない者と遊んでいる。チョーク遊びで終わってくれればいいが、町に飛び出して犯罪までなる可能性もある。軽い”ノリ”起こす犯罪は、世の中には溢れている。このチョーク投げは、教師との信頼関係の中で集結した。ほんの少しの行き過ぎの遊び程度で済んだ。隠すほどのことでもなく、「すいませんでした」で済まされる。遊びの行き過ぎを注意出来る大人が居たから、止まった遊びである。悪いことを悪いと言える大人が居たから、笑い話で終われる域である。

 しかし、どうだろうか。世の名で起きている若者の悪”ノリ”を注意できる環境はあるだろうか。かなり少なくなっている。だから、悪”ノリ”集団にブレーキは掛からない。まして、集団を纏められる能力のあるリーダーなき集団の暴走を止められるものはいない。このリーダーなき集団の悪”ノリ”が最も恐ろしいのである。言い出しっぺを止めれば、暴走は完全に止められなくとも、失速させることは出来る。ところが暴走の主たる者が居ない集団の暴走を沈静させることはかなり難しい。

 リーダーが居ないから、誰が悪いとも言えない。「誰が最初に悪いことを始めた」と問いただしても「何となく始まった」の答えに罪の意識はない。これは良い行動の域でも同じような現象はある。何となく始まる”ノリ”が若者の行動パターンである。何か楽しそうである。誰かが始めたことである。中心になる人物を特定することは困難である。妙な平等主義の中で育った若者がいつしかリーダー不在の集団を作ってしまった。人の前に立っては駄目です。後ろでも駄目です。横一線が素晴らしいと教え込まれた子供が肉体的に成長しても、精神的に成長しないリーダーなき個人主義社会ができあがった。こんな若者社会が日本に出没し始めて何年になるだろうか。

 リーダーなき集団の暴走が最もやっかいである。リーダーが出来ない体質の中での集団の”ノリ”こそが若者の特徴であり、「何となく」始まることが疲れを知らない若者の社会では終わることはない。いつもでも続く若者の悪”ノリ”をどうとらえるかである。妙な平等論と個人主義に支えられた若者に正しいリーダーの育成は無謀な行為なのか。責任回避の社会が権利だけを主張して、「俺は悪くない。社会が悪い。あいつが悪い。訴えてやる」で終わらしては駄目である。このような社会で育つ若者にスポーツの社会は本当に住みにくいだろうが、このような社会にこそ、集団に大切さとリーダーの必要性を強く感じる。

-続く-
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