クラッチの「今日の一言(つぶやき)」

スポーツ・コーチング総合研究所 オフィスKURACH 所長クラッチこと倉田伸司のつぶやきをお伝えします。

 

最新トラックバック

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

TB: --    CM: --

【ある日のコーチング・カレンダー319】《何を伝えたいのかのメモ書き》 

【ある日のコーチング・カレンダー319】《何を伝えたいのかのメモ書き》

その1
○○中学講演会リード書きメモより

「何を伝えたいのか」を明確にする
リスペクト⇒終始一貫
結論:教師と親がしっかり地域で子育てする。
   叱ったりするけども、子どもたちの敵じゃないことを教えること。
   愛情を感じさせる行動を示す。(二宮尊徳師)
「可愛くば、五つ教えて 三つほめ  二つ叱って よき人とせよ」
   子どもたちの要求ばかり受け入れる大人になるな。
   親、先生、地域で協力して子育てをする。

◎今の高校⇒特色を持つことが学校の主流となっている。普通科なんて存在しない。学校の中身をしっかり知る。情報源は先生である。噂を鵜呑みにするな。自分の目で確かめましょう。「特色を探せ!」      
 ・学区編成
 ・普通科、専門学科

◎高校生の現状⇒個性重視と煽られても基本的な生活習慣がない。まねごとの個性。                  ⇒高校は人生観を大きく変える最後のチャンスかもしれない。部活動での師弟関係は大きく人生観を変えて、心(人間的な)の成長を得ることができる。
 ・校則、携帯電話、仲間とのつながり、部活動、アルバイト、中退

◎中学卒業後の進路⇒高校進学がパラダイスではない。高校へ行けば何でも許される的な発言は禁句である。それが挫折の始まりである(そんなの聞いてないよ)⇒校則のない学校はない。
 ・目先の行き先を決めるだけはなく、長く人生の展望を子どもが持つ
 ・誰が進路を決定するのか
 ・進学したら、卒業証書するという目的

◎受験へ向けての学習⇒教室の授業と部活動
 ・1,2年生と3年生で心がけたいこと

◎親に・保護者が心に留めておくこと⇒誰だってある反抗期。向きあうことに尽きる。
 家庭で良い子は何処かではけ口をつくっている。もし、大人への登竜門を通られないと社会人としてのモラルやマナーを身につけることができない。特に我慢という耐性はつくれない。 

このセミナーの目的は自分自身で生徒が未来を考えれば、今何をすべきかが、自覚できるである。その為の親としての過程での取り組み、また、学校での生徒自身の学ぶ姿勢を創ることである。
自分の進路を考えた時、学習能力を向上させることぐらい生徒は理解している。
それを如何に前向きにさせるかの依頼がテーマでした。

その2に続く。

        
スポンサーサイト

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー318】《感動と育み》 

【ある日のコーチング・カレンダー318】《感動と育み》

現場リーダーの育て方
     ―「感動と育み」をうる職場のマネジメント

結論: 
チームに関わる全ての人に
目標を明確にし、理解させ、具体化を示し
楽しませながら、チーム貢献を考えさせ、役割を認識させて、
強みを創り、
常にやる気(モチベーション)を起こさせ、
自己責任を構築し、
刷新(イノベーション)を図り、
選手に成果を出させる人がコーチであり、仕事(ミッション)である。
その選手に誰を感動させるかを気付かせるのが使命(ミッション)である。
そのためにコーチ自身が学びの姿勢を持つことである。
自分の全てを出し、チーム関係者、全ての人に満足感を与え、    
尊敬(リスペクト)される人になることである。
その第一歩が「理念」創りである。
チームの理念とはチームの着地点と目線(ベクトル)を同じにするための合言葉である。
地域貢献を念頭に実践すれば、愛されるチームとしては大きく変われる。
選手、そして、チームの可能性を高めるために理念構築とプログラムメニュー(練習メニュー)の提供の必要性を訴える。

と結論つけてセミナーを始めました。
オフィスKURACH倉田の専門はスポーツにおけるチーム創り。
この提案で職場をチームと位置付けて2時間セミナーを展開させました。
多くの事例を参考に職場である対象者従業員の可能性を高めるために働く人間の育成の理念構築とプログラムメニューの提供の必要性を考えていただいた。

色々な職場環境があり、一律に全てを当て嵌めるのは危険である。
自分たちの職場で成果を出すには、どうすればの具体策を自分自身で考える。
働く人の満足だけを目指していては、レベルは上がらない。
例えば、教育界なら教職員の自己満足でのスキル提供では、児童・生徒・学生・部活メンバーなどの成果は望めない。成果を出すことの先にある『感動の提供』を目指さなければ、教員としてのプロ意識は伴ってこない。満足と感動には温度差がある。満足以上の感度を如何に与えられるかが大きなテーマとなる。
感動を与えるビジョン創りを目指す。

当然、どうすれば?を学びたいが浮上する。
この日、終始云い続けたことが未来で働きかけた結果に何が待ち受けているかを考え、行き詰った時、微笑んでいるリーダーとしての自分を想像してみよう。
なぜ、微笑んでいるかを考えれば、答えが浮上する。
嫌なことをイメージして、笑っていることは通常考えにくいだろうでなぜ微笑んでいるのだろうを考えて、メモを取り具体をイメージさせていく。
それをベースに今何をすべきかを考え、再び未来にある着地点へ、「こうすれば、こうなる
」のスキル創りをスタートさせる。
するとリーダーとして何をすべきかの具体が見えてくる。

具体づくりにある感動が「微笑である」

信じるか否かは、あなた次第である。



category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー317】《負けねぇぞ!》 

【ある日のコーチング・カレンダー317】《負けねぇぞ!》

ある時、ある場所の体育館。
コートサイドのホワイトボードの前に立ち、チームに今日の練習を提案している時、
「無理!」
「無理、無理!」
最後にはとチーム全体に「無理、無理、無理」コールが蔓延する。

プレイする前から無理を連呼して、バリヤを張り出した。
そこで一言、「指導者は出来ないことをチームには要求しません!」
でも、無理やの連呼は続く。

そして、練習メニューが始まった。
この無理、無理、無理連呼の中に一人だけ、出来そう顔をしていたプレイヤーを発見していた。
その子はレギラーでもなく、日ごろ、あまり目立たないプレイヤーであった。
その子に見本をさせようと決めた。
そして、無理を主張する他のメンバーが息をひそめ、「出来っこないやろ?」の冷たい目の中でフルコート2ドリブルレイアップシュートが始まった。
コーチからのパスにミートしてキャッチ、大きくボールを突き打出して、一回目のドリブル、バァ~ンとの音と共(漫画スラムダンクの一場面の効果音ように)にハーフコートを通過する。
そして、2回目のドリブルでぎりぎりレイアップシュート態勢にはいる。
ボールがリングに嫌われた。
コートは静寂の中、ボールはリングを通過しなかったがコートに撥ねる音だけが響く。

コーチKURACHの「やるやん!」の大拍手が響く。
そして、この子とハイタッチ!
この子の目は輝いていた。
無理無理無理コールの子たちの目は点、○~るくなっていた。
無理連中のチャレンジ魂に燃え上がった。

そして、「さぁ、やってみよう!」の笛を鳴らす。
次々に部員たちがチャレンジしていく。
出来る子(選手)がどんどん増えていく。

そこで全員を集めて、一言「出来るやん!」
コーチは出来ないことは要求しない宣言をする。
更に勇気を出して、最初に試みたこの子を称えた。
チーム全員が認め、ミーティングのハドルに起きた大拍手。

その後、このチームは上位チームとなり、メンバーは変われども長年シードチームとして存在感を出し続けた。
この日以来、このチームから「無理、無理、無理」は消えて、
出来るか否かは、行動してから考えようが浸透した。
出来なかったら、『出来る』を模索しよう。
改善イズムが浸透した瞬間が訪れた。
その時に出来た合言葉が「やれば出来る、きっと出来る、必ず出来る、もっと出来る」であり、このチーム頑張りイズムとなり、伝承されていった。

「負けねぇぞ!」がコーチKURACHのポリシーとなり、ビジョン構築の原資と確信をチームに浸透させることが出来た。
勝てるとは一言も言わない。
でも、これが出来れば、勝てる可能性を増幅するかもしれないことをチームに植えつけることは出来る。
それが指導者の使命であり、仕事であり、チームのおける役割である。
このマネジメントイズムを忘れなければ、チーム創りへ恐れることはない。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー316】《与える》 

【ある日のコーチング・カレンダー316】《与える》

ある方のメールに学ぶ。

与える。                         

オフィスKIURACH《愚痴る前に》を読み、辻ドクターの講演会の話を思い出しました。辻さんはチームワークを保つことについて、下のことをおっしゃっていました。
「チームワークのため」といって自分を犠牲にする人がよくいる。しかしこのことは本当にチームのためになっているのだろうか?チームワークに徹するということは、自分を犠牲にしてチームに貢献するという意識を想像させる。すなわちこれは自己犠牲を払ってでも、チームの勝利のためには「耐え」なければならないという考え方だ。
一方、最高のチームワークには「耐える」ことよりも「与える」という試行で構成されるという考え方もある。すなわち、与えれば必ず自分に返ってくるという哲学の元に生まれたチームワーク論だ。全員が自己犠牲の精神でなく自分のもてるものを「与える」思考に徹することができれば、最高のチームワークができることだろう。しかし、「与える」という精神を徹底することは、「耐える」精神を徹底することよりも更に難しいことである。
「耐えながら」の精神で行動するか、「与える」精神でいるかは、個人の判断であって、どちらでもよい。ただ、コーチを含め全員でチームにおける法則をしっかり徹底することが大事なのだ。
今度、クラッチ監督が読んだ『弱さを強さに変えるセルフコーチング』も読んでみようと思います。ただ自分の頭の中で消化できていても実行することはなかなか難しいです。心の選択肢を増やすという意味でこれからも様々な本を読んでいきたいです。長い書き込みすみませんでした。

という凄い書き込みがありました。この人はよく鋭い意見を届けてくれます。今回の書き込みで心が動きましたので少しチームということを考えてみました。チームの成立する条件に良く使われる「チームは一人の為に、一人はチームの為に」という言葉が直ぐに頭に浮かんでくる。この言葉を 畷北のチームや体育型の授業「スポーツ教養学」で年に一度は提案し、考えさせる材料に必ず使います。ほとんどの部員や生徒の心に残る言葉として、後々に浮上してきます。
それが「勝ち負けに一喜一憂する心。心と言う文字にすがる気持ちが汗となる。本当の心を育てる 畷北でありたい」とか、
「チーム貢献としての自分の居場所探しをしよう!」とか、
「自分のできることを一所懸命やれ!」とか、
「愚痴る前にできることがあるはず」などを言い続けている。
それが最近では「他人のあら捜しや他人のことを言う前に、自分はどうなんだ」という言葉に集約されている。
監督やコーチは選手を本番(試合)で成功させるために、色々な方法で手段を伝えようとする。それが時には強く、時には優しく、時には冷たくと表現が変わる。でも、一人の選手、チーム全体の選手の能力を機能させるためにやることである。指導者は単なる技術の伝道者ではない、生身の人間が行動する心の指導に繋がる訳である。いくら素晴らしい技術論を持っていても、それを動かす人間の心が伴っていなかれば、決して成功しない。

最も困る選手、高い技術を持っていながら前向きじゃない選手。
次に困るのは、努力せずして僻みっぽい選手。
次に困るのは、「どうせ俺なんか」とチームに属しているだけで前向きじゃない選手。
次に困るのは、ほんの少し努力しただけで、”やったふり”をして満足している選手。
次に困るのは、自分の技術を客観的に見られずに、常にできる側に居ようとする選手。
次に困るのは、中心選手なのに中心でプレイしようとしない選手。
次に困るのは、嫌なことがあれば、必ず逃げ出す選手。

この逆で
技術的に低いレベルであるが前向きに取り組む選手。
凄い努力家であるがなかなか結果を出せない選手。
ひがまず、ねたまず、チームの下働きを進んでする選手。
かなりの努力家であるが決して自慢にしない選手。
もっとできる選手なのに謙虚な選手。

など色々な選手のタイプがチームに存在する。一見欠点であるような部分をチーム貢献という観点から割り切って利用していけば、チームは前向きになる。彼女のメールで伝えてくれている『最高のチームワークには「耐える」ことよりも「与える」という試行で構成されるという考え方』が自分としては理解できる。耐え忍ぶという考え方は日本社会では受け入れやすい感情である。その考え方も理解した上で、思うことはチーム貢献である。そして、「楽しく自分のできることをチームに出して機能させる」ことを目標にしてきた。そして、評価する。この評価とは粗捜しでないではない。自分ができることをチームに提供する精神のことである。

だから、一人の3年生からスタートして、現在50名以上の部員を毎年維持できているのは、「チーム貢献の精神」、チーム内での自分探しを実施して、このチームで自分ができることを主張させることから始める畷北であることを誇りに思っている。
何故一体感ができるのか、また求めるか。
それは「チームは一人の為に、一人はチームの為に」の精神であり、気持ちよく畷北というチームでバスケを楽しむためでもある。でも、キャーキャー、ワイワイ、ガヤガヤという若者ののりではない。トーナメント(大会)で勝利者になるための最大の努力をして準備することを目的にする。当然、しんどい場面は想像できる。その時にこそ、しんどさとお友達になろうである。それが畷北のコンセプトである「楽しく、しんどいことをやろう」につながるのである。
「楽しく、しんどいことをやろう」の味がわかるまでには、当然少しの時間がかかる。この味がわかれば、自分のちから、自分たちの力を発揮することができる。敵は相手チームではなく、自分、自分たちのなかに潜んでいると理解している。

今回凄い話題を提供してくれた彼女に感謝します。チームを振り返る時間の大切さを痛感しております

信じるか否かは、あなた次第です。        
  

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー315】《有言実行的生き方》 

【ある日のコーチング・カレンダー315】《有言実行的生き方》

この生き方を貫くしかないやろう。
ある時代、チーム創りを始めた時のコンセプト&理念

有言実行。

ある時、今日の一言でこんなことを書いた。

若い頃、「僕は有言実行って言葉が好きです」というと笑われたことがある。「それは無言実行と間違っているんと違うんか?」って言われて、少し馬鹿にされた感じをもった。「男のしゃべりはあかん」とか、「あんまりペラペラしゃべるとほら吹きやて言われるで」などと言われた。そうかなって、弱気になって、しばらく、その言葉を封印していたことがある。
 指導する立場になってから、有言実行という言葉を頻繁に使うように心がけた。例えば、この畷北に赴任して、最初に、たった一人の3年生に言った言葉が「3年でインターハイを目指そうや、まずは大阪府ベスト4を目指そうや!」であった。この話、馬鹿げていますか?

