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クラッチの「今日の一言(つぶやき)」

スポーツ・コーチング総合研究所 オフィスKURACH 所長クラッチこと倉田伸司のつぶやきをお伝えします。

 

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【ある日のコーチング・カレンダー234】《続けていれば、何とかなる》 

【ある日のコーチング・カレンダー234】《続けていれば、何とかなる》

悔しい思いを上げればきりがない。
一所懸命、一生懸命、取り組んでいても、受け入れられないことは多々ある。
それを他人のせいにしていては、挫けるだけである。
やり方を変えれば、切り口を変えてみれば、もしかして、ひょっとして認知されるかも知れない。
上手くいき出せば、評価は変わる。
その逆もある。
そんなことの繰り返しの中で実践して来てことと言い聞かせてきた理念がある。
『人を裏切らない、直向きに取り組む、そして、人のせいにしない』
そこから生まれたのが『修正と改善』であり、ミスや失敗を恐れない『試す』というビジョンを持ち続けることである。
誰だって、認知されないと挫けるのがスタンダードな考え方である。
だからこそ、「認められないこともある」を想定内として、結果を認知される方法の研究と開発を繰り返し、成果を出す方法を模索する。

良いところ取りで自分(たち)のやっと出せた実践の成果を持って行かれた悔しさも体験したこともある。
そこで自分に言い聞かせた「裏切られてもいい、裏切るな」を自分に言い聞かせた。
「なんてお人好し」と言われたことも何度もあった。

いまだに、「途上だ」と言い聞かせている。
「続けていりゃ何とかなる」と自分を励ましていく。

教えるというビジョンを持つ限り、教える行為・行動は人の為である。
人が生きる社会への貢献であることを忘れなければ、成果を引出し、導くことのチャンスと出逢えることが出来る可能性がある。
環境の悪さがあれば、環境を変えればいい。
理解されなければ、理解される方法を学べばいい。
成果が人や社会の評価を変えることが出来るならば、成果を出す努力をすればいい。
続けていれば、明日にでもチャンスは廻ってくるかも知れないし、もっと先になるかも知れない。諦めなければチャンスは廻ってくる。

ただ、限りある時間軸の中で行動・活動している訳だから、その時間内で成果を引出せるスキルやメニューを提供できることを教えるという観点で諦めない持続性を持ち続けることが成功の秘訣である。その自覚を指導者は持つことである。

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【ある日のコーチング・カレンダー233】《ある若者の生き方》 

【ある日のコーチング・カレンダー233】《ある若者の生き方》

生き甲斐、働き甲斐の裏側に。

ある若者の生き様。                           
  
指導者として、良く使う言葉「試練とは、克服出来る人のみに与えらるものである」。
誰だって、嫌なことを受け入れて生きることは辛いことである。
時には辛くって嫌なことでも受け入れて暮らしていかなければならない時がある。
でも、辛いものは辛いよね。逃げ出したくなるのは普通の感情である。

ある時、こんな若者と交流していた。
親の借金、まして親自身の借金ではなく、保証人になって出来た借金を必死で返済している、そんな若者と付き合っている。
月々必死に働いた稼いだお金の4分の3、いや5分の4をその返済に充てている。「俺は何のために働いているのだろう。自分は何のために生きているのだろう」と悩み苦しみ自殺まで考えたという。22歳そこそこで、借金地獄で苦しみあげき、生きる喜びを失いかけた若者と今、付き合っている。
深夜まで働き、食べるものも切りつめ、遊びたいことも我慢して、ひたすら日々である。彼の立場になれば、誰だって投げ出したくなる人生である。彼を支えているのはただ一点であるという。それは女手一つで自分を巣立ててくれた母親がいるからだという。自分を一所懸命育ててくれた母親を見捨てるわけにはいかないという。
彼はこの謝金地獄の中でも、実に明るい。そして、前向きである。

そして、いつも彼が私にいうことは「早く、おかん(母親)を楽にさせたい」である。つい最近、一つの借金が返済できて、少し楽になり、先が少し見えてきたという。死のうと思ったことを踏みとどまったことも笑って言えるようになったという。

この話を知人に話したところ、「~をあげます」と彼を哀れみ、物を与えようとする人が出てきた。これには「そうじゃないんだよ」と私は怒った。彼はそんなことを望んでいない。他人が思う以上に強いやつである。貧しくたって心の余裕にあるやつである。自分の生きていくことぐらい自分できるやつである。

この若者に必要なのは、生き甲斐、働き甲斐である。この若者が自殺を思いとどまったのは、母から受けた愛である。「おかんを捨てる訳にはいかんでしょう。おかん一人でこの俺を育ててくれたんやから」と屈託のない笑顔がまぶしい。

少し余裕が出てきた最近、彼は老人介護の仕事に就くためにヘルパーの資格を苦しい中で捻出した費用で取りに通っている。あと、一つの実習で資格は取れる。そして、デイサービスの施設で働くことが決まっている。今までの収入は落ちるものの働き甲斐、生き甲斐を感じてのトラバーユである。元々福祉関係の専門学校に通い始めていた頃に彼の人生のアクシデントが発生して、退学し、朝・昼・晩と働きづめの生活を余儀なくされた。だから、老人介護への道は自分の夢でもある。その夢の一部が実現したのである。借金返済のために人生ではないスタートに拍手を送りたい。
更に凄まじい人生を過ごしても笑って過ごせる彼の生き様に拍手と協力を惜しまない。
 
 このような子とある時期、ひたすらバスケのボールを追いかけていたことを誇りに思う。
 信じるか否かは、あなた次第である。


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【ある日のコーチング・カレンダー232】《映画E・Tより学ぶ》 

【ある日のコーチング・カレンダー232】《映画E・Tより学ぶ》

手や指によるコミュニケーション
自分を表現する。
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 自分の気持ちを伝える方法に声、ゼスチャー、アイコンタクト、テレパシー、表情などなどがある。
 ある時期、チームに”手”や”指”による伝達方法を口うるさく言っている。

 余談であるがアメリカ映画”E・T”の指と指を合わせてのコミュニケーションのシーンは多くの人に感動をもたらした。このシーンの指をイメージしての”指さし” コミュニケーション“がチームの盛り上がりに貢献している。これをやろうと提案したのは畷北のコーチである。コーチがNBA観戦でしきりの行われる感謝の気持ちを込めて、ナイスパスを送ってくれたり、プレイをフォローや協力をしてくれたチームメイトに送る”指さし”が印象強く残ったようで、帰国後、畷北の選手にインプットしていた。それが採用するきっかけになったのは、お正月に家族と楽しんだUSJのイベント”E・T”である。
 言葉がいらないコミュニケーションを強く感じたのである。二つのドッキングで”指さし”を奨励するきっかけになった。

 ガッツポーズもその一つである。過去のクラッチはガッツポーズを非常に嫌っていた。自分のプレイを誇って見せつけているようで嫌で仕方がなかった。ところがスポーツ心理学を少し齧って中でガッツポーズの持つ意味という事に出くわした。

 その意味とは『見切り』である。今起きた自分のプレイを賞賛することを早く忘れて、次のやるべき行為に”移れ”の意味が本来あると言う。このことに選手に伝えて、奨励したことがある。

 ハイタッチのコミュニケーションもスポーツ界では常識になってきている。当然のように畷北でも、練習、試合ではコミュニケーションの方法として奨励している。

 指による伝達 その1
 チームで更に奨励していることがある。
 自分が良いシュートを決められた時に感謝の気持ちを込めて、『指さし』で気持ちを送る。
 そして、手 による意志を伝える行動をとる。
 コーチ上のキャプテンは観客席の応援メンバーに向かって、『ありがとうの指さし』をする。チームでは、これを派手な行為と受け止めていない
 このキャプテンは心から”ありがとう”、俺たちを勇気づける”応援ありがとう”と思っている子である。チームの一体感を最も創造できる部員である。