するとメールで(部創設、その当時)
「全然馬鹿げてないと思います!幕張で20万人という人を集めてコンサート成功させ、伝説を作ったGLAYというバンドは10周年を迎えた今、雑誌でこんなことを言っていました。「無言実行より有言実行でいたい。」と。言わないで行動するのは、努力も他人に見てもらえないかもしれないけれど、諦める所も見られないですむから、いつでも諦められる。周りに言うからこそ、身をふるい立たせる事が出来るし、くじけそうな時に頑張れるし、成功した後支えてくれた人たちに改めて気づくことができる。そんなことを言っていました。まったくその通りだと思いました」
って書き込んでくれた人がいる。
そこで

10年前、たった一人の部員に「大阪で一番になろうや!」って言った時、「わかった」って返事がかえってきた。そのキャプテンMがいなかったら、ある学校のバスケットボール部は存在しなかった。そして、7名の部員での船出となる。やれども、やれども、勝てなかった。辞める部員も出てきてきた。変な目で見られた。2年目、7人の新入部員が入ってきた。不思議に勝てだした。それでもたかが大阪ベスト16であった。でも、人の見る眼が少し変わった。3年目大阪でベスト8、4年目でベスト4、近畿大会出場した。人は賞賛し始め、不思議な気持ちになった。
グランドで大きな声で「インターハイ行くぞ!」って、みんなで叫んだ時の周囲の白い目が印象的であった。その時に何十人もいたある部は、バスケの行動を見て馬鹿にしていた。そのクラブは、その後、どんどん部員が減っていった。何十人にもいたのに、誰も全国のことを口にださなったのかと不思議であった。その何十人は何を目標にやっていたのか、不思議だった。その後、最低、近畿大会って言うレベルを維持しだすと「あのクラブ(バスケ)は別や」
って言い出す。「選手が集まるもん」ってまで言い出す。おまえらな7人で細々とやってた時代にバスケ部を馬鹿にしていたやないか、種目が異なるのでライバルで戦うことはない。でも、同じ学校で競争しあって、努力してこそ、母校愛や連帯意識が生まれるんやろ。このままではバスケ部は孤立する。そこで考え出したのが部育成の授業であった。部活動する生徒の意識が変わった。

って、クラッチは書き込んだ。

でもね、人に何かを言い残すってことは大変なんですよ。
ホラ吹きと偉大な人との境界線は紙一枚です。
実現可能域での勝負をしないとね。でも、レベルが低すぎては、「有言実行」なんてことは大げさすぎますよね。
とどきそうで、とどかない所を実現させるところに「有言実行」って言葉に重みが出てくる。
コーチ生活35年。今だ「有言実行」が実現していない。今日もその話題で迫られた。
でもその迫りは、脅迫的ではなった。友好的であった。「可能性はありますよ」で片付けられたが、その通りである。
言い続けるしかない。実現のための努力するしかない領域の話である。人ができて、クラッチができないわけがない。とんでもないことをやろうって言っているわけじゃないんだからと気持ちを取り戻しガンバである。

  信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー314】《部活の空気感》 

【ある日のコーチング・カレンダー314】《部活の空気感》

「部活の空気感」

ある時、HP掲示板にこんな書き込みがありました。

「こんばんわ。いつも今日の一言に感心させられます。
いきなりですが、自分たちはマンツーマンディフェンスがすごい下手です。2番のディナイが出来てないし、3番ポジションのヘルプも全然で、試合になると点を許してばかりです。
まず、自分が意識していることは戻りを早くする、声を出して仲間に知らせるなどいろいろです。気持ちだけは誰にも負けないと思っています。
最近は1、2、3番ポジションの練習に取り組んでいますがどうもうまくなっている気がしません。声が出ていないことがすごい痛いです。

部活の空気も当然ダラダラしていて、練習の切り替えが遅い、全員で声を出さない。など注意しても聞く気を持ってないのか全然変わりません。そんな練習で一日が終わっても自分は満足できないです・・・自分勝手ですが
「声を出せよ」=誰か出すだろうって部員が多く、注意した私は嫌な奴扱い。もう転校したいぐらいです・・・
こんなもので勝てると思っているのか?本当に勝つ気があるのか?それで努力しているのか?やる気あるのか?とか言いたいですがこれを言えばうっとおしい奴扱い。本当に嫌になります。
畷北の試合アップなどを見ていたら「いいなぁ」ってついつい思ってしまいますが、勝つ気、やる気などはどのようにすればでるもんですかね??自分たちが変わらないとって気がない連中なので、、、もちろん全員がそうではなく中には頑張っている人もいます。
意味不明な乱文となってしまいました。。すいません」

これに応えて、

「我がチームでは、日常的に『声』を出すことが当たり前になっています。でも、いつも、いつも『声』を出し続けて、モチベーションが維持できているというと必ずしもそうではありません。肝心な『声』を出せなくって、こっぴどく叱られることも多々あります。『声』を出すって事をどのようにとらえるのか?「わぁーわぁー、ぎゃぁーぎゃぁー」ってノリの『声』が必要なら、それは悪ノリになりかねないよね。その『声』の必要さは余り感じません。
日々に練習の始まりには儀式的なものがあり、「さぁ、これから練習始めるよ」で「わぁー」って感じの始まりは必要です。それはなぜ必要なのか?気持ちの切り替えです。6限目まで授業で沈んだムードを引きずって体育暗に集まる。気の重い思いで部活に来ていることだってあるじゃない。そんな時、「さぁー、頑張ろうぜ!えい、えいおー」って調子で始めるのは悪くない。スポーツマンの脳にギアーチェンジは必要です。
なぜ、声を出せないんだろう?
必要性を強く感じていないんじゃないだろうか?
『声』は技術っていうことを理解していないんじゃないだろうか?
例えば、ディフェンスのスィッチプレイの時に好き勝手にやっていると思っているのだろうか?チーム内の決め事の中で行なわれるコミュニケーションとして『スィッチの声』がかかって初めて、行動を起こす。その『声』がかからない限り、自己責任において自分のマークマンを付くことが義務つけられているのがチーム内原則である。このことが理解されていなくって、バスケやっていても面白くないやろね。この『声』があって、初めて、「みんなでバスケやってるじゃん」って気持ちになれるよね。この感情を放棄するなんて寂しいよね。
良い選手でも必要時の『声』を出せなくって、ユニホームをもらえなった選手は居る。それほど大切なこと考える。ジャパンクラスでも、コミュニケーション時に必要な声が出せない。だったら、普通のチームで出せないのは、普通かよ。それ違うで。『声』はバスケに必要な技術であるってことを理解していないのでは?必要なのですよ。

良い練習方法を紹介しよう。
2人一組でシュート練習をしよう。どちらがシュートしてもかまわない。どの場所でシュートしてもかまわない。シュートの種類も3P、ミドル、フック、レイアップ、バックシュート、ダブルクラッチなんでも良い。30秒間に5本インするまでやる。なんて簡単な練習である。ただし、必ずパスをもらってからしかシュートしなくてはならない。そして、必ず、パスする人は、その人の名前を大きな声で「○○くん」と呼ばなくてはいけない。そして、パスの受けては大きな声で返事をしなくてはいけない。一度に何組もが同時に行なう。するとコート中に大きな声が飛び交う。小さな声では聞こえない。聞こえないから返事ができない。30秒で5本インできないものはペナルティー腕立て30回である。この30回も2人で声を出してカウントして、2人で同じ速度でやる。できないときはやり直し、合わなければ、合わせるまで待つ。そして、終われば、2人で必ず握手する。それをチーム皆で大きな『声』で誉める。

なぜ、このような練習をするのか?
①コミュニケーションドリルである。仲間意識の育成である。
②想定練習である。インターハイ大阪予選、決勝リーグ、満員の観客席、騒然とした雰囲気を想定したときに小さな声では指示がとどかない。大きな声を出すしかないのである。
③『声』は技術であるとの認識練習のためである。

このような理屈でやれば良い。それでもできないのなら、バスケする資格なしである。きっと勝利する味を体験することはできないでしょうし、負けても平気なムードが支配することでしょう。『声』を出すことは強制ではない。コミュニケーションの手段であることを理解させること。スポーツの現場は広いスペースで行なわれる。小さな声では伝達できない。このことを理解できないのなら、それはスポーツではない。」

すると
返答メールが届いた。
そうですね。やっぱり、声が技術ということをわかってないから出さないんだと思います。
すごく助かりました。明日からまた頑張る気になりました。感謝します。
ありがとうございました。
絶対、強くなります。
と返事がありました。

真剣さには真剣さを持って応える。これがクラッチのコンセプトである。世の中に頑張っているチームがたくさんあることが競技向上の秘訣である。コーチ資格とある枠でくくるのも良いが現実に悩んでいるチームへの救済にはなっていない。技術の切り売りがコーチだと思っている組織、そんなものじゃない。末端のマジメに努力しているバスケ愛好家に思いが届かない組織っておかしい。ミニや中学校や高校や大学の組織、その中でも世界に誇る高校体育連盟の組織をどう思っているのだろうね。この組織を利用しての教育改革を実施したほうが世界に通じるものを創造出来る気がするんだけど。トップ組織がいくら頑張っても、インターハイ会場や高校大阪予選の盛り上がりは作れませんよ。そこに資格制度は無用である。統一された考え方では競争原理はうまれない。現在持っているコーチ資格が自分のバスケット活動になくてはならないものとは考え辛い。そして、メリットを何も感じられない。資金集めの方法しか感じられないのである。この制度が機能するには一定の時間が必要であることは理解する。でも、定着するとは考え辛いものを強く、強く感じるのである。一部の人のための制度は無用である。

このHP書き込みのような『心の声』を聞き入れる組織って望むのが無理なのか?
愚痴っているよりクラッチを待つ部員に校門、体育館の鍵を開けるのが先決である。
朝早くから熱いクラッチである。
これがチームをあずかっていた当時のある一日の始まりだった。

信じるか否か、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー313】《愚痴る前に学ぶ》 

【ある日のコーチング・カレンダー313】《愚痴る前に学ぶ》

スポーツドクター辻秀一氏の本に学ぶ。

愚痴る前に。                         

 「何で出来ないんだ」と言う前に、どうしたら出来るようにさせることが出来るんだと悩む。ほんの少し出来ただけで有頂天になったり、ほんの少しの努力で自分はマイケル・ジョーダンになったように思ってしまう神経って、何なんなんだよ。自分が進んで努力もせずして、上手くなったように思える精神構造って、「どうなってんだよ」と叫びたい。こういう選手に限って、手柄は自分の物、失敗は他人がしでかしたことと思っている奴が多い。指導者がコツコツと積み重ねて教えていることを他人事のようにとらえる者が多すぎる。指導者が引いたレールの上を歩いて得たことに感謝する心が無く、指導者やコーチに導かれて上手くなったことも忘れて、チームに必要な練習をチームとして取り組みを要求されたり、やり直しを命じられると「むかつく・・・」と顔に出しそっぽをむくって、どういうことなのだよ。

 自分流で勝手に上手くなったように主張する。自分で考える事は大切である。でも、自分流には限界がある。自分流を更に発展させるには、他人の力って必要である。スポーツの世界では、コーチの力である。コーチに育てられ、自分(選手)が出来上がる。自分が勝手に上手くなったと強く思う者に限って、有名選手になるとコーチ離れが始まる。そこには必ずといってもよいスランプが訪れるのである。勝てなくなるのである。

 あのタイガー・ウッズが昨年、全くといって良いほど勝てなくなった。それは何故か?長年、共にしたコーチから離れたことが原因の一つと考えられている。偉大な選手でも陥った罠である。でも、彼は超一流であった。自分の力を修正してくれる力、所謂、コーチの力を再び信じたのである。するとたちまち、もとの強いゴルファーに戻ってしまったのである。この偉大な選手でも、コーチ力の必要性を痛感しているのである。中学生や高校生なら、ましてや必要なのは当たり前だろう。だから、口酸っぱく言われるのが学ぶ姿勢である。指導を受け入れる素直さなのである。指導を受け入れる”素直さ”プラス”自己流”をさせれば鬼に金棒である。基礎段階の選手で少し出来たぐらいで有頂天になる奴に限って、基礎練習を無駄と思っている者が多い。コツコツと地道な努力の必要性を一流選手ほど自覚している。この事を何とか教えたいのである。

 スポーツドクター辻 秀一氏の著書『弱さを強さに変えるセルフコーチング』という本の中に「いつもコーチにフォームを直されます。なぜ自己流のやり方でやってはいけないんですか?」という質問に、「基礎を身につけるためには指導が必要。基礎なしに自己流で進めると頭打ちになる。」と答えておられる。

 イチローや野茂投手のあの独特なフォームはしっかりした基礎の上に出来上がったものであることの本質を見抜かないとだめであるとこの本でドクター辻は訴えておられるのである。基本練習を強要されてむかつくムカついているうちは一流にはなれない。更に、基本を繰り返し、繰り返し練習を積み、自分で考える力を身につけることが大切であることを重ねて訴えておられる。基礎練習の大切さと考える力を導き出すのがコーチ力である。所謂、指導力である。クラッチも強く、それを思う。

 転勤し赴任して、ずっと続く指導者としてのストレスがある。それは”素直さ”の欠如である。一人一人を上手くしてやりたいを思う気持ちを強く出すと必ず出す嫌な気、「何でそこまで言われなあかんねん」という感情である。余りに嫌な気を出すので指導しなくなると「自分はむしされている」と僻みだすのである。そして、チームの足を引っ張り出すのである。これがチーム向上の足かせになっていることが自覚できないのである。
 ドクター辻は「基礎が身についたと実感出来るまで、繰り返し練習することが大切である」とこの様にも訴えておられる。そう、自覚させるのは指導者の仕事なのである。それをコーチングであると指導者の自覚することが大切なのである。時には憎まれても、嫌がられても、教えなければならない。でも、出来たときには「そうできるようになったね」と自覚させることがコーチの仕事であることを自覚する。

信じるか否かは、あなた次第である。        

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー312】《疑問》 

【ある日のコーチング・カレンダー312】《疑問》

少し前のある時代のテレビ番組に思ったこと・・・。
身勝手な放送。                           

有名な放送局の、有名な番組に、大阪で有名な高校の部活動を取り上げたドキュメントが放送された。番組冒頭で「荒れた学校を建て直した…。」という始まりで番組が始まった。
「…。」(クラッチ)
観るのをやめた。

荒れた学校を建て直す。それを聞けば、多くの学校関係者は飛びついて観るだろうし、ドラマ性は充分に醸し出されるし、実際に指導されている方々、生徒諸君、関係者には、「やっと世間が認めてくれた」と報われた気持ちになるだろう。でも、本当に学校の荒れをなくするためにそのクラブを立ち上げられたのだろうか。そんなもんじゃないとクラッチは思っていた。部活動を指導する原点は、自分が指導できることでその種目、その分野の楽しさを伝えることである。その結果、全国大会出場や金賞、入賞、優勝がある。その努力の過程を後日、賞賛されるのである。結果として、荒れがなくなった例は多くある。その点に、教師として興味があった。今回取り上げられたこの学校に知人も多く、いつかあのような学校にしたいと教師として憧れをもっていたので、興味津々であった。参考にしようと思っていた学校の一つであったので楽しみにしていた。

でも、疑問が沸いてきたから、番組を観るのをやめた。
クラッチの心の中でこの番組の真実性が失われた。
その日、同僚の送別会に出席した。その帰宅電車の中で偶然に”この番組”に報道された高校に勤務されている先生と一緒になった。あまりにも偶然なのでビックリした。
そして、質問した。
「本当に学校に”荒れ”ってあったの?」と。
「(荒れが)あったわけないじゃないですか。男子校でしたから、やんちゃはいましたよ。けど、荒れなんて…。」

素晴らしいと思うテレビ番組だった。
クラッチの心の中では自分を励ましてくれるテレビ番組だった。
でも、真実と違うことを語られたことに腹がたった。
その学校を知るだけにどういう観点でとらえられて放送されるのかが楽しみだったのに、失望した。
電車の中で質問した後、学校関係当事者も困惑していると聞かされた。
安心した。善は残っている。

でも、もし、この日、この高校の関係者と会っていなかったら、事情を聴けてはいなかった。クラッチの疑問は解けたけど、誤って報道されたことは事実である。この番組を観られた多くの方は、取り上げたれたことを真実(?)と信じて、「凄い」って信じられるだろう。”荒れ”がないのに、”荒れ”がある。本当に”荒れ”があり、日々奮闘されている人には怒りがあるだろう。誤解は怖い。一度、誤解されたことが定着するといくら頑張っても世の中は認めてくれない。”荒れ"を克服、のり越えての言葉は有名なクラブ活動がより輝いてみえるだろう。その点を番組デレクターがマッチングさせたのだろうけど、本当に”荒れ”があったなら、心より凄いって、「ご苦労様」や「大変ですね」の心境で見れる。でも、誤解されたものを比喩として伝えられては、当事者は困るだろう。純粋にこの関係者を指導者を凄いと知っているだけに、この番組が曲げられて放送されたことに怒りを感じる。

この文章を書こうと決めたのは、多くの頑張っておらえる先生方、生徒諸君の名誉のためである。真実を他人が伝え始めたときから美化されることである。でも、ある程度は美化されても、それで良いかもしれないがあまりにも事実と異なるものなら、それは偶像でしかない。本来は専門性を追求されて、生徒に部活をする楽しさを指導される姿勢が放送されればに感動する訳である。それが真実であれば、より感動する。その結果、”荒れる”要素なんて何処にもない素晴らしい学校であるとの観点でとらえられているならば、納得するものである。

噂で凄いと伝わってきたら、自分の目で見る。そうしか真実を見ることはできないと改めて感じた。噂は聞くが、噂は信じない。自分の目で見たり、接したりすることで判断するまでは信じない。
「あの人がこんなことを言っていたよ」を鵜呑みにはしない、信じてはいけない。
その事実を信じたければ、本人から直接聞くことである。
聞いたり、観たりできないときには、適当な判断をすべきではない。
それは誤解をうむ結果となる。
報道には責任がある。真実を伝える責任がある。
クラッチのも同じことが言える。このHPを開設した日から、その責任を強く感じる。このHPの取り組みの真実性を確かめにこられる何人かの先生がおられる。その後、ずっとこられるし、交流が続く。また、試合に招かれるので、自分を信じて、クラッチの取り組む姿勢を貫きたい。

この放送された学校から、自分の目で確かめ、接し、学んだことには、活気があり、自主的であり、かつ、凄いレベルを維持されている校風が真実である。クラッチの見た真実である。いつかこのような学校を追い越してやると思い続けている指導者であり、比較じゃなくて、今いる学校をより、勢いと活気のある学校にするのがクラッチの目標である。でも、自分ひとりの力ではどうすることもできないことも理解している。多くの人達の今日協力なくしては発展しないのが学校である。

15年前、部活動が全校で100名に満たない学校が今じゃ運動系部活加入率が全校の50%を超えた事実がある。
15 年前、いや転勤した当時、体育館バスケ部が独占していた。それはクラッチの我がままから、そうじゃない。部活が成立していなかったのである。
それから5年。今は体育館、グランドに活気がある。学校らしくなった。校舎内ではブラスバンドの音がする。
コートを独占できない現実がある。「俺たちも頑張るから。お前らも」のいい競い合いが学校内に芽生えてきた。この勢いを止めてはならない。

他の学校のことに一喜一憂していることより、良いことは学ぶ姿勢は姿勢として、畷北で自分にできることは何か見つめることである。次にクラッチができることが見えてきた。それを自分自身が知る大きな出来事であった。それが今回のテレビ番組から得たものである。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー311】《帰化》 

【ある日のコーチング・カレンダー311】《帰化》

オリエンタルパターン、日本式、渡来するスポーツを日本の風土に帰化させる。
帰化したスポーツ。
 
 スポーツは文化である。明治維新後、文明開化の足音と共に西洋文化であるニュースポーツが伝来した。文武両道の精神はあったものの、現在、使われる文(学問)武(スポーツ)とはほど遠いものであっただろうと予測される。少しオーバーな表現かもしれないが「袴姿にバスケットボールって想像できますか」と言われても、「出来ません」と多くの人は答えるだろう。明治時代にタイムスリップすれば、文明開化の音がする頃には、袴姿の男女が桜咲く校庭で籠球なる新しい体操を興じていたのかもしれない。なんて長閑かななる光景である。あれから100年、輸入されたスポーツが日本中を駆けめぐり、多くのスポーツが定着し、発展してきた。中には世界レベル、また、国技ではないかと思えるスポーツも出現してきた。野球はその良い例である。
 
 あれから、100年。
 アメリカのメジャースポーツ”ベースボール”野球は日本の独自の文化的スポーツとして日本人の心に定着し、愛好されてきた。三振、併殺、盗塁、野手、投手、捕手などなど、上げればきりのないスポーツ用語文化が野球には定着している。帰化したのである。野球を競技者としてやったことない人まで知る言葉として使われている。難しい言葉なんか必要じゃなくて、理解しやすい言葉として訳されて、定着するまでに至った関係者の勝利である。
 サッカーがプロ化された。凄い速度で人気スポーツとしてこの10年発展した。野球に追いつけ、追い越せの勢いである。でも、蹴球(サッカー日本語)で発展するだろうか。やはり成りたいスポーツ選手、第1位は野球がダントツである。

 クラッチは何を言いたいのか。
 進学した部員が「コーチが難しい横文字(英語)で説明するのです。全然ぴんとこないまま、プレイに参加するのですが、やり出すとそうなんかと思うんです。最初戸惑います。他の人もそんな言葉もしらんのかと言う顔するのですよ。馬鹿にしていた人が、プレイするとトンチンカンで、そりゃ違うでと説明してやるんですよ。そんな奴が大半なのですよ。なんか変ですよね。言葉を知っている事がバスケを理解していると思いこんでいるんですよ。」
 毎年、送り出した教え子が訴える内容である。横文字が飛び交っても、それが理解されているとは限らない。プレイの本質をしっかり指導されているか問題である。クラッチは、ニュー用語で説明されると指導者として勉強する。しかし、言語のまま、伝えて、伝わる玉(部員)じゃない。それよりも部員の感性に訴えるチームで通用するチーム弁でおおいに格好である。野球に例えれば、セットアッパーが中継ぎ投手でいいじゃない。クローザーが抑え投手でいいじゃない。

 バスケットでトレーラーが4人目の繋ぎで充分だろう。アーリーが「展開させろ」で充分だろうよ。正しくプレイされれば良いことである。バスケットコートで辞書に英語教室を開いているのじゃないのだから、プレイの質や徹底度を教えるべきである。知ったかぶりをして、競技力向上につながらない用語は必要じゃない。
 用語を勉強することは否定しているのではない。それは指導者として必要な姿勢である。クラッチの本棚には何十冊というバスケ関係の指導書は並べてある。当然、全て読まれた本である。それを自慢するのでなく、学ぶ姿勢である。伝来スポーツであるバスケットをより知ろうとする姿勢である。それをそのまま伝えて、聞ける、学べは困難なことであるレベルは存在するし、例えば、バスケのTV放映で解説者が専門用語のオンパレードで専門用語を理解している者ばかりが視聴しているのじゃないのだから、そんなことで一般のスポーツファンの心をつかめるだろうか。

 指導者は和製英語でも、私製語でもかまわない。正しいプレイとして指導すべきことである。選手が競技力向上に繋がればいいことである。ようはやる気や興味を引き出せるバスケットボール(スポーツ)を発展させたいのである。横文字文化を帰化させる努力こそがバスケ発展の大切なことではないだろうか。

言葉を知ることを無視している訳じゃない。
その技術の言葉を知っていても、機能させなければ、絵に描いた餅状態を危惧する。
成長し、その用語がこのことかと知っても決して遅くはない。
そのチームの統一用語として、活用されているのならば、それでよし。
他のチームで「○○という英語で呼ばれているが、このチームでは日本語で訳して、皆が理解して使っている」それでいいと理解している。
決して、グローバル化に異を唱えている訳ではない。

信じるか否かは、あなた次第である。

   

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー310】《観客席》 

【ある日のコーチング・カレンダー310】《観客席》
観客席から見えるもの・・・。
                           

観客席の人間模様。ある時代のある高校決勝・順位リーグ戦。
自分は観客席にいたからといって、生徒と何かをしているタイプではない。自分たちの試合の待ち時間をくつろいでいるのである。
女子の試合が始まる。
次に、そのコートで自分たちが其処で試合するとは思えない妙な感情にかぎ立てられる。
そして、ハーフアップ、試合に突入していて行くのではあるが、何か当事者ではない妙な気分になる。
コートに降りて、観客席を見上げるともう一人の自分が座っていて、自分を励ましていてくれる。”俯瞰(ふかん)”体験を経験するのである。妙な気分である。これがクラッチの感情を冷静にさせて、ゲームに集中させる環境が整わせる要因となる。誰にも見えない世界であるが、相撲界のしきりにも似た自分の世界に追い込んでいく行動が取れているのである。

試合前、4時間ぐらい前には観客席にいる。

色々なことが見えてくる。日頃じっくり見ることの出来ない部員たちの姿である。ずっと部員の側にほんの少しだけ距離をとって座っているだけなのに同化することが出来る。部員たちもいつものペースを乱すことはない。

観客席に座っていると他校の生徒や保護者の真の姿が見えてくる。
それが実に面白い。自分が今、座っている場所が応援席となる。今は一人の観客である。それがいずれ試合の当事者になる。大概の人は観客席に次の試合当事者の指導者が座っていると思わずに本音で話しておられることがある。他校の生徒も同じである。其処が実に面白い。
「○○高校初めて聞く高校やな?」
「あれ○○北と違うんか?」
「○○って、○北高校のことなんや」
って言う訳のわからない会話や
他校の保護者が「○○高って、私学?いつも観光バスで来てはるやろ。お金あるんや」
ずっこけそうな会話が聞ける。

自分たちは悪くなく会場のルール通りに応援のモラルを維持させている。にもかかわらず、「うるさい」と苦言を持ってこられるかたや応援が今や大阪男子バスケボールの名物化しているのに否定的に苦情として言われる方など話せば尽きないほど話題には事欠かない。このような方々の対応のしかかも応援団のリーダーにも指導してあり、コーチにもついてもらっている。

時には「自分たちの娘のチームに応援が少ないので、○○高の子ら応援してくれないか」と直訴される保護者が現れ、リーダーを困らせたことがあった。どう対応するか観ていると「自分たちのことで精一杯です。それに監督に聞いてからでないと・・・。」と答えると「そうやね。そんなことしたら、監督さんに叱られるわな。ゴメン、おばちゃんが悪かった。あんたら頑張りや」そして、部員が「有り難うございました」で締めくくった事がある。側に監督クラッチが居ることも知らずに応援席の大阪のおばちゃん(保護者)の会話である。その時に対応しているリーダーがクラッチの顔色を見ながら対応している姿が面白かった。

苦言を言いにこられた学校の指導者には「こんなことがありました」と必ず連絡しておく。そんなこんなで10年が経ち、大阪の応援席のモラルが出来あがり、凄い観客動員数になり、毎年の名物行事になっている。其処で6回も経験できているこの高校は成長している。
観客席は教育の場であり、人間を大きく成長させる場である。そして、母校愛、○○大好き人間を作る場でもある。コートと応援席の一体感はここから生まれるのである。

  信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー309】《安心して進学させられる学校》 

【ある日のコーチング・カレンダー309】《安心して進学させられる学校》

「学校を考えるシリーズ4」。

ある団体のHPに字に書かれた『行きたくなる学校』
新しいタイプの学校や学科ができたら行ってみたいかについて「とても」+「まあ」そう思う割合をみていくと、「学校の授業は午前中で終わり、午後はフリータイムとする(74.3%)」「自分の進路に合った教科や時間割を自主的に作れる(70.5%)」「体験学習や職場体験が授業科目にある(68.5%)」と約7割前後が望んでいるようです。特色校との対比でみると、単位制のF校では午後のフリータイムや教科・時間割の自由、パソコンでの在宅授業やプロの育成を目指す教育に、国際学科のH校では外国語の授業の選択などに強い関心を示しているようです。

そんな学校が増える傾向にある。
学ぶ側(生徒・学生)に立っての「学校」って言う定義である。
多種多様に広がる高校のニーズについていけない中学校の進路指導。昨年まで進路のプロって自負している先生たちが戸惑い、おののく状態である。
でも、進学する生徒は、「楽しそうやん」って新しい傾向の学校に群がる。
傾向ではあるが、熟していない新設高校・学科に飛びつくのである。
そんなに新感覚・感性を持った同僚が居たっけとクビをひねるクラッチである。

そんな高校の変化についていけずに3年間高校派遣で新感覚の学校を経験して、中学校にお持ち帰りする派遣システムが導入される。高校側の説明では理解できない中学校側の対策である。
でも、その先生が中学校に再び戻った頃に新しい考え方の高校が産声を上げたらどうするのかな・・?

ここで一言である。
子供たち(中学生)の要求を親たちは、本当に新しいシステムを理解して承諾しているのだろうか。本当に「行かせたい学校」として認知されていんるのだろうか。
子供が言うから、行かせる学校なのかをもう一度考えてくださいはクラッチの願いである。新しい感覚の学校を否定しているのではない。理解した上での決断なのかを憂うのである。

「安心して進学させられる学校」ってことは、中学生を指導されている先生方の熱き思いなのである。それは進路を指導されているときに過去の実績から判断されて、「君にあった学校は○○高校だよ」と言われる様である。高校とのコンタクトや卒業生などの動向を観ての指導と心得る。中学校の先生の「目にかなう」ために中高の交流を小まめに行うのである。それは信頼関係である。「育てる」という観点を考慮の判断である。それには長い月日が必要である。お互いの努力の結果で高校は成り立つのである。”おべんちゃら”を使うのではない。「このような教育方針で、このような雰囲気で、このような生徒を育てて、こんな実績がありますよ」と実践し続けた信頼関係からなる。
だから、「行きたくなる、行かせたくなる学校」は中学校の先生の理解なくしてあり得ない。「安心して進学させられる学校」とは、生徒・保護者への橋渡し役である中学校の先生に上手く伝える必要が出てくる。それが非常に大切な要因の一つである。

信じるか否かは、あなた次第である。

こんな学校の環境下でも、頑張る教職員は存在する。
スポーツでも私学傾向が強くある。
公立高校じゃ、無理ではの声に負けてもらいたくない。
工夫一つで学校は変われる。
また、その中の部活動も変われる。
その要素を引出して、頑張っていただきたい。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー308】《学校の中身を知っている?》 

【ある日のコーチング・カレンダー308】《学校の中身を知っている?》

「学校を考えるシリーズ3」。

「本当に高校の中身をご存知なのですか?」

あの学校は、しつけが出来ているだの、
あの学校の先生は、良いだの、
あの学校は、ガラが悪いだの、
良いも悪いも、本当にその学校の内部を知っているんですか?
と言いたくなるような発言が飛び交う。
合同学校説明会の待合室などでのお母さん方、お父さん方の会話の一部である。
そして、受付に積まれた各高校のパンフレット、人気校からなくなって行く。

自分の子供が行校とする学校の評判を落としたくないので
「あの学校、熱心な先生居るらしいで」的な発言があり、
「あそこの学校、しつけ悪いいから」的な発言は、自分たちの子供がいけないか、「私の子供の行く学校よりは、ダメ」って発言になる。

でも、それって、子供の真意を問う発言なのかはいささか疑問である。
この井戸端会議的な発言には、真実も含まれているだろうけど、ねたみや僻みも含まれている場合もあるように思われる。
だけど、この保護者の口コミが恐ろしいのである。
悪い評判>良い評判の構図で悪い評判が広がるともう大変である。それを覆すには凄い動力と月日が必要となる。

クラッチは、色々な学校説明会でプレゼンテーションをしている。生の声、生の感触をまともにうける良い機会にさらされている。
嫌な気を感じれば、それを振り払うためのプレゼンに気を注ぎ、
好い気を感じれば、調子に乗り時間を忘れて、喋り捲り、画像の変換を忘れることしばしばで、時間オーバーで主催者からお叱りを頂くこと多々ある。
学校説明荒らしでマークされているクラッチである。
だから、舞台に立つ(大概の場合、市民会館など)前に、「時間厳守でお願いしますよ」って、必ず言われるし、「本音の発言でなかなか興味深かかったのです」と皮肉っぽいお言葉を拝聴する結果となる。

このプレゼンテーションは、大まかなところを計画して構成していく。でも、その場の雰囲気を感じ取って、しばしば変更路線をあゆむことがある。それなりに対応して、リアルな高校事情を本音で語らしてもらっている。
他の学校は、校長先生か、教頭先生が説明されることがほとんどである。自校の良い所を強調される内容がほとんどで、聞かれる立場では「そんな良いことばかりなんや・・・?」の疑問符が飛び交う会場である。この発言で、また、お叱り被る結果が飛び込んでくるかも。
そこにクラッチの本音論が会場の雰囲気を一掃させる訳である。面白おかしく、保護者の立場に立ってのプレゼンテーションを開始する訳です。良いことばかりの羅列では、かえって信頼は生まれない。この学校の現状、いや高校界の現状を訴え、あえぎ苦しんだこの学校の過去の取り組みと現実、教員の苦悩等を生の声でお聞かせする。会場の雰囲気は一変する。

なんでそんなこと判るねん?
その気を感じながら、話を進める特技をクラッチは持っているからである。

それは差し置いて、本音の学校紹介を繰り広げるものだから、寝ている人も起きて聴いてくれはる。それが嬉しくてたまりません。ついつい時間を忘れます。
すると主催者から「時間のオーバー早く終われ」のサインが飛びかう会場である。
「でも起承転結あるやろ!もうちょっと、待ってぇな」って心で叫びながら、平教員クラッチは引き下がるしかないのであります。
「ではこれで終わります。お子様方の受験を心からお待ちしております。ご清聴ありがとうございました。」で終わると大きな拍手を頂くことになる。ここが平教員クラッチの強みである。義務的じゃないのである。ここがこの学校のねらい目である。これを許してくれる本校の校長先生に大感謝である。
この職場の関係を察知される保護者が、この学校を違った目で見ていただく要因となる。
このHP「行かせたい学校」というお題から「行かせたくなる学校」にほんの少し変貌するのである。
「行かせたい思い」は誰が持つ?
保護者です。
その保護者が「行かせたくなる学校」って思い出していただければ、
きっと、子供(中学生)は「行きたい学校」から「行きたくなる学校」に心が動き始める。

バスケ部の子は何度もこの学校との交流があり、最後の決断をしている。
その時、クラッチはリクルートの声をかけることはない。ありのままのこのバスケ部を感じ取ってくれれば、それで良しである。それで他校に進学したからって、その子の判断である。その場所で最高のパフォーマンスを目指せばOKである。
でも、悪口だけは言われたくないのである。
そのことはよくあることである。せめて自分たちはその行為だけは避けようと心がけている。

それが成功の味噌である。漬け込んで熟成させれば、味噌好きな万民の方から指示されることが予想されるのである。

今度は「入試で行列の出来る学校」を目指して頑張ろう。
それには協力者が必要である。
「安心して受験させられる学校」への信頼を頂くことである。
それは誰・・・?次回のお楽しみである。

信じるか否かは、あなた次第である。

では、学校を考えるシリーズ4へ

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー307】《行かせたくなる学校》 

【ある日のコーチング・カレンダー307】《行かせたくなる学校》

「学校を考える」シリーズその2。

この題名、少しカッコつけすぎですよね。
でも、深刻なことなんです。

では、昨日の続きで、今日は「行かせたくなる学校」に入ります。
昔不人気、今人気、のちに廃校。
世の中、少なくともある沿線、ある地域では、いやもっと小さな所でかも、その地域で 人気上昇し、評判も少し上昇している。

でも、もっと良い学校に変身させたい。
欲張りかも、バスケ部だけでなく、「みんなが行きたい学校」にしたい。
どうしたらいいんだろう・・・?が頭から離れない。
学校自体に魅力がなければ、バスケ部だって輝いて見えないのでは・・・?