 指による伝達 その2
 当時のマネージャー”やっかん”(あだ名)の震える手。
 ある時の○○高校戦の第3クォーター。
 一時15点リードで楽勝ムードが一転して、○○高校の大反撃にあって、44-43の一点差まで追い上げられる。そこからの攻防に一喜一憂するベンチ。第4クォーター残り3分でゲームの流れが少しチームに傾いたときにスコアーシートを確認しようとマネージャー”やっかん”の持つスコアーシートを見ると手が小刻みに震えているのである。数秒観察してみるとその震えは益々大きくなり、点数記入がままならない状態に陥っていた。必死で震えを押さえようとするが痙攣に近い震えになっていた。マネージャー”やっかん”の大舞台での興奮である。しかし、使命感が点数を記入させる。
 この手、指先に”気”を感じた。部員たちの思いを感じた。心に起き出した監督として弱気、「もしかして、負けるのでんわ・・・?」を振り払った。「きっと勝てる」と。

 指による伝達 その3
 時間確認、残分3分22秒。
 副顧問の先生に「チームのタイムアウトはまだ2回ありますよね」。
 この時のコミュニケーションも確認の”親指”である。
 「相手チームのタイムアウトは・・・?」
 「もうありません」と副顧問の先生との親指確認である。言葉はいらない。
 
 拳による伝達 己への励まし
 勝利を確認した監督クラッチ、残り3分22秒のガッツポーズ。
 3分22秒に全てを凝縮させるベンチワークを自分に言い聞かせた。
 「第1クォーターからの36分38秒を見切ろう!」小さなガッツポーズ。
 誰にも伝えない監督小さなガッツポーズは本人だけの心のコミュニケーションである。
  「さあ!これからの3分22秒がお楽しみだ!」
 
 手による伝達 ゴメンの合図
 チームメイトと口論になった。
 気まずいムードがコートを支配する。
 監督に指摘させる。謝るなら早いうちが良いと。
 「さっきは言い過ぎた。ごめん」と謝った。
 「いいよ。」と片手を上げた。
 仲直りは成立した。日頃苦楽をともにしている仲間だから、許せる「ご免なさい」の合図である。 

信じるか否かは、あなた次第である。
                            

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【ある日のコーチング・カレンダー231】《55名の大所帯練習》   

【ある日のコーチング・カレンダー231】《55名の大所帯練習》   

ストレスもあるが貫いてきたチーム。
大所帯練習の日々

ハーフコートで55名の練習って。

試合前じゃなければそう思わないが、やっぱりきついよね。
大阪の人ならわかる心斎橋のひっかけ橋の上で人と人の肩がぶつかりあうような通りでバスケットボールをやってるようなもので要通行注意である。
工夫にも限界がある。
ジャンプシュートの練習でも4カ所同時展開にしても、集中力に欠く。
全員練習が目標であるので何とか工夫するもストレスが溜まる。

でも、このような環境の中でも成長してきた集団である。
レギラー練習にコートを開けても嫌な顔せずに行動できるようになった。
「そんなの当然じゃないですか?」というチームの人はしつけが出来ている。
チームはそのような育て方ではチーム管理が維持できない。
同じ方向を常に向かっていなくては駄目なチームである。
公式戦会場での一体感は日頃共有する空気が生み出す産物である。

成長したのは我慢する感情ではなくて、自分のプレイ的な能力を客観的にみられるようになったことである。そのことにより、自分が出来るチーム貢献を考えられる集団に成長したから、ある程度の実績を残せるようになったのである。
「それって、当たり前でしょう」という人が大多数を占める。
けど、大所帯のチームを運営する中で得たことはそうではなかった。
入部してきた者を退部させない。
どのようなレベルの者でも最後まで連れて行く。
どんなことでも共有させる組織を目指した。