茶髪やだらしない服装や通学態度や遅刻が多いなどをなくする。
そんなもん、どこの学校だって存在するこっちゃ。
でも、イメージで語られると悪く言われてしまう。
これって、損やねん
この部分を取り去ろうにも、潜在意識がじゃましよるねん。

ある時に「ギャルサー」って言葉を知る。(今は死語カモ)
渋谷に夜な夜な出没するヤマンバ・ギャルの集団のことである。
公立、私学にかかわらず高校から逃げ出したり、退学したりした女の子達がサークルを作り、演奏会やダンスショーを自主運営しているサークル、それが「ギャルサー」である。こんな報道番組をボォ~と観ていた。
このサークルには、ルールがある。それが模擬学校的なルール(おきて)なんである。
18歳で卒業とか、まさしく学校の校則そのもののようなルールを作っているのである。
不思議な気持ちでテレビ画面を観ていた。

ここから、真剣に画像とアナウンスを観たり、聞いたりしだした。
もともとある学校や校則を嫌って、その組織から飛び出したり、逃げ出したんと違ううん。そんな目で、耳でこの番組にクラッチは集中しだした。
「学校、嫌いやったとんちがうん?」
「守れもせん、ルールつくるなよ」
「制服まともに着てなかったん違うん」
などなどを画面に向かって、一人口走るクラッチであった。

でも、この女の子ら、「やるやん!」って面に目を向けさせる表現が次々に出てきた。
ダンスショーを自主運営、講演するのに係、役割を決めて、資金の調達などを必死でする姿にスポットライトを浴びせている。素直に「やるやん!」と見直した。

ところが大事なショー直前に、離脱者、逃亡者がでる。
無責任な行動にでる子がでる。このサークルにむなしさが走る。
必死になっている子が、絶望感を味わう。
そんなところで番組は終わったような気がする。
でも、学校を考えるに印象に残る報道番組であった。
もし、これがやらせ番組でもかまわなかった。私が考えるに充分な番組だった。

そこでこの子らが作った組織に、何故、サークルを学校って考えて、校則、卒業などを作るのだろうかって点に眼を向けた。

滅茶苦茶していたが、「学校」が好きだった。
でも、この子たちには居場所がなかった。
理想郷ではないが、ちょっと厳しいが心優しい先生が「学校」に居た。
そして、喧嘩しながらも、仲間が学校には居た。
優しく送り出し、迎えてくれる「家族」、「家庭」、「親」が其処にいた。
それがささやかな夢であった。
しかし、夢破れ、「学校」を、「家」を飛び出した。
にもかかわらず、「学校」を自分たちの手で創ろうとした。
戻る所は、「学校」、「家」なんである。

でもね、好き勝手を受け入れる「学校」ってありえないよ。
特に、高校は社会に出る際の最低条件「他人に迷惑をかけない分別を教える」を習得する最後の場所なんだよ。

それは高等学校の仕事じゃないってか。

多くの若者がその時期に、「家」を巣立つ、「教育界」から育つ最終機関であることには間違いない。

其処に到る所で様々な難所が存在していたはずである。
その難所をクリヤーして来たかのように見えるが、先送りにしていたに過ぎない。
難所を通り過ぎるときには、苦難がある、ストレスが伴う。それを解決すれば、「やったー」っていう成就感がある。それを体験させぬままに「高校」って時期を迎えさせてしまっている「家」、「社会」の存在が気にかかって仕方がない。

もし、一つ一つのステージを葛藤しながら、クリヤーして年齢を重ねてくれば、その方法は多種にわたろうが何とかなっていたはずである。
その何とかとは、逃避って生き方じゃないものをマスターしていたはずである。

そこで本題の続きである。
「学校」って言うお題で「行かせたい学校」考察である。
「行かせたい学校」って言う発想は、誰が持つものなのか、それは明日に持ち越します。次回のお楽しみである。

テレビの番組じゃあるまいし、大事なことを引き伸ばすなってか・・・・。

シリーズその3に続く。
勝手にシリーズ化しています。
信じるか否かは、あなた次第です。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー306】《行きたくなる学校》  

【ある日のコーチング・カレンダー306】《行きたくなる学校》 

「学校を考える」シリーズその1。
「学校を考えるシリーズ1」。

逆転の発想
「行きたい学校(高校)」を考察する前に、「こんな学校(高校)、行きたくない」ことを考えてみれば、「こんな学校(高校)に行きたくなる」ことが連想されて、見えてくるかもである。
大人が考える視点ではなく、15歳世代の視点の考える、また思う「行きたくない学校」って、「どんな学校?」

参考意見1(インターネットより検索)
授業の崩壊、友達との信頼関係、どちらもなぜ勉強するのか見失っていることと複雑にからみ合って深刻にしています。学校は友達関係に悩み、人格を破壊するために行くわけでも、授業中に遊ぶために通うわけではないのです。学校は何をするために行くのか、その意味をもう一度再確認する時なのかもしれません。学校に行きたくないのは誰でも経験することでしょう。そこでどう考えて行動するかは個人の問題です。今のままじっとして我慢するのか、それともひとりになっても旅立とうとするのか。

参考意見2(インターネットより検索)
1,今の○○高での学校生活についてどう感じているか答えてください。
その理由
○エンジョイしている。 8人
 クラブ。 先生との会話。 友達との会話。 友達と一緒にいるとき。
 好きな人に会える。 みんなと騒いでいるとき。 クラス行事に参加しているとき。
○苦痛だ。 13人
A.勉強‥授業に興味が持てない。授業を受けるのがだるい。勉強についていけない。  テストの為だけの勉強をしているみたい。
B.友人関係‥喧嘩をして気まずいとき。
C.校則‥勉強などに関係のない校則が多い。服装に対して厳しい
D.教師‥厳しい。怒り方に許せるのと許せないのとがある。言っている事とやってい  る事が違う先生とかがいる。大人げない先生がいる。冷めた先生が多い。
○どちらでもない。 12人
将来の為。友達がいるから。高校は卒業しておきたい。家に居ても暇やから。学校にいけるのは今の内だけやから。受験に受かったから。しかたなく。来なあかんから。就職の為。将来したい事があるから。卒業の為の出席日数稼ぎ。友達としゃべるため。

参考意見3(インターネットより検索)
ある地域の取り組みスローガン
「どう創る?行きたくてたまらない学校・学びのある教室」は、現実の裏返し。
つまり、実情は「行きたくない学校・学びの無い教室」ってこと!?
・子供たちだけでなく、教職員の為にも必要な改革
それに対して具体的取組
「○○3小学校」
・克服すべき状態
①学習そのものが解らない
②学習に向き合えない
③学習してわかったつもりになる
④学習した事が使えない
     ↓
・わかる学習に必要な要素
①一人一人に合った学習の進み方
②一人一人に合った学習方法
③一人一人の興味・関心・意欲を引き出した主体的な学習
④一人一人に対する基礎・基本の確実な定着
⑤一人一人が獲得した知識・技能・原理を使い応用できる学習の場


この参考意見1~3だけ考えた。
目が止まった部分。
その1 参考意見1:授業の崩壊、友達との信頼関係
その2 参考意見2:苦痛だ!
その3 参考意見3:わかる学習に必要な要素 

発見、「行きたくない学校」って個人を大切にしない学校なんだ。
ってことは、裏を返せば、「行きたい学校」は、「一人一人を大切にする」ってことなんだ。
そうなんや、なんで、こんなことが理解できていなかったんだろうか?

と思ってから、しばらく考えたが。
でも、すっきりこない。
う~ン、ちょっと待てよ。個人を大切にするって、一人一人の要求を呑めってこと・・・?
家庭や塾じゃないんだから、学校は仲間社会じゃないのかな・・・?

参考意見3の「わかる学習に必要な要素」の具体例は良い意見ですよね。個人(一人一人には)聞こえは良い。でもね、教室で一人一人を大切にする余りにおかしくなってるのとちがうんって思ってしまった。生徒や子供はそんなことを思っているのかな?これクラッチの素直な疑問。

じゃなくって、学校、教室、部活動なんかの仲間の中で伸び伸び出来る個人って所に、光を向けて欲しいね。
それが一人一人、悩むって所とちゃうんかな・・・?

その後、続きがありました。
参考意見4をどうぞ!

参考意見4(インターネットより検索)
「行きたくてたまらない学校」ってどんな学校?
・「なんで、勉強せなアカンねん!?」と子供に言わせるようではダメ。
・「何故、勉強をしなければならないか?」そこから教えよう。
・『教育とは脳を鍛える事』だと言う意見に賛成なので基礎学力がついていることが基本
   ↑ツッコミ「基礎学力が確立していれば行きたくなるのか?」
 「行きたくならなくはならないのでは?」
・自分の意見を聞いてくれる学校
・友達が沢山いる学校・勉強がしたいな、と思える学校
・自分が大切にされる学校・自分の成長が実感できる学校
   ↑毎日の授業の中で実感して欲しい…などの意見が出ました。
◎まとめ
・自尊感情「自分は大切にされている」→存在意義の肯定
     「自分は出来る」→達成感・自信
・授業の理解
・生活指導の中で実感

この教師集団は素晴らしい。
仲間って集団を意識している。
そうなんです。仲間を意識できて、自分の居場所のある学校が行きたくなる学校なんや!
そう、今、クラッチが凝っている言葉『アデンティティ』、自己の存在証明ってやつですよ。

では、また明日(行かせたくなる学校って?)。

PS:ところで、仮に「行きたくなる学校」があるとしよう。
   それは、どうして知ったんだろう。
   噂、実績・・・・。
   どちらにしろ、情報発信源があるはずですよね。
   「行きたくなる学校」に入学していく生徒は、本当に、その学校の良さを見たり、体験したのだろうか?
   その情報源を探索すれば、解決するかも・・・?

「このシリーズ2」に続く

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー305】《3つの層》 

【ある日のコーチング・カレンダー305】《3つの層》 

学校を考える・・・・。
「3つの層を考える」。

全てのレベル(層)に平等になんてことは、自分には考えることはできないし、思いつかない。例えば、教室での学習に3つのレベル(層)が存在するとして、3つの層に分離して並び替え、一つ一つの層単位にターゲットに的を絞って、指導する。それはクラッチのとっては、非常にやりやすく、指導される側に満足させる平等感を可能性にすることはできる。全ての層を同時に満足させようとするから無理があるのである。
この考え方に対して、その層を別々に指導することが差別感を生むと言う考え方を主張する人が存在する。でもね、その人たちにその方法を聞こうとするとクラッチを満足させるような、しっかりした答えが返ってこないのである。

わからない子をわかるまで指導する。
聞こえは良いですよね。
でもね、同じ教室でわからない子をわからすまで、じっと我慢して、退屈にしている層が居ることをしているのだろうか?
また、その逆も教室では成立している。

それを追求すると「後で個別に指導する」っていう答えが結構、返ってくる。
でもね、放課後、質問にわざわざ来るようなら、こんな問題を提案しない。
勉強より、バイト。勉強より、オシャレの生徒にそれを望むんですか。
それを言い出すと部活動、特に運動系の生徒を同じような扱いをする人が居る。
「そりゃないやろ!」と言っても受け入れてくれない人は存在する。

それだったら、同レベルの子ばかりを集めて同時に指導すれば、飽きなくって安心して、教えることも、学ぶ姿勢も出来てくるのではないだろうか?

レベル別にすると層別格差が出来る。「それは教育じゃない」っての主張が返ってくる。
所詮能力には格差がつき物である。全ての子の能力が同じであることや同じに使用っていう発想事態がナンセンスである。

出来ないのなら、出来るようにするには教え方に2つの考え方あり、どちらにしろ教えて、理解できるようにするこの共通の発想があるとするならば、レベル別わけて、音字テーマで指導することが先決ではないのだろうか。
指導する側の勝手な押し付けで、同じ教室で出来る層&出来ない層や興味ある層&ない層をごちゃ混ぜにする必要はないだろうと思われる。

指導する側の本音でいうと最も下のレベルばかり集めると教え難いってことがあるのではないだろうか。
授業を聞かない、学ぶ姿勢がないなど、騒ぐからしかないなどが悪いイメージがよぎるのでは・・・・。

では、上のレベルが本当に学ぶ姿勢があるかって・・・。必ずしもそうであるとは思わない。
これは教える人と学ぶ人との共同作業では・・・と思う。
と言うことは、レベルにあった教え方をする人(「教師」)を抜擢することっではないのでは・・・。
極端に言うと中学・高校・大学とトップを歩んできた人が教員となったときに、少しの荒れや学ぶ姿勢が全くない層に入って指導出来るとは思い難い。そういう荒れを作る状態の生徒の心境を理解しようにも、できそうもない。
全てがそうであると言うものではなくて、指導対象にあった教員を抜擢すべきである。スポーツ嫌いの教員を体育科に派遣しているようなものである。スポーツする生徒の気持ちが理解できる確率は非常に低いと思われる。

今、クラッチは上と下の層を捉えて話をすすめてきた。
もっとうんざりしている中間層が存在し、実はこの層が最も置いてきぼりをくっているのである。この数のほうが圧倒的に多いのにもかかわらず、この層ことの論争はされずに、ものを言わないので放置したままなのである。そして、この層が押し殺している不満、「」俺たちどうしたらええねん」「どうしてくれるつもり」の感情は水面下に消えていくのである。
消えていくというより、潜伏していくのである。水面下にある問題の渦は急に浮上することがある。
この不満が教育界に対する最大の不満として、根強くあることを気づいている人(指導者)動かないとダメである。

この論争は教育界では常にある。

では置き去り成された中間層に目をむけて。
日頃は、上と下の層の教育論ばかりが論争となり、無視され続ける中間層に目を向けられない傾向がある。
教育界、社会がややこしくなって行くのである。中間層はどちらにも靡く。この層に目を向けてを高めなければ、下の層は絶対に上がらない。一番下の層を2つも3つも上の層を見なさいなんて教育自体が可笑しいのである。せめて一つ上のレベルを見ようって勇気つけ、努力させることの大切さを教えるのが急務である。色々な層が細胞分裂を繰り返し、修復不可能なレベルが存在してくる。「多様化する生徒のニーズ」なんて言葉が出ていること事態となっている。そんな全てのニーズを満たせる教育なんて存在しませんよ。人間性無視しなさいって言ってるのではない。画一教育を推薦しているのではない。色々なレベルをごちゃ混ぜにするなってことを言いたいのである。そのことを最も知っているのが、教育される側の生徒であり、児童である。
でもね、何年も過かって出来上がった構図は、簡単に、”ぶっ潰すこと”は難しい。
あれ~、「ぶっ潰す」って、どこかで聞いた言葉・・・。

長々と講釈を言ってきたのは、良い学校って、どんな学校ってことを考えていたら、こんな文章になってきた。
クラッチって理屈っぽいね。こんなんじゃなかったのに・・・。
「ああでもない。こうでもない」と考えているうちにこんな教師になりました。
もっと単純でおもろいものを目指すべきですよね。

では、「行きたくなる学校」って、どんな学校。
では、「行かせたくなる学校」って、どんな学校。
では、「安心して入学させたい学校」って、どんな学校。

これが本題である。では、この続きはまた明日。

信じるか否かは あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー304】《噂》 

【ある日のコーチング・カレンダー304】《噂》

噂を信じちゃいけないよ。
「噂って恐ろしい」

ある時代のある時、中学校訪問へ行ってきた先生からこんな話を聞かされた。

その席上で「○○高のバスケットボール部って強いんですね!?」
この会話で「バスケ部は高く評価されてるンや」って

次に「其処で3年間、続けるって凄いですよね」に
益々、心で「良い評価を得だしてるな」って思って、話に耳を傾けていた。
この時点で話されている先生は、目の前の人がクラッチと同じ体育科の同僚でいつも一緒に部活の時間を過ぎしている教員とはわかっていない。一教師として、○○高をアピールしに訪問しているのでその一教員として、お話なさっている。
話が進み、次の言葉に仰天である。
「聞いた話なんですけど、バスケ部は、1年生の間、応援ばかりでレギラー練習の間は外を走るだけなんですってね。そこを耐えているから強いんですよね。根性据えていかないと駄目ですよね」
とビックリの発言に思わず、ずっこけるし、どの様に対応して良いものやら・・・・。

そこそこ、この話の終盤になり、このままでは噂が本当になってしまうと判断された。
「バスケ部は、そんなことありませんよ。毎日、50人の部員が一緒になり、上級生、下級生の区別無く練習していますよ。外で練習されている姿なんて見たこともないですよ。自分たちの目でみても凄いなって思っています。」と名誉挽回のために言ってくれたそうだ。
それに対する返答は無かったとか・・・。
そう思いこんでおられるようだったとか・・・。

誰やこんな噂流す奴は、責任者出て来い・・・。

こんな噂がどうして流れるのか?発信源はあるはずである。
部員たちは、自分たち全てにチャンスを与えられる部の方針に頑張るイズムを見つけ出し、頑張っていると自信を持って、胸を張って言えるのに。この噂に、なぜ・・・?である。

50人で上級生・下級生、上手い・下手が一緒に練習していることが想像できないから、このような発言になったのか?強いチームのイメージがそうなんか?ビックリである。クラッチのイメージが強権って映るのか?
とにかく、世間は、そんな目でこの学校のバスケットボール部を観てるンや。寂し~い。

そう言えば、10年ほど前にも、目の前に居るクラッチに対して、「こんな先生、知ってます?」と切り出されたことがある。こんな先生とクラッチ自身のことである。
”こんな先生”って、この時は悪い意味で話されているのでなく、”こんなに頑張っている”という意味でかなり長い時間はなされていた。くすくす笑って、横に居た知人が”生クラッチ”(本人)を指さして、「この人に似てませんか・・・。」って言うと。
「いや、違います」って自信を持っていわれる。
その場の本クラッチは、「俺は誰・・・?」って”ソフィーの世界”に突入して、おかしな気分でお酒がすすんだ。

その当時、この学校のバスケ部は本当に弱かったので、少し馬鹿にされていたのか、自分が知っているクラッチの前チームとは想像できないチームだったのでクラッチとは気づかなかったんでしょう。
「国体の監督していて、ユニークな指導される方ですよ」とまだ、生クラッチだとは認識していただけない様子で、過去のクラッチの噂話に参加して、この人以外の先生方を笑いの渦に巻き込んでしまった。
その先生に「あの先生(この先生が信じる擬クラッチ)は、日頃、歌は上手いし、男前やし、気っぷが良くって、本当に”お水”にもてるんですよ」って言うと
「そうでしょう!」
「(本人を知ってんかい)・・・?。」
この先生と酒なんか一緒に飲んだことも、練習試合もしたこともないはずなのに・・・。
酒の肴にもってこいと、クラッチの”大ほら”は続き、夜の更けるのも忘れてしまいました。
宿舎に戻るとなんと同部屋、この先生、懲りずにまだ過去のクラッチの話を続ける。
そこで、明日のことを考えて寝たいので、”名刺”を渡す。
其処で、「元○○高校の倉田です。今日は楽しいお話を聞かせて頂いて、非常に楽しかったです。お休みなさい」と床につく。

そして、朝食。
「昨日は失礼しました。先生が本物(のクラッチ)だとは、つゆ知らず・・・。」
「楽しかったですよ。今夜も同室なので、また楽しい話を聞かせてください。」
その夜は、ずっと黙っておられて、静かな飲み会となりました。
「噂を信じちゃいけないよ。」・・・山本リンダの教えより。
 
信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー303】《チームを面倒みるってこととは….》 

【ある日のコーチング・カレンダー303】《チームを面倒みるってこととは….》

 チームを面倒みるってこととは・・・・。
10月8日クラッチ広場
「いつまでもでない結果に対して」。

いつまでもでない結果に対して。
劣悪までも行かなくとも、良い環境じゃないことを何とかしたい。善なる心が働いて、もがく心を持ちたい。その心がほんの少しでも前を見ようする心が働く。現状が如何に悪くたってかまわない。
変わろうとする心の持続がきっと環境の変化が創造できること信じている。そんな指導者の仲間を多く知っている。その指導者たちがもがき苦しんでいる姿を知るだけに、成功された例を聞かされると本当に嬉しい。
でも、何とか変えてあげたい、何とか勝たせて上げたい、何とかか希望を与えたいなどと聞かされても、変化のないチームや学校がある。自分もその一人もしれない。だから、常に前を見ることにしている。「これで良いのか?」「こんなもんじゃないだろう?」「何かもっと良い方法があるはず・・・」等々と日々模索する。
その結果が競技・大会に出る部活なら勝敗もその一つだろう。この表現で書くと「勝利至上主義ですか?」等の批判が飛び込んでくる。
・・・じゃない。
結果が見えてこない努力に部員の心が動きますか?
理解できない授業内容で生徒が目を輝かせますか?

ある大会(公式戦ではない)のパンフレットのチーム紹介に「この大会に出ることが夢でしたとか」、「3年の最後のこの大会に入賞することが・・・。」などと書いてあった。
「そうじゃないだろう?」とクラッチは思ってしまう。
公式戦で勝てないから、せめてこの大会でとの念る気持ちだろうけど少し違うような気がする。その会場での色々な先生方の会話にそのような事を臭わせることを言われる指導者も居られる。
「この大会で得るものはたくさんあります。来年も参加したですね。」
これは理解できる。
そして、次年度、再会したときに向上した痕が感じられるチームや部員たちの変化があれば、「そうなんや。この大会の意義はそこなんや」って強く思える。
変化が無く、再会しても同じ事の繰り返しでは・・・・?

同じようなことがあっちこっちで感じる。その一人に自分がなっているのでは変化を考える。同じ事をして、同じ結果なら自分自身が変わらなくちゃ。

時には人の手を借りてでも、そう思うこともある。人の言葉を聞く姿勢はある。でも何でもかんでも、人の意見ばかりじゃ、指導する側は良いだろうけど、指導される側は、その度に変わる指導者の変化について行けるだろうか?自分というもの、アイデンティティ、信念などで表現される部分で、コロコロと変化していては、戸惑うのは誰だろうか?
・・・生徒、部員、選手である。
この指導方針で、このような方法で、このようなレベルで戦う姿勢をもって、勝利を目指そう。その時の方法に行き詰まりが感じたときに、他人の手を借りる。これは大切なことである。でも、何でもかんでも受け入れるっていうのは、凄く疑問に感じる。
「だってそうでしょう。」って言葉が思わずでる。
速攻が上手くいかないから、速攻の得意な指導者のアドバイスをもらう。
これは理解できる。
でも、その時にスローペースのセットオフェンスの得意な指導者のアドバイスを全面に受け入れて、突然、「今日からセットオフェンスのチームにする」って言われても誰が戸惑うって、選手でしょう。時には、この言葉に目覚めて大変身で大成功、その後、このチームは変わり、勝つ確率が高まりトップチームになった。この話は希にある。そのことは理解できる。
ではなくって、刻々と変化させていってしまっては選手の戸惑いは想像出来る域である。

どのようなチームを育てたのか?
どのような方法を基盤にするのか?
などをしっかりと掌握し、チームが納得すれば、前向きなチームは創れる。
この部分で揺れ動いていては、良い指導領域には突入できないのでは・・・・?って考える。

一つのチームに一つのイズム(考え方)を持って欲しい。
それがポリシー(理念・方針)となり、プライド(誇り)となる。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー302】《楽しさ スポーツとの出会い》 

【ある日のコーチング・カレンダー302】《楽しさ スポーツとの出会い》

スポーツする楽しさを知る年齢って、いつ・・・・。
「バスケの出会いを大切に」。

ある時期、3年間ほど地域のミニバスを立ち上げチーム創設に関係したことがある。
現在はご縁あって、大阪ミニバスケ連盟会長をさせていただいている。
地域の子供から、”監督”っていうあだ名で呼ばれていた時期がある。その時に子供の成長を願う多くの親たちの出会いがあった。ミニのシステムは多くの子をコートにたたせることにあると理解していた。一試合で10名は絶対に必要なルールである。これは多くの小学生にバスケする楽しさを味わせる素晴らしいルールである。その中で消極的で自信が持てない子供との出会いもが少なくなかった。私たちのミニ組織は「勝たせて自信をつける、しかし、決して勝利至上主義にならず、スポーツする楽しさを学ばせたい」という方針を立てました。ですから、親たちが運営する組織として、多くの大人が関係することで、自分たちの町の子供を地域で育てようって考えた。そのミニチームは、現在も余り強くはないが、そこから育った子供が高校生になり、大学生となって、そのミニで育った子が後輩を指導する楽しい組織となった経緯がある。

そこで”本題であるが、子供の適正ってことと出くわしました。最もいい状態は、子供がやりたいから、バスケを選んだ場合には、自分が上手い下手で子供は判断していません。楽しいかどうかですが基準になっていました。子供自身の判断ではじめたことには、伸び伸びってことになるようです。でも、親の判断で与えられたときには、少し異なる動機なるようである。親としては、スポーツで鍛え、人間関係を作ってくれればなあって考えるようである。これは間違いではない。子供は親が大好きである。無意識に親に気に入られように行動をとる。でも、子供自身は、スポーツすることや競技することがあわないことがある。すると拒否することがある。そのサインが「自分は運動音痴だし・・・」や「今日は行きたくな・・・。」って言う部分がでてくる。だから、積極的でなくなる、ミスをする。益々、興味が薄れていく。

そして、集団ですので、他の子と比べてしいがちになる。チームスポーツは社会性の育成には最高って、私自信思っている。でも、子供社会って残酷なこともある。できない子を疎外しがちなる傾向があります。そのことを子供が感じて、益々楽しさを見出せないようになることがある。誤解しないで欲しいことは、その組織にいじめがあるってことではない。それが子供の正直な感情であるってことである。楽しくやりたってことが子供の原点なんだと私は理解している。

それと年齢的なことが関係している。ミニバスが何故、小学4年から試合に出られるかってことです。ゴールデンエイジを迎えるまでには、この小学4年が精神機能や運動機能発達の分岐点になる。いわゆる大人の体への第一歩を踏み出すことになる。ここの指導が最も難しい時期である。親が子供の成長を心配するのは当たり前である。スポーツを初めて、その楽しさを自覚できる、年齢適正ってことが浮上する。早い時期に競技性の追及と指導では子供の負担になっているのではと思われる。

ある保護者がスポーツする大切さを学ばせようとクラッチの○○物語を小学校低学年に読ませた。ありがたいことである。でも、高校生でも反応できないことは多々ある内容のものである。その内容に小学校低学年ですこしの感動と興味を持ったと聞かされまた。凄い事ですが、無理があるのではないだろうか?実体験がなく、スポーツするたのしさや成功感が自分のものにしているとは言いがたい年齢には早すぎる。

あの天下のニューヨークヤンキースの松井は小学1年から野球を始めたが、レベルの違いで一度は野球を断念している。このレベルとは技術的なものではなく、精神的なことである。小学一年と6年生では大人の年齢差以上のすごいことである。それが何故、現在のような偉大なアスリートになったのか。それは成長してから、再び野球に出くわしたのである。その年齢が5年生である。それまでは自分が最も興味のあることを続けていた。それは柔道、もし、野球を続けていたら、コンプレックスになっていたと思われる。すごいお兄ちゃんたちと常にしているので、自分はできない子、上級生には邪魔な存在になっていたかも知れない。

この松井を救ったのが指導者の一言である。「柔道もやりながら、野球もしたら・・・」です。この時の野球少年”松井”はそんなこともできるんだと有頂天だったに違いない。焦らずに他のことに興味を示されるなら、そのことも大事なんではないだろうか。別のことをやりたい感情があるかどうか、そのことを感じ取る。押し付けになっていないかを判断しなければならない。

小学校低学年の子を特例で預かった経験がある。いつも、いつもコートに入らず、ボールに触られずに舞台の隅でめそめそと泣いている子がいた。でも、その子を無理やりにコートに入れようとはしなかった。その子は練習を休もうとはしなかった。お兄ちゃんやお姉ちゃんが楽しそうにバスケする姿を舞台の袖から、こっそり見ていたのである。でも、子供心にあんなふうになりたいが
入る勇気が持てなかったのである。もしこのときに、大人がこの子はダメだと烙印を押してしまったら、どうであろうか。多分、スポーツ嫌いな子供を作っていたどあろう。

泣きじゃくっている目でコートで楽しくプレイするお兄ちゃんやお姉ちゃんを見つめていた。
この目を見逃してはダメである。

その子が現在、どうしてるか、高校でバスケするいい少年に成長している。指導者として最高の喜びを後日、体験することになる。なによりも親御さんがそう思われていたのではないだろうか。この例の子にとって、大きな兄や姉ちゃんに混じってするこては、すごくしんどかったようある。でも、同級生が入部してきたことで伸び伸びしだしたことが証明している。
子供の成長期に神経質にならないように配慮する。そして、スポーツ楽しみましょう。楽しくなければ、スポーツじゃない。

ビバ、バスケ!