部創設当時、公式戦前でレギラー中心の練習に入らない時期にでも、平気で「なんであいつらだけ優遇されるねん」と平気で言う輩は存在していた。
何故、そんな感情を持つようになったのか。
それは部員7名からスタートして、一人でも多くの部員を入部させて、勢いのある部にしようとした結果出来上がった産物である。
日頃、「全ての子にチャンスを」と言い続けてきた産物である。
チャンスはあるが、50人を超える部員全員で試合は出来ない。
力量のある子と努力した子にレギラーのチャンスは巡ってくる。
能力はあるがチーム貢献を理解していない部員にもチャンスは少ない。
日頃の積み重ねの結果、15名のメンバーが選ばれる。
この線引きには色々な要素を考慮して選ばれたメンバーなのに受け入れることが出来ないのである。
何度となくあったチャンスをいかせなかったことを覚えていないのである。
入れなかった悔しさを転嫁してしまうのである。
このレベルの部員がレギラーに気持ちよくプレイさせない結果を生む。
よけいな事まで気を使わせるのである。
プレイに集中できないのである。
試合に出ない子がチーム貢献として進んでやれる子がいてこそチームワークなのに、給水1つにしても自分たちでしなくては行けない様なこともあった。

そのストレスたるもの凄かった。
一緒のようで、心は一緒じゃなかった時代は存在する。
『心』という文字は心を尽くせではなくって、
「心なき者よ、勝利するためには我慢という心を持てよ。謙虚な心を持てよ」と言う意味もある。
ベンチに入れないと言っては、憮然とする態度をして、心からチームという事を考えられない存在が居ては最後の部分で一つになれない事が起きる。
コーチがアドバイスしても、感情あらわに「何でそんなこといわれなあかんねん」と食ってかかる者さえ存在した。そんな状態で勝てる訳がないのに、そのことが理解できないのである。「正直言って、勝てないのが当たり前やろ」と思った事もある。
指導者クラッチはそのことが引っ掛かるのである。

インターハイ常連チームの監督が我がチームに「監督を信じる心がないと全国なんて夢のまた夢である。先生を信じる心がなければ勝てないよ」とわざわざ選手を集めてアドバイスをして頂いた。”敵に塩を送る”行為である。でも全国への道は果たせなった。
ここ何年かはその反省が部員に根付いて来ている。
「そんな事じゃ勝てない」と自覚し始めている。
その自覚が始まってから”上位”に残れるチームに成長し始めた。
チームを支援、支持されている方は「えっ、そんな!」って思われるだろう。
それがチームの現実であった。

自分の立場を実感できる部員達に成長している。
だから、勝たせてやりたかった。
塩を送ってくださった先生もそれを感じておられたんだろう。
チームは確実に成長している事を肌で感じておられたんだろう。

『心』と言う文字が『一心』となり、無我の境地で邁進できるこのバスケットボール部を成長させたい。本当の成長は、素直な心を育ててからである。

信じるか否かは、あなた次第である。 

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【ある日、ある朝のコーチング・カレンダー】ストイック編 

【ある日、ある朝のコーチング・カレンダー】ストイック編
こんなこと言っちゃなんなんですが、拘り続けるストイックに過ごす場面、生きる場所、真剣勝負への場面では、他人が立ち入る隙はないし、示さなくても当然、別に理解されなくとも全然構わないとも思っている。それはあくまで、自己条件の中での日々である。

ただ伝えるには、相手側に立つを忘れることはない。それを職業としての立つ位置であることを理解しているが故の行動である。ストイックの先にある成果を出すためのスキルに繋がるを考えるからの探求と心得る。ストイックに準備するが一つの生き方であると自問自答し、何のためへの先には、わかりやすく伝えるが着地点である。その着地点から先には、全ては微笑みのためにというビジョンがおいでおいでしている。

更にその場面が終われば、ごくごく何処にでも居る、おっさんで上等である。ONとOFFがハッキリしているとだけだと思っている。おっさんである部分でも小粋でお洒落でいたいねを常とする。
そんなことを頭をよぎる朝の一時を過ごしています。
「そんなことできません」
「無理、無理、無理」
を、「出来るやん!」への道しるべ提案をストイックに考える朝を過ごしております。
スキルづくりの原点は言葉にしてみると考えている。それをすれば、これをすれば、成果を得られ、感動するスキルの提案をする。
思い浮かばない時、必ずすることがある。
それが着地点やゴールで感動してたって微笑んでいる姿を思い浮かべる。
そこからフィードバックして、『今』何すべきが見えてくる。今からの具体的な行動パターンの先には、「やったぜ、出来たやん❗️の感動」をイメージする。
すると何かが見えてくる。