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー301】《分岐点》 

【ある日のコーチング・カレンダー301】《分岐点》

ビジネス情報番組(テレビ東京)カンブリア宮殿(2015・4・30放映)
はままつフラワーパーク理事長塚本こなみ氏(女性)の提言の言葉
「感動分岐点を超える園作り」の『感動分岐点』にコーチング魂の食指が動く。

ゲーム(公式戦)における勝敗の「勝つと負ける」との間にある別れ道。
なぜ?勝ち、なぜ?負けたかの別れ道は存在する。
単に弱いから、強いからだけで勝ち、負けの別れ道は存在する。

勝てば、歓喜と感動は自覚できる。
負ければ、落胆と悔しさで支配される。
誰だって、負けを想定した戦いに挑まない。
やる前から負けを思うチームの話ではない。何とか、勝利の可能性を模索するチームの話である。その成功へのマネジメント考察のヒントをいただいた。

出来ないことを考える前に、出来ることを考えて、提案し、言葉にする。
チームに云い続けた87.5%の可能性へのチャレンジが別れ道=分岐点ではとTVを、スポーツチームマネジメントに置き換えて観ていた。

『やるか、やらないか』、『やる』を選択すれば、50%の成功への可能性の道を歩める。
「たった50%?」と思い行動しない人、チームの可能性はゼロ%である。
『やる』を選択して、行動を起こせば75%の可能性と遭遇する。
更に修正・改善を加えて、限りなく成果を出そうとする姿勢でその可能性は87.5%となる想定で『やる』を続ける。

更にこの87.5%の次の可能性へ、残り12.5%の可能性に如何にチャレンジするか。
そして、100%(成功)の感動を得る可能性をチームに提案する。
それが指導者の仕事であり、チームでの役割であり、使命である。
個々が出来た感動をものに出来る『別れ道(分岐点)』が見えだしてくる。
成功の感動を描けることで具体的努力が見えてくる。
試合終了の笛がなる。
その時、感動の歓喜をイメージしてみてください。
勝者として、きっと、笑っているでしょう。
常にこのサイクルイメージして、行動しましょう。

厳しく指導するも、スキル、メニューづくりの先にチームのみんなが『微笑んでいる』ことを想像し、チームをマネジメントをする。
今、その時、嫌われたとしても、きっと試合終了後の笛は笑って聞かせてみせる。
そのことを想定して、チームに関わる。
それがチームマネジメントの礎である。
感動へ導く分岐点は日々の今にある。
今は未来で得る『感動』へのスタートラインである。

そのことを再認識したTVでした。

信じるか否かは あなた次第である。


category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー300】《もうええわ》 

【ある日のコーチング・カレンダー300】《もうええわ》

成功者の意見は聴くもんや。

「もうええわ」。                         

プロ野球選手古田捕手の現役時代の話です。
古いかもしれないがコーチ・カレンダーに加えたい一つです。
お読みください。

古田が「マツケン」にぶちキレた(日刊スポーツより)
 一瞬でブルペンの空気が変わった。ヤクルト古田敦也捕手(39)が19日、自由枠ルーキー松岡健一投手(22=九州東海大)に強烈なカミナリを落とした。
 ボールを受けていた古田が速球とカーブしか投げない松岡にフォークを要求。ところが持ち球でなく「いや、まだ練習中なんで…」と結局投げなかった松岡に怒鳴り声を浴びせた。「一生投げへんのか! 」それでも怒りは収まらない。古田は「もうええわ」とばかりに他の捕手に後の練習を託して、ブルペンを出て行ってしまったのだ。
 何よりも強烈な古田のプロの洗礼だった。「そろそろムチを入れてもらわないと。プロで活躍している投手で縦の変化球を持っていない人はいない。頑張ってもらわない と」。
 キャンプ中盤を過ぎてチームを引き締める意味もある。「(先発投手の)枠はたくさん空いている。6、7人必要だと言っても名前が出てこないじゃない。競争してもらわないと」。チームを引っ張る存在として、投手陣に活を入れたわけだった。
 ショックを受けた松岡は全体練習終了後も居残り、ネットに向かってひたすらフォークを投げ続けた。「びびりました。自分の考え方が甘かった。これからは何でも投げます」。伊東投手コーチは「得意な球しか練習しないんじゃ、捕手の信頼も得られないしこっちも使いにくい。もうちょっと時間がかかりそうだな。今の状態だったら1軍のオープン戦は厳しい」と話しており、松岡の開幕1軍の望みは極めて薄くなった。だが素材は「川島にそっくり」と言われる即戦力。ここで奮起しはい上がれば、それがチームの財産になる。古田の声が響き渡り、それがチーム力を押し上げていく。

という記事を(過去に)読んだ。
私が指導していたチーム(バスケ部)でも同じ類のことが毎年繰り返される。バスケは好きで、よくシュート練習はする。けど、技術力が向上しないのでバスケット的な筋力向上トレーニングを要求すると真剣に取り組まない部員が存在する。下級生の時は余り目立たなく、上級生になり練習でも目立つ存在になり、試合でも中心選手になり、チームでは大切な存在になると要求が一変する。リバウンドボールだけを拾って居ればいい時期から、得点に結びつくプレイ、素早いパス、ディフェンス力がコーチから要求される。その試しを幾度も繰り返し、公式戦に入る。新人戦で改めて出てくる課題がチームに個人に出てくる。

 そして、新人戦が終わり、更なるチーム力アップには、それぞれの個人力のレベルアップの大切さを痛感する時期に入る。当然、指導者、コーチは変化を要求する。変化とは、自分のプレイの正確度と欠点の修復である。この部分を直せば、もっともっと言い選手に変貌することが出来ることを指摘する。この指導者からの要求を受け入れる素直さがなければ、インターハイまでに変化と向上は望めない。少し出来たぐらいで満足する心やプレイには関係ないからと基礎体力向上に関わるトレーニングに真剣さを持てないままで時間が流れる。

 この記事の古田の発言「一生投げへんのか!」それでも怒りは収まらない。古田が言った「もうええわ」と同じ結果がこのチームでも予測できるのである。当然、指導者はここの素材と未来の成長を予測して、メニューを組む。そして、チームのシステムを整えていく。それが各チームの勝利の方程式である。古田はコーチ兼任である。同僚である。このレベルなら、監督やコーチがこの発言が知らないままで終わり、試合に使われることはあるだろう。でも、古田はプロの厳しさを嫌と言うほど知っている一流プロである。「何かもう一つないとね」を感じている選手である。親心の発言を受け入れないこの選手は将来、伸び悩む時期を予測しているのである。

その結果は既に 伊東投手コーチは「得意な球しか練習しないんじゃ、捕手の信頼も得られないしこっちも使いにくい。もうちょっと時間がかかりそうだな。今の状態だったら1軍のオープン戦は厳しい」と話しており、松岡の開幕1軍の望みは極めて薄くなった。
に繋がっているのである。

 プロでもこの状態である。名もないチームの選手が指導者の助言を受け入れないなんて当たり前と心得ておくべきである。心得ておいて見ているだけでなく。嫌われても、やらせるべき必修事項として取り組む姿勢の一つと組み込んでおくべきである。ここで指導者と選手はチーム内で葛藤すべきである。

 選手が、コーチが要求していることを理解すること。
 指導者は、選手が快くトレーニングメニューを受け入れさせる心の育成を心がけること。 

 古田は、この選手に前もって「練習していけよ」と示唆している。練習期間もあったはず。単に試しに「投げてみろよ」と要求しただけだと思う。もし出来なくても古田は納得はしただろう。そして、次にアドバイスをして、気持ちよく投げさせる術を伝授したに違いない。なのに拒否した。大勢の選手を抱えているプロ集団である。「出来ない」、「やらない」、「やれない」選手を相手にしている暇はない。古田がとった行動は当然である。大勢の部員選手を抱える組織では当たり前の行動である。もし「よしよし」と甘えのままに育てていれば死活問題になる。負け続けるプロなら、来年度解雇と言うことになる。一人のとった態度から勝てない集団になることのしんどさを知っている古田だからこそ、何よりも強烈な古田のプロの洗礼だった。「そろそろムチを入れてもらわないと。プロで活躍している投手で縦の変化球を持っていない人はいない。頑張ってもらわない と」。と思うのは当然である。

この記事は心に強く残るものでした。ヤクルトのファンではないが無性に古田という選手を好きになりました。

信じるか否かは、あなた次第である。   

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー299】《まるで映画コーチ・カーター》 

【ある日のコーチング・カレンダー299】《まるで映画コーチ・カーター》

体育館に何が起こったか・・・・・。
映画の一シーン!?                       
勉強会2

4勝22敗で色々の問題を抱えた高校。
その高校にコーチ依頼があり、引き受けた映画の主人公ケン・カーター。
最悪の環境で育ち、大人を一切信用しない悪がきたち。そんな連中がバスケをしている。好き放題のバスケでチームにモラルはない。正義は存在しない。
ルール1:
学業で、決められた点数以上の成績を収めること。
ルール2:
授業には全て出席し、一番前に座ること。
ルール3:
試合の日には上着とネクタイを着用すること。
これを契約させた。守らないものには試合させないと命令を出す。

しかし、部員がとった行動は捨てセリフで何人かは退部していく。

そして、残った部員で厳しい練習がスタートをきる。必死でコーチについて行く。成果が出始める。見捨てられたような地域が活気つく。これはコーチ・カーターの存在なしに語れない出来事である。
ある日、コーチ・カーターはルール1~3が守れていないことを知る。
チームは勝ち続けているのに公式戦をキャンセルする。さらに体育館の使用禁止を命じる。
ところが地域の高校協議会でこの行動を審議する問題となる。
「やりすぎである」と地域住民、親はごねる。プロへ行く機会を奪うのか、バスケさえしていれば良いなどの身勝手さを訴える。
審議結果は「コーチ・カーター」の解雇である。
州大会への切符、さしずめ日本なら全国大会だそうな。それまで無名のチームを引き上げながらの解雇である。
その解雇が決定後に体育館へ後始末に訪れるカーター。

それが今日の 畷北の体育館での出来事につながるのである。
カーターが体育館の扉を開けるとカーターのよき理解者3人の教員と部員全員が体育館に椅子と机を出して勉強している。部員たちは協議会の決定をけり、カーターの方針を選択した。それ以後、全員が成績上位になり、コーチ・カーターは練習を解禁する。

州大会の決勝まで上り詰めるが、惜敗する・・・・。

これをどのように捉えますか?

ある時、練習は13時からなのに朝10時に数名の部員がきていた。しばらくして体育館をのぞいてみると写真のような光景が飛び込んでくる。ポケットの携帯電話で思わずシャッターをきる。部員は何のことか理解できていない。でも、クラッチの頭の中には映画「コーチ・カーター」のシーンに自分がいるような錯覚を覚えている。まさにこのような場面なのである。体育館が教室化しているのである。横でバレー部が練習しているが、彼らの周辺には静寂がある。不思議な光景であった。

近く公式戦である。1・2年生はまだ夏休みである。
学生であることを忘れずにいる姿勢に感動する。たかが夏休みの宿題である。
でも、それが一番大切なことである。
ぜひ、この映画を見てください。
この学校のこの部ではクラッチ劇場が繰り広げられています。この映画には負けません。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー298】《熱きやつからのメール》 

【ある日のコーチング・カレンダー298】《熱きやつからのメール》

○○太の一言。                          

ある時、こんなメールをいただいた。
僕も昨日たまたまテレビで「おじさん軍団△○」を見ていました。成功している人は皆同じことを言っていますね。
「自分で自分の可能性をつぶさないで欲しい」byイチロー
「日本人だから無理だとか、田臥だからできたとか思わないで、やってみて無理なら仕方がない。まずはやってみることが大事。」by田臥勇太
他にも松井ヒデキやトップアスリートや成功をおさめている人は皆同じことを言っていると思います。僕の好きなロックバンドも同じです。
 僕はある学校で「障害」を持つ生徒に関わっていますが、彼もまた自分の「障害」がある故にやりたいことを「どうせ無理や。」とあきらめてしまうことが多々あるんだろうなあと思います。正確に言えば「あきらめざるを得ない」、社会によって「あきらめさせられている」状況だと思います。
 そんな中で現在は高校卒業後の進路について一緒に模索している段階です。最近、彼はクラスのみんなとも仲良くなり、バスケ部の生徒ともよく話しています。その影響でバスケ部の練習を見に行ったり、試合を見に行ったりもしました。僕も元バスケ部員でバスケ好きなので、彼との間でバスケの話をしたり、NBAのテレビゲームをしたり、ちょっとしたバスケブームです。
 スポーツはできない彼でも、スポーツを楽しむことはできる。そのなかでアスリートの意識にふれることで彼の意識も変わりつつあります。
①アスリートはそのスポーツが好きである。好きならばかんばれる。
②どうせ無理だとあきらめない。
③想い続けた人が成功する。
④独りではできない。誰かと一緒ならできる。
スポーツ以外でもいろんな人に共通している点であると思います。彼の中でも「無理だ」から「やってみたい、やってみよう。」に変わってきています。同年代の友達が、違うことをしていたとしても、がんばっている姿は確実に彼の力になっていると思います。「友達甲子園に出るねん!」とこの前うれしそうに言っていました。

 この番組を見て思わずメールをくれた○○太でした。
 
○○太は、このメールをくれた後、小学校の先生となる熱いやつである。
彼が関わって障害を持つこの子は、教師クラッチも関わっている子でもある。
この子が最近変わった。積極的になった。
何がこの子を変えたのか。
この子自身が勝手に変わったのだろうか。
それは違うと言い切る。○○太やこの子を取り巻く人が、この子に何かを与え、心を揺さぶる何かを感じたからだと理解する。
○○太はそうと違うと言うかもしれない。でも、この子に関わっている一人の○○太という青年が、この子に希望を与えたのは事実と思う。そして、見る世界、この子が見える世界を広げたのは事実である。
本人自身で簡単に変われるわけがない。きっかけを与える人が居なければ、変わることはできない。それのきっかけを与えるのが指導者の仕事と心得る。変わって良い方向に向かっての努力は、当然本人の努力である。
○○太は、今ボランティでこの子と関わっているので、かなり謙虚である。
でも、この子に与える影響力は非常に大きい。
○○太は教員採用試験に合格して、先生となった。色々な生徒を指導していく。
でも この学校で出合った多くの経験は絶対に活かせる。○○太先生の財産である。

この学校で○○太がであったチームの試合である。
何事があっても、頑張る姿勢を崩さない チームイズムでチャレンジする姿を観てほしい。
最悪の条件でも、もがく姿勢が将来につながる。
仲間を信じろ!
一人でするな!
諦めるな!
細心、かつ大胆になれ!
今できることの最高を目指して頑張るしかない。
練習は嘘つかない。

信じるか否かは、あなた次第である。          
 

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー297】《ヤングエイジを思考する》  

【ある日のコーチング・カレンダー297】《ヤングエイジを思考する》  

 ある時、2週間ほどで5冊の本を読んだ。自分でも集中しているなって自負するほど、短時間で熟読している。きっと、指導者として心にモヤモヤした感情の整理をしたく感じていたから集中したのだろう。
 何故、モヤモヤとした感情が起きてくるのだろうか。いくら指導していても部員や生徒から、響くものを感じられない。受け取る側が悪いのか、指導する側が悪いのか、とにかく現状を変えないと前進はない。当然自分のためであるのだけども、ある時期、指導していたバスケットボール部の部員を何とかしたい一念でもある。心に響かせる言葉や指導法を追い求めたい、身に着けたい。この子たちが上手くならないのは自分の指導力や伝達力や教育力が伴っていないからではと、悩む心が本を読むという行動に駆り立てられている。クラッチなりの学ぶ姿勢である。

 自分が指導する内容の選択肢に迷いはない。でも、上手く機能しないのは何故なんだろう。指導される部員や生徒側の問題なのか?指導されることを受け入れない、聞き入れられないのには彼の生い立ち、育ってきた過程が大きく影響しているのではとつくづく思う点が多く出てきた。生徒一人一人、15年程度の人生ではあるが、彼らが培ってきたこと生い立ち、人間関係、大人との付き合い方などでマイナス要因があるならば、そう簡単には変化させたり、好転させることは考えにくい。でも、今なら、将来にも役に立つ生活習慣や社会の一員として機能する人間に育てることは出来る。その最後の時期である。その基盤を作ってやるのが指導者としての役割である。思い上がりで書いているのではない。彼らの取り巻く環境、教育環境でこの子たちがこのまま巣立っては大変なことになる。そんなことが指導者魂を揺り動かせている様な気がする。勝利至上主義ではないが勝つための努力をするプロセスから生まれ出る人間力が人の幅を作る。その向上心を願う心と受け取る心が一致しなくては上手くいかない。コミュニケーション力不足では、進歩は望めないない。

素直じゃない。好き勝手な部分だけしか受け入れない。受け入れる事が出来ないのなら、無視するのなら、別の所で頑張ればいいのにそれをやろうともしない。自分に都合の良いところだけを残しておいて、他人に嫌な気だけを振りまく。それを注意するとキレる。だから、なかなか前向きにならない。上手くならないことや上手くいかないことは他人のせいにする。でも、いいとこ取りだけはする。頑張る子の影にいて、一緒に努力しているふりをする。自分が傷つくことは絶対にしない。昨日まで仲間であった子が叱られたりすると自分には関係ありませんという顔をする。そんな子が集まって、頑張るスポーツ集団で絆が出来る訳がないじゃない。