何かとは、「何をしたらええねん」の具体である。
見えてきたものを先ずはやってみる。
やってみて、ダメが浮上したら、諦めずに修正&改善を繰り返し、その過程をインプットし、記憶させる。その為に書き残す行動は非常に役に立つ。
ミス、失敗を活かし、ミス、失敗を『試し』と位置付けて、次への行動『修正&改善』で学習し、期限を決めて(時間軸)、何時までに何をどのように改善するのかを明確に出す為に書き残す。
そして、出来た具体案を人に話す『有言実行』する勇気を持つことである。

その行動を自分以外に人に知ってもらえれば、協力者は必ず存在することを後々知ることになる。
それがコミュニケーションであり、居場所と仲間づくりの原点となる。それがチームとなる。

成果が出れば、嬉しくなる。嬉しくなれば、もっとがが芽生える。
信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー230】《新年度に向けて》 

【ある日のコーチング・カレンダー230】《新年度に向けて》

4月に向けての一人一人の答え探し。

ある年、昨年9月にスタートした新チーム。
その時に描いたアウトライン、年が明け、新人戦が終わり、学年が変わり、どのようになっていくのだろうか。

指導者が意図するチーム創りとなっているのか。
その答えはインターハイ予選の一つ一つの試合で出てくることだろう。

新チームの大きな目玉は、コンバートである。
斬新な考え方でのポジション変更である。

変更されたポジションを必死でこなせた者に与えられるプレイングタイムの権利である。全ての選手に与えられたチャンスをものにした者、自分の力で判断すら出来なかった者などなど自分の力でチャンスを探す姿勢を与えられたチームである。
その中には自ら辞めるという逃避に至った者もいる。自分のことが自分で探せなかったのである。辞めることすら、自分で決めることが出来なかったのである。
「バスケは好きなんですが」なんて捨てセリフを吐いて、去って行った者に暖かい手は差し出されなかったのである。
そのポジションへの受け入れがあれば、チームへの貢献は出来たはず…。
何とか、試合に使ってやろうとしたチームの取り組みを後々に悔やむ結果となった。
後日、チームメイトに悔いをもらいしたと伝え聞く。
その時にもう一度と思えば、受け入れるチームであることを知っていたはず。

チャンスはあるが、与えられるものではなかった6ヶ月間であった。
チャンスを自分で察知考えることの出来なかった選手には、長い、長い6ヶ月間であった。
でも、必死にもがき苦しんで、光明を探し出そうとした者には短い、短い6ヶ月間であったはずである。その数は例年以上に多かったのもこの新チームの特徴であった。
その少ない時間の中で頑張り結果を出そうとしたものにどんどん回って来るチャンス。
けど、どうして良いのかが理解できないものには迷路が待ちかまえていた。
指導者クラッチが育てた過去のチームには、ひがみやねたみで足を引っ張る部員が居たこともある。
チームは日々大きく変化している。
この6ヶ月でチーム貢献ということが当たり前のように定着しているのである。
だから、多くの部員に多くのチャンスは保障されたのである。

でも、答えは教えてもらえない。
自分で探せ!である。
突然、回ってくるチャンスに戸惑う日々である。
いつ指名されるかもわからない出番を信じてチャンスを待つのである。
チャンスを感じられる者と感じられない者に天国と地獄の差が訪れる。
心の準備が違うのである。
答えは自分で探すとは言っても、ヒントは山のように与えたのに、自分のことと思っていない者には、馬の耳に念仏である。所詮、絵に描いた餅であった。

そして、公式戦への15名のメンバーは発表される時は近づいてくる。
1回目のベンチ入りのチャンスを得た15名には責任がある。
チームの代表であるという責任があるのである。
責任倒れしないような強さを要求されたメンバーである。
頑張らなくてはと悔しさを押し殺している次のメンバーが待っている。
チーム内にライバルは存在する。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー229】《啐啄之時》 

【ある日のコーチング・カレンダー229】《啐啄之時》
卒琢同期001

啐啄同機 マニュアルのない練習の取り組み。
” 啐啄同機(そったくのとき)”とも” 啐啄同機”の用ともいわれ、碧巌録を出典とした禅語で、鶏卵が孵化しようとする時に雛が殻の内から啼いてつつくのを” ”、母鶏がそれに応じて殻をつつくのが”啄”で、両者が一致した時、雛が誕生することをいい、学ぶ者の意欲に教える者がすばやく応じること、あるいは逸してはならない好機、またとない機会や時のことをいうとのことである。
JOHNS( 東京医学社 出版) 第16巻 第11号 (2000年11月)に掲載された文章です。

以前、このHPで紹介させて頂いた言葉である。再登場である。
何故、改めて紹介することになったのか。
ある年の11月に入ってチームの練習は精神的にハードになってきている。監督が提案する練習内容を自分たちで分析して取り組まなければならない事を突きつけられている。最近のクラッチが提案する練習メニューにマニュアルはない。
部員たちは「わからない。どうしよう」で凍り付いている。
「答えは自分たちで探せ」しか言わないクラッチである。

 そんな日が続く中、暗いムードが漂っているチームのコートに天井から鳩の卵殻が落ちてきた。中身のない殻であった。どうも雛が生まれた様である。部員たちの誕生日の歌の大合唱である。幼いというか、純粋というか微笑ましい光景が訪れた。

 話がここで終われば、ここに取り上げる気持ちは全然なかった。明くる日の1年生の個人ノートに、この殻が落ちてきたことから、自分たちは今までのチームの殻を打ち破って、新しいチームを創らなくてはという類の事が書かれてあった。自分が伸び悩んでいるのは、自分が勝手に作った壁があるからだと書いてある。これにはびっくりした。早速、コートが練習中にもかかわらず、読んで欲しいと申し出た。

「これって 啐啄同機(そったくのとき)じゃないか。」
と指導者クラッチは叫んだ。
この子がこんな事を書くなんて、その日のミーティングはこの話である。成長する部員に拍手である。このことを書いた子は、一時伸び悩みバスケットが面白くなくなっていた。その部員が見つけた成長である。

今のチームのテーマは「監督を超えろ!」である。
それは決して「好き勝手にしろ、やれ」という意味ではない。
昨年までは、「提案されたことを確実にマスターする」が主な課題であった様な気がする。
その殻を破りたかった。それが「監督を超えろ!」という言葉になった。

啐啄同機を部員に教わったことは「監督を超えだした」かなと思える事が随所に確認出来だしている。

信じる否かは、あなた次第である。

                           

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【ある日のコーチング・カレンダー228】《力不足?》 

【ある日のコーチング・カレンダー228】《力不足?》

能力のなさを嘆くことはない。

選手の力不足?

 指導者クラッチが最も嫌う言葉である。選手の力不足を問うならば、答えは簡単である。力のある子を集めれば済むことである。そのような世界が高校バスケット界にあることは事実である。力のある選手を集めるのも監督の手腕の一つである。

指導者クラッチが歩んできた世界では到底及ばぬことであるとは言っても、選手の能力の差があっても、同じ土俵で大会は行われるのであるから、泣きは禁句である。指導者として、監督として、教育者として最大の努力をしたいし、させたい。能力のある選手を集められることに僻みや妬みでものを問うているのではない。全国レベルの多くの指導者と交流を持たせていただいている。能力のある選手をスカウトできる環境で、かつ切磋琢磨なさっている指導者の苦悩や努力を知っているだけに、簡単に「あれだけの選手が居れば、出来て当たり前」とは言いたくない。もし、私の口から負けた相手に「あれだけの選手を持てば当たり前」と言ったところで終わりである。負けて「選手の能力不足」と言ってしまえば、本当に負けを宣言してすることになる。これだけは嫌であるし、絶対に弱音を吐きたくない。次の機会までに能力を引き出せる指導を考えるのが指導者の仕事である。選手の力を発揮できなかった試合を悔やむし、選手の力を発揮させられなかったコーチ力を悔やむのである。