 こんな子が年齢的な成長をしていっても、将来、働きもせずして、良い暮らしをしたいとか、教育機関を卒業しても、働きもせずにニートの生活を過ごすとか、やりたいことが見つからないとか、実際に一度働きに出ても、自分にあってないとか、上司が自分をわかってくれないとか自分勝手な御託を並べてのうのうとし出すことが予測される。その事態を最近、強く感じるのである。日頃、社会人とて育ったときにとか、人間的に成長してほしいとかという願いを込めて、会話することが多い。眼前の大会のことだけでなくとも、心の成長が結果につながることの多いスポーツ社会では、聞き入れて、徹底させる事が非常に大切である。

 連日、協力して勝つという課題を出し、『チームとして何をすべきかなのか』を考えた上でチームシステムを確認させていた。でも、指導の過程で、しっくりこないのである。「そりゃないやろ(でしょ)…」と言われることばかりえをしでかす。技術がまずくって出来ないのなら我慢できる。そうではない。ミスが起きてもカバーする者がでてくれば、チームプレイは成立する。そして、チーム共有の喜びに発展していく。でも、それだけでは、共有の喜びにまで発展しないのである。所謂、チームとしての成功感が芽生えてこないのである。個の世界では出来ても、集の社会でできないとチームは成り立たない。集の社会は、個の役割と責任で成り立つ。そして、個の責任を実現させることでお互いの信頼関係が出来て良い関係が生じる。所謂チームワークが出来上がるのである。このチームワークが更なる飛躍を創り出すのである。

そんな試行錯誤の中、『スポーツは「良い子」を育てる』永井洋一著 生活人新書を読み終えた。
この本を読む気になったのか?
スポーツする楽しさを学んでほしい。
学んだことから人間的な成長の材料を見つけてほしい。
集団の中の個人の頑張りを学んでほしい。
集団の喜びと個人の喜びを学んでほしい。
成功感や成就感を体験してほしい。
勝った、負けたの結果は後からついてくるものである。それに振り回されて小さくなってほしくない。
などを考えて読んだ本の内容が
プロローグ:大人に歪められている少年スポーツ。
第1章:なぜ子供にスポーツさせるのですか?
第2章:スポーツは本当に清く正しいものなのか。
第3章:ピッチペアレンツとピッチチルドレンの悲劇。
第4章:現代の子供が抱える問題とスポーツ。
第5章:スポーツをすることで子供に身に付けさせたいもの。
という内容である。

 一見スポーツさせることを疑問視するような表題のように受け止められる。けど、内容はゴールデンエイジ(10歳~13歳ぐらい)の子供に将来を見据えた所の指導やスポーツの取り組み姿勢めいたことが提案されている。読み入った。特に第4章・第5章は何度も読み返した。珍しく、本に直接、蛍光ペンでマークした。本には絶対にそんなことをしないクラッチであるが、この本の内容に釘付けになった。

○伝統的な日本の価値観の中で「出る杭」として打たれないように振る舞いながらも、本当はもっと自己主張したいというジレンマに陥っている子供のすがた。

この文章にまさしく、今、自分が居る学校の体質であり、リーダーが育たない、本当に能力ある子がくすぶっている体質を強く感じた。どうすれば良いのか。畷北という組織の改革を示唆されるヒントになる様な気がした。

 ゴールデンエイジ(スポーツ機能が急激に発達する時期)になる頃の家庭やスポーツ組織の取り組み方の歪みが真の意味で、スポーツが文化として発展しえずにいる要因になっている。いま預かっている部員の年齢は15~17歳、何でゴールデンエイジが関係するんだよ。彼らの育ってきた過程に何かのつまづきを強く感じたからである。
何故積極的になれないのか。
何故自分の心の感情を素直に出せないのか。
好き勝手の心の感情の露出ではなく、心を揺さぶる正の感情を出せないのか。
どうも人目など、「出る杭」になりたがらない。目立つことを負とする感情が働く。
素直になれない原因を探る時に出合った本である。
一歩前に戻って、指導すれば彼らの心に響く言葉や指導方法が見つかるのではと思わせるほんとの出会いであった。
少し前の彼らの過去に戻って指導してみた。
上手く行かないのは、小中学校時代の挫折であった。
上手くいかなかったことを修復でいないままに年齢だけ成長していることに出合った。
九九を読めなくて、算数アレルギーになって、つまずいたままの生徒が大人の身体になっていく。そのことを知られたくないので見栄を張る。張った見栄が剥がれるのを恐れて、本当の自分を出せないままに生活する。でも不安なままである。益々見栄を張る。見栄を張れなくなるとキレるという状態で対応する。“キレる”と“びびる大人”がそこにいる。
それは面白いが本当にビビっているのは本人である。見栄を張る虚像の自分はいる。でも、ビビる大人を持てているうちに自分がわからなくなる。そして、年齢だけが大人になっていく。そこでもう一度、悩む。今度は自分が大人になった時に周辺の大人や年齢の下のものに相手にされなくなる。どうすれば良いのかますますわからなくなる。

でも、チャンスがある。大人になる直前にチャンスがある。
それが高校時代である。このチャンスを逃させたくないのである。
そのためにゴールデンエイジ時代にフィードバックさせる必要性に出合った。
それを指導者として自覚できる本に出合った。
自分が変われば、他人(部員)を変えることができる。
変えるのではない、彼らの持つ本来に姿に気づかせるチャンスなんである。
飛躍させられる材料を提供できるチャンスである。
諦めない。
心の扉をこじ開けて、チャンスを自覚させたい。

信じるか否かは、あなた次第である。
   

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー】いつも通り、いつものように編 

【ある日のコーチング・カレンダー】いつも通り、いつものように編
日々こくこくと変わる環境、条件、対人に果たして、いつも通り、いつものようには、本当に普遍なののか。
「いつも通りやっておきないさい」と指示が出されても、
いつも通りにできないことは多々ある。
いつも通りにやろうとしても、取り巻く何かが変われば、
もうそこには、いつも通りは成立しないこと多々あり。
続けていた、いつものパターンをいつもにように出来るかは常に疑問を持つ心がける。その程度の対応力で臨機応援さがクローズアップしてくる。
その対応力をいつも通りと教え込むことが、いつものようにはできるのでは。
例えばバスケットボールの試合、「いつも通りにやろう!」とコートの送り出しても、対戦相手が相手のいつも通りにを否定する作戦で来た時、いつも通りは戸惑いをうみ、混乱する。
この時によく使われる言葉が平常心である。
『いつも通り』=『平常心』が混乱を増すだけである。
いつもと違うのいつも通りはますます、平常心を乱す。
いわゆるパニックが起きる。時には、脳みそ真っ白な状態で『あがり』をうんだり、判断ミス判断すらできないことが起きてくる。
このメカニズムを理解して、競技スポーツにおける指導計画を進めて行くべきである。
『いつも通り』=『平常心』への起きてくる目の前のことへの対応力、判断力を持つことが計画してきた、トレーニングしたきたものを出せる『チカラ』をつくり出せなければ、いつも通りという言葉はそぐわない。
混乱や戸惑いなどネガティブな条件下で力を出せる対応力を教え込むのが指導者の『チカラ』であり、いつも通りとを発揮できる対応力をありきでのスキル、メニューづくり、メンタルの育成が要求されるもではかと考察する。
信じるか否かは、あなた次第です。
星ヶ丘医療センター待合室にて

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー296】《感動のお裾分けから》  

【ある日のコーチング・カレンダー296】《感動のお裾分け》 

感動のお裾分け。                         

 ある有名なサッカー選手の話。
今回のNは違った。「Nがね。これまではサブの選手たちが冷たいタオルとか手渡してくれた。今度はそれを“ボクがやる番です”と言ったというんだ。感動したね。涙が出そうになった。これがチームだよ」と、チーム関係者はそう話しながら、またしんみりである。
後半途中からNがピッチに入り、明らかにチームのリズムが変わった。チャンスは格段に増えた。その延長上にチームの勝利へのゴールもあった。
 N本人はいつも通り、「結果的には仕事をしたかなって感じ。貢献したいという気持ちだけでやっていたから」と小さな声で語った。先発を外れ、一段と存在感を認識させた試合でもあった。―というスポーツ記事より―

「実るほど頭(こうべ)たれたる稲穂かな」という句を良く耳にします。成功者や人の上に立つ者ほど謙虚でいなければいけない教えを説いた句です。
成長して一流になればなるほど、心がけないといけないことである。俗に言う「偉そうにしている」という言葉でのパッシングが始まるのである。全てにペコペコする必要は何処にもない。でも、一流、有名人となれば人目に付く。人目を気にせざるを得ない環境に追いやられるのである。これは有名税でもある。一流名人ほど何か違うものを醸し出しているなかで謙虚な振る舞いは共感を呼ぶ。それも自然体で行動されては、参ったせざるをえない。

この選の行動に感動した。

 勤務していた体育準備室のスリッパ。いつもきっちりと揃えられている。いつから始まったのか。亡くなられた故Y先生は、来校される度に準備室のスリッパを揃えて向きを変えられていた。脚下照光の教え「極楽とは目指す処にはない、各人の足元にある。日々大切に生きないさい。」、自分の足下をきちんとしなさいと故Y先生に無言で教えられたものである。
 その後も準備室は四六時中、スリッパが揃えられていたのである。若き教員M先生が赴任と同時にずっと続けられていることである。それを気づき、体育科準備室のみんなで習慣づけて実施されるように心がけるようになった。一度やり出すと癖になる。揃えないと気が済まなくなるのである。これを教訓にして、「やり続ける大切さ」と「他人の為に嫌みなくする」事の大事さを毎日実践するきっかけが出来た。嫌がらず、他人の為にしよう。そして、見返りを求めない。この記事を読み感動した日もM先生は嫌みなしにスリッパを揃えておられた。この先生に教えられている生徒は幸せである。そして、若さがある。負けておれない。良いことは続けよう。

 そのチームが求めているもの、チーム貢献である。
連日、新チームに色々なアドバイスを頂いている。
「どうしたチームの皆・・・。」
「一体感が・・・。」

しっくりこなければ、このチームらしさは失われる。
白々しい絆なんていらない。いちいち言葉で確かめなければならないようでは、本当の絆なんて有り得ない。
練習中に怠慢プレイを平気でする。それを指摘しても、空返事の「ハイ」が虚しい。
「試合で成功すれば、いいじゃない」と思う心に落とし穴がある。
それを負けても気づかない馬鹿が居る。自分が中心選手でチームの大黒柱にならなくてはいけないのに、その自覚がない。
せっかくの素晴らしい才能がこのままでは開花しない。
そのことを気づかせるのが指導者の仕事である。
指導者の必死の叫びが届かないのである。届ける悪戦苦闘する日々である。

そういえば大学時代を思い出す。
凄き技術の高い選手がいた。でも、協力者が出てこないのである。行動が自分勝手である。
みんなとはしっくりこないが凄い選手である。だから、周囲が何とかしようとするがなじめないのである。
1軍選手であるが、とうとう真の意味で一流選手にはなれなかった。もったいない。
それをわき出見ていたクラッチは羨ましかったし、悔しかった。それほどの技術を持ちながら、素直じゃない心の持ち主に腹立たしかった。「お前、何のためにバスケやってんだよ。お前一人の自己満足のためにチームはあるじゃないんだよ」といつも思っていた。
この人がチーム貢献や絆を考える選手なら、きっとこの人は超一流になれたし、チームはまとまっただろう。

「一軍の俺が何ぜ水くみをやらんといけない」
その通りである、そりゃあんたは一軍選手、私ら下級生が下働きはさせてもらいます。
でも、「有り難う」の一言や何かの心使いがあれば、もっと美味しい心のこもった水は提供できたと思う。
でも、そんなあなたへも心から下働きをしていた者を知っているから、我慢できたんだよ。
だから、卒業後、大学の一軍選手でなくとも、心の指導と技術で一流選手は育てることは出来るんだよ。
でも、そのことを自慢しても始まらない。育った教え子が活躍してくれれば、俺たち指導者は我慢できる。
大学時代の下働き経験が、指導理念の原型はこの時に出来ていたんだろうなとつくづく思う。
時代が変われども、チーム創り成功の根底に流れるものは不変である。
時代の流れに中にマッチした方法論を提供できる指導者でありたい。

ほんのささやかな技術を支える何かは存在する。
そのことが理解できたなら、そう簡単にチームは負けない。

信じるか否かは、あなた次第である。


          

category: オフィスKURACH

 

【ある日のコーチング・カレンダー295】《14の心》

疑問が解ける。

"14の心”って。                           

チームに聴(聞)く姿勢のなさを痛感して、『聴く』と言う言葉を調べてみた。聴くとは、耳へんに十四の心と書く、
その意味は「14の大きな心をもってきく」という文章に出くわした。宗教上の言葉のかなとそれらしき事も調べてみた。
教えめいたものに出くわすがあまりピンとこない。
とうとう教育勅語にも行き着いた。そこにも14の心めいた教えが書かれてあった。明治から昭和にかけて戦前の教育界のバイブルである。徹底されていた。けど、チームが今、創ろうとしている『聴く姿勢』にもつながる面も感じるが、教育勅語には現時点では、心は動かなかった。いろいろな文献を読みあさったが、どうも、ぴんとこないものばかりである。
14縺ョ蠢ダNEW_convert_20150414161034

童話『14の心をきいて』に出合った。聾学校を描いた絵本である。かなり心がぐらついた。素直さや純真さに感動した。14人の子供の純真さは理解できる。そして、14人の心を一つにすれば、人の心を動かせるということも理解できる。でも、『聴く』と言うも文字に秘めたれた響きの“14の心”って何なんだよという疑問が残る。「大きな心」って言われても、14の心、ひとつひとつってどんな心なんだよ。
考えても浮かんでこないのである。
人に伝えて、聞き取ってもらえる言葉。
人を感動させる言葉。
印象強く伝える言葉。
でも、そのような言葉をクラッチが持っていたとしても、聞き取り手に受け止める心、聴く姿勢がないと絶対に響かない日々を過ごしている。

ある人に相談したところ、「その試みは無理やで」と突き放された。
「でも、きっと、ぐさっと心に響く言葉はあるし、キャッチする心を育てることは出来る」とつぶやいた。
“14の心”って、いったい何なのだ?という疑問が残る。
この疑問が解ければ、生きた言葉を伝えることと『聴く姿勢』を積極的に部員に教えることができるのにと益々知りたくなる。

童話『14の心をきいて』を購入するときに『はずむ会話へ 聴き上手のコツ』NHK出版 杉本泰夫という本に遭遇した。『聴く』とはと言うテーマじゃなく、話上手な会話との書き出しで始まる文章に引き込まれた。すると話し上手は、聴き上手というテーマで文章が構成されていた。非常に読みやすい文章と例題が書かれている。
でも、やはり“14の心”の意味とは遭遇しない。
諦めず読み進むと“14の心”が書かれてあった。

1 意味ある相づちを打とう
2 相づちにひと言添えよう
3 最後まで聴こう
4 早合点して、話の腰を折らない
5 確認をとって明確化しよう
6 リピートして心の意味を探ろう
7 気持ちを込めたことばを大切にしよう
8 相手の話の中から訊こう*訊く=聞きただす
9 頭に描きながら聴いて、訊こう
10 心を開くオープンな質問をしよう
11 横に座って、肩を組もう
12 相手も認め、自分も認めよう
13 目でも聴こう
14 目にも伝えよう

非常にわかりやすく、クラッチの心に飛び込んできた。
現代版“14の心”との遭遇である。
実にわかりやすく、聴く心を説いてくれてあった。
納得である。この現代版“14の心”が組み込まれた“聴く”という言葉に益々惹かれた。
そして、次に*訊く=聞きただすという言葉に惹かれだしている。
一方的な会話にならない言葉を身につける。聞きただす言葉は威圧的でなく、自然体の会話で相手の本心が飛び出してくる会話って魅力的である。指導者には絶対必要なアイテムである。

聴く姿勢は、聴かせる姿勢である。

『はずむ会話へ 聴き上手のコツ』という本から得たものを大切に『聴く姿勢』の育成に努めたい。
信じるか否かは、あなた次第である。

category: 未分類

【ある日のコーチング・カレンダー294】《取り組みを考察する》 

【ある日のコーチング・カレンダー294】《取り組みを考察する》

何が出来たかを考察する。
次に何が出来るかを考察する。

「次の学年への取り組みを考察する!」

ある時、ある年代の
チームで取り組んで出来たこと、出来なかったことを考察してみた。発表する新たな取り組み姿勢が指導者に芽生えてきそうである。休ませることは、「もっとやらせたい」と言う感情が芽生える大きな要因である。部員と離れることは、新人戦までに何をすべきかが見えてくるのである。