中小企業の経営者が大企業に勝負をして、ある分野では勝ち組になっておられる人は結構存在する。NHK”プロジェクトX”という番組が持て囃されるのは、苦悩する中小企業の取り組みを日の当たる場所に出そうとする試みである。この番組のテーマソング”地上の星”(過去のバージョン)にあるほんの少し光ることに命をかけるプロ集団の生き様に共感する多くの人の心を打つ、そのテーマに感動する。この番組を観るたびに「負けてたまるか!」の言葉が浮かび上がってくる。
 
ブロック大会までのチームの時間は、有意義であった。けど、結果は目標に到達は出来なかった。指導者として、他にやり方はなかったものかと苦悩する。単に悔しいだけでは済まされない、何かが残っている。それを分析すれば、”地上の星”として輝けることが出来るのだろうか?と大会前に色々と考えた。

 このチームは、選手を集めるなんてことが出来る環境の学校でない。それは公立高校だからということでもない。けど、集めることは出来なくとも、選手が集まってくる環境を整備することはできるし、魅力のあるチーム作りをすることはできる。「こんな面白く、楽しいチームがありますよ」と中学生や小学生に伝えることはできる。「あのチームでなんて?」と言われても挫けることはない。いつの日か「あのチームでプレイしたい」と言ってもらえるチームを創造することを心の支えに実績を積み重ねて頑張っていくしかない。

上位進出をどのように評価がくだるのかが楽しみである。小さな地区の中でバスケット大好き少年が多く、このチームを目指してくれることを願うし、努力もしたい。そのためには、まずは部員たちが自主的に自分たちのチームの存在を自覚して、自立した生活を過ごせることである。人が集まる原点は、”なんか楽しそう”である。現代っ子だって、楽しいことにはしんどいこともする。それを信じて指導する。

耐えて3年、そして2年でスタートラインである。
途中でくたばれば、信頼は遠のいていく。
実績を積むには、創意工夫である。

信じるか否かは、あなた次第である。
               

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【ある日のコーチング・カレンダー227】《落ち込んでいる子》 

【ある日のコーチング・カレンダー227】《落ち込んでいる子》

チームの心支えは。

ある時、落ち込んでいる子がいた。

昨日まで楽しそうにバスケをしていた子から笑顔が無くなった。
何をするのも面白くない顔押して、嫌なムードをコートに漂わせている。
この子以外は何がなんだか判らない。
声をかけても、反応しない。
それをじっと見ている指導者クラッチ。
この子がとる態度を予測していたので、傍観していた。
この子自身がどうするか、チームメイトの態度は…と。
いつも笑顔が良い子だけにチーム全体が暗くなって行く。それが幾日も続いた。
ぼちぼち、指導者クラッチの出番かなと立ち上がろうとした瞬間に
電光石火立ち上がった部員がいる。当然キャプテンである。
プレイは大胆であるが気配り最高のチーム史上最高のキャプテンの登場である。
これから先、きっとこのキャプテンに救われる場面は何度もやってくるだろう。
男が男に惚れるである。

ある日の練習、”スライドスルー”の練習をしていた。
指導者クラッチ「次の練習に入りたいんやが…」
キャプテン「まだ理解できてない子がいますので時間をください。」
クラッチ「わかった。」
そして、既に理屈が理解できている部員がいくつものグループに分けて練習し始めたのである。こんな状況は今までのチームには無かった。

その時に落ち込んでいる子に目を向けた。すると輝いた目でプレイをしている。
自浄作用はこのチームに存在していた。
指導者が入る必要のない”和&輪”が出来ていた。

そして、次の日の朝練、落ち込んでいた子が黙々とシュートを打っている。

この子の落ち込みの時にキャプテンは指導者クラッチに「大丈夫ですから、」と言った。
クラッチは託した。

日頃