①キャプテンの選考。
・強いプレイは出来るが中心で発言できる者ではない部員を選んだ。
・今期のキャップテンの人間的成長がチームの成長に繋がる事に賭けた。
・現在、賭は成功した。でも、それは賭でなかったことを後日、知ることになる。
・後に必要とされる人材であったことを全員が自覚できた。
・キャプテンにまず納得させる取り組みがチームの活性化を導いいた。
・「自分がやらねば・・・・。」から「チームプレイの中でのキャッテンシー」と成長と共にチームは成長している。
・チームを背負って勝負することを楽しめる予感がある。

②機会均等。
・新チームとして初期の取り組み方針
・この時期に成功者になった部員が、必ずしも、チームの主軸にはなっていない。
・現状に甘えた部員は、伸びていない。
・前年度や夏休みの取り組みを白紙にして、横一線のスタートラインを約束し。
・要求度が低いからこそ、全員で出来た。でも、この基礎育成期が序章に過ぎないのに 「全てが出来た」との誤解を持った部員は殻を破れなかった。
・一つの事が出来た。その事がレギュラー安住の地との誤解を生んだ。
・出来た事だけを練習する。出来なかったことはそっぽを向く。
・ある時期に次へのステップが始まったことを宣言されているのに、受け入れうとしない部員の成長は止まった。

③試し。
・現状の実力を知る。
・他府県3年生チームにチャレンジ。
・強さを体験し、それに対応(慣れる)する体力と心が出来た。
・そのことで自分たちのチームや個人のやるべき事が見えた。
・可能性を模索した。三重遠征・奈良県・愛知県等の上位チームとの対戦。

④アプローチ。
・遠征でたたかれた事で、自分たちの取り組むべき方向性が明確になった。
・ミスを恐れない取り組みが実現した。
・しんどい練習の必要性が理解できた。しんどさを楽しむことが出来た。
・積極的な取り組み姿勢の見える部員には、どんどんチャンスを与えた。
・「どうしようかな?」と思う前に「まずはやろう!」を心がけた。

⑤部員に見える取り組みの実践。
・モチベーションの持続
・10日連続続けたことへのご褒美(リストバンドプレゼント)
・練習の無駄をなくす方針を立てた。
・全体練習で出来ない部員に合わさせなかった。
・出来ない部員にはコーチが課題を与えた。
・与えた課題を朝練でこなさせた。
・課題に足り組まない部員にはチャンスを与えなかった。
・「自分で考えろ!」であり、教えられることの指示待ち部員を一掃させる。

⑥レベル別ユニットでの取り組み。
・自己責任とチーム責任を明確にさせた。
・ユニットメンバーの入れ替えは頻繁にした。
・ユニットでのリーダー、ポジションは自発的にさせた。

⑦戦う姿勢の育成
・全てを結果主義とはしないが、結果を出せる強い気持ちを最優先させた。

⑧「労多くして効少なし」撲滅運動
・やった振り攻撃の部員を目覚めさせる指導。
・コーチからの朝練の内容チェック。
・コーチから、提案を受け入れようとしない部員にチャンスなし。

⑨一日一課題
・多くのテーマを与えなかった。
・一課題で飽きささない工夫をした。
・アシスタントコーチの存在、提案を重要視した。 ・
・ビデオの活用。過去の「走るバスケット」をメニューの導入に多く使った。
・ビデオを使って頑張る事の具体例を観せた。
・効果的であった。
・練習を休んだ者には、次へのステップはなかった。
・もともと、ほとんど休む部員は居なかったが、練習の場にいないことには取り残される意識が更に芽生えた。
・復習させることはなかった。次の日の課題は、すでアレンジされたものを提案した。
・よく使った言葉「小学校の時に、九九や分数につまずいた子は、ずっと数学嫌いになる。だから、今、理解しようと悩め!バスケも同じや」である。

⑩不要・無用な練習や試合は組まない方針。
・こうすれば成功する事を指導者も部員も信じた。
・チームとしての集中力がついた。
・1日2試合(午前・午後一試合づつ)を限度とした。
・A、B戦は専属指導者でおこなった。
・午前中のB戦で結果が出た部員には、即、午後にチャンスを与えた。

⑪理解させる努力
・時には数時間に及ぶことも多々あった。
・部員の納得度を重要視した。
・指導者の自己満足を捨てた。
・時間の長さは部員、指導者も苦にならなかった。
・自己満足ではない、結果を重んじた。

⑫高いレベル中心への移行
・2学期中間考査後の方針。
・この時期より機会均等はなくなる。
・戸惑いにBチームを編成する。
・A、Bチームの交流を頻繁に行う。
・運動能力が低くとも、練習の内容が理解できている部員には、高いレベルでプレイさせた。
・身勝手で、自分では能力が高いとか上手であること思いこんでいる部員に気づきの指導を試みた。
・不思議なことを発見した。レギュラー陣は、まだまだ未熟と思っている部員が多く。ちょっと出来ると自称思鋳込んでいる部員は、「おれは上手い」と勘違いして結果が伴わなかった。その深層心理は、「俺は悪くない。なんでこんな奴らとせなあかんねん」である。こんな部員はミスをしても、取り戻す努力は確認できなかった。プレイ終了後、不満の顔が確認できた。
・精神的に謙虚な部員は、次々とグレードアップをしていく。自分は下手だから、もっと上手くなりたい心理が働く。上手くなるためには、素直に提案を受け入れた部員は更に使われる機会が増えた。

⑬「自分で考えろ!」イズムの徹底
・人真似で出来たつもりのプレイヤー一掃。
・”観る、聴く、考える、実行する”を実践した。
・理解出来なければ、自分から立ち上がれ方式を貫いた。

⑭技術編
・シンプルで強いプレイを要求した。
・5人のユニットの一員であることを自覚させた。
・持続と連続性
・3つの頑張り
・”ためらい”をなくす。
・明確な変化(チェンジング)の創造

⑮指導者の役割
・ヘッドコーチとアシスタントコーチ(技術指導)の役割徹底

⑯我慢の自覚
・失敗しても、やられなかったらイーブンである事を教えた。これが指導者のコンセプトであった。
・自分以外のミスを許せて、フォローできる気持ちをコーチした。それは、このチームに関わる4人の指導者の共通認識であった。
・指導者ミーティングを頻繁に実施した。
・4人の指導者がヘッドコーチの提案を分析して、取り組んだ。

⑰諦めない気持ちと行動の具体化。
・ガリバーという名の練習で自分たちで勝手に不可能だと思いこんでいたことが、可能だと言うことを知った。  
・不可能が可能になる体験は、次々に発展的なプレイが生まれた。アハ体験が現実のものとなる。
・成功体験は、人を変えた。意欲が出た。

このことを改善させて、次に活かせる。
信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー293】《裏側》 

【ある日のコーチング・カレンダー293】《裏側》
私が師と仰ぐ、バスケの神様来校。 

何が何でもの裏側。

がむしゃらに歩んできた人生。
がむしゃらさから脱皮して少しスマートになった人生。
しかし、自分自身の生き方になかなか馴染まない。

昔話であるが
転勤して、間近な頃、過去を捨てようと心に決めた。
自分が自分らしく生きることを心に誓った。
嬉しければ喜び、悲しければ泣き、腹立つことには素直に怒り、休養が必要と感じれば休む、自分らしく生きることを心がけた。
それが転勤後の指導者クラッチと人格が形成された。
新しい自分ではなく、潜在的な自分の発掘であった。
自分の為になるならば、何でもした。
そこに過去のカッコつけの自分は姿を消した。
どちらが本当の自分なのだろうか?
どちらも自分であるが、どちらの自分が好きかと言われれば、当然、今の自分である。

突っ張っていた自分は現在いない。
寛容という言葉が他人のとの比較ではなく、自分の過去とに比較で現れた言葉である。
クラッチの過去を知る人々には想像できない域の自分が居る。

その当時、55歳、自分では未熟だと思っていた。
何かの物足りなさを常々感じている。
だから、色々なことに興味を示す。
そして、クラッチ流に取り入れていく。
それが指導する男子バスケットボール部の為になるならば、どんなことでもやる覚悟でいる。それが自分らしく生きる証である。

何が何でもの裏側は・・・?
泥臭さである。
その取り組みの春休みは部員にはしんどい、しんどい毎日だったろう。
まだまだ本番は先である。
私のバスケの師匠であるY田先生が急に来校された。
クラッチに残された言葉「この2週間が明暗を分ける。やり残しはないか」である。
退職された先生がクラッチのチャンスを逃すなとのメッセージを伝えに来られた。
この日は先生が指導されているチームとの練習試合であった。
先生のチームのためでなく、クラッチへのメッセージを伝えに来られたような気がしてならない。当時のHP掲示板にはY先生の教え子の方からの書き込みがあった。偶然なのか。Y田先生の「バスケットの神さんは本当におるねん!本当に頑張ってるやつに微笑んでくれるねん!」は心に残る。
偶然ではない。

全ての準備にぬかりはないか。
神さんの微笑む準備は出来ていますか。
そのことを周囲は心配しているように色々なメッセージを伝えてくださったことを今も強く心に残っている。
そして、公式戦までこの学年の3年間を振り返りながら、フィードバックして、一つ一つ練習させた。部員たちには、あの時があるから今があり、今があるから、チャレンジできるがアウトプットされていく。
そんな日を過ごせていく。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー292】《優先順位》 

【ある日のコーチング・カレンダー292】《優先順位》

頭の中で整理できないことを書いてみるメモ帳。
優先順位。                                     

 私は基本的には”じゃまくさがり”である。仕事を溜める傾向がある。結局、期限には間に合わせているけども、際どいことが多い。だから、細かな所で間違いを犯してしまう傾向がある。大いに反省して落ち込むくせに反省できない”懲りない面々”の一人である。私だけだけじゃなく、そんな横着な嫌な自分を変えたいと誰しも思うことである。
 何年も前から机の上や鞄の中にあるメモ帳がある。このメモ帳にその日の予定を書き記す習慣がある。実行するか、しないかは別として、とにかくその日にやらんとダメな項目を書き記しておく。そうすれば、”やらんと”という記憶は残る。出来たら、チェックして捨てると言うことをしている。

 いくら書き残しても実行しなくては、機能しない。必要に迫られたときには結構、機能している便利なメモ帳である。この習慣のおかげで練習メニューを考える時に、選手にやらせたいこと(プレイ)をとにかく思いつくままに書き残す。そして、ランダムに書かれた練習メニューから、現状にマッチしたメニューをピックアップしてやらせるように心がけている。

  チームは土、日に多くの練習試合を組んでいる。金曜までに与えられたメニューを確認させながら、練習試合を消化していく。クラッチの仕事は与えられた課題がこなせているか、機能しているかのチェックをベンチからしている。そして、色々なケースを想定して試してみる。先週までの課題機能している事の確認と次の週に与えるメニューを試みるのが練習試合と位置づけている。だから、練習試合の後半には練習したことのないテーマが突然、部員たちに突きつけられることがある。当然、戸惑うのは当たり前である。その戸惑いを解いて聞くのが次週の練習メニューと言うことになる。

 そして、月曜日休み、火曜日の練習再開時までに必要な練習メニューに優先順位をつけて、部員に伝達される。先週までに何が出来て、何がこのチームや個人に不足していることが伝えられる。それを自分たちの目や耳や身体で体験して、自分の頭で考えてプレイすることを要求する。ここが大切な所である。自分の頭で考え、体内消化してプレイさせたいのである。
 Aチームの入れる資格:理解度が高くスピード感豊かにプレイする事が出来る部員
 Bチームにいる部員:理解するに時間のかかる部員
と位置づけて指導している。理解が出来、スピード感が持て出せれば、どの部員もAチームでプレイするチャンスは与えられる。理解してクイックネスが求められる。瞬時の判断が要求されるスポーツ、それがバスケットボールと理解している。当然、その面を部員に要求するのは指導者として当たり前である。その要求度に合わせて、練習メニューを組み、部員に提案していくのがクラッチの仕事である。

でも、出来ないことが山積みで何から実行させていくのか悩むところである。特に新チーム、更に能力が低いチーム、逆の非常に能力の高いチームなどは、出来ないこととやらしたい事の狭間で悩むことばかりである。その時にメモ帳が役に立つのである。
優先順位001

クラッチメモの法則
 とにかくやらせたいことを書き出す。

 やらせたいこととは、指導者の方針を意味する

方針が決まれば, 次に書き出したことに優先順位を付ける。

必要な事項だけを優先させて、後で出来ることは時には削除する。

そして、まずはやらせてみる。

やらせてみて、上手く機能する事だけを採用して定番にする。

上手く機能しなくとも、気になるメニューを再考して、方法変えてやらせてみる。

部員がしんどくとも、楽しく取り組んでいるかを確認する。

 信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー291】《仕切り幕》  

【ある日のコーチング・カレンダー291】《仕切り幕》 

集中力を高める布と感謝。
集中力を高める工夫。                            

  
 ある時、京都O高の体育館に入った時、 チームの体育館とほぼ同じサイズのコート2面なのに何故か小さく感じる。そして、少し圧迫感がある。なのに試合が非常にプレイしやすく集中できる。隣のコートではバレーボールも練習試合が行われている。なのに異なる競技が同時に試合を行っているのにまったく気にならない。

 それは何故か?体育館真ん中にある仕切りネットにその原因があるようである。そんなの何処の高校でもあるネットじゃないかと思われるが、ネットに仕切り幕(布)が張られているのである。選手がプレイしているときに向こう側の体育館コートが見えなくしてあるのである。その幕が最初、圧迫感を感じさせた原因であり、プレイするとコートに集中できる原因になった仕切り幕である。ネット前面に張られているのではなく、お祝い事の紅白幕のようで膝から手を伸ばす程度の高さでバスケットボールコートのたての長さ程度に仕切り幕が張られているのである。これが競技に集中させる要因になっているのである。京都O高の先生に尋ねたところ、「自分たちのコートだけに集中されるために張った幕である」と返事をもらった。そういえば、パナソニックアリーナ(旧松下電器)の体育館も仕切りネットの幕が張られていたことを思い出した。スーパーカンガルー関係者に「体育館が大きすぎて(バスケコート3面)集中できない。」とお聞きして、その後、3面を仕切るネットと目隠し幕が張られたことを思いだした。
 この目隠しネットが集中力を創造させる原因であると聞かされ チームでも設置する運びとなった。副顧問のN先生に「目隠し幕を購入してください」とお願いした。そして、学校の了承を得て、実現する。
 
 話はこれで終わりではなく、この幕を購入するときのことである。学校の体育祭や文化祭で応援団幕やクラス展示のペンキなどを納品してくださる”F ”という業者にその目隠し幕なるものを依頼した。するとすぐに幅1m長さ50mの白い生地が届いた。
 「購入費はいくら掛かりましたか」
 「費用は要らないという業者さんが言ってきました。」
 「そんな訳ないじゃない」
「それがあるんですよ」
 この会話の後に副顧問N先生からその訳が説明を受けた。所謂、寄付である。
 「でも、何故、寄付…?」と尋ねたら、
 ”F”さんは、クラッチ広場の読者でチームに興味を持っておられる人であると聞かされた。だから、「在庫があったので遠慮なく使ってください」との申し出である。
 「何処でそのHPを知られたんでしょうね」
 「”F”さんの娘さんは先生(クラッチ)が出られた中学バスケ部の現役後輩ですよ。」と聞かされビックリである。その野球部HPでバスケットボール部HPの存在を知られて、よく読んでいただいているとのことである。そんなことで寄付していただけることになったという。でも、それだけで寄付していただけるなんて嬉しいことである。当初、直接お会いできていないのでお礼を言えてない。目隠し幕が出来たときに見ていただき、連絡して、部全員でお礼申し上げた。

 直接 チームに関係のない方からの励ましやこのようなご好意に支えられて、チーム、部員は生活している。夢実現のために頑張らなくちゃいけない。諦めなければ、夢実現することを信じて頑張る。挫けそうになるときに頑張る姿勢を語りかけ、部員と前向きな励ましと努力を続けたい。全国の道を信じて。

 信じるか否かは、あなた次第である。 
           
   

category: オフィスKURACH

プロフィール

FC2カウンター

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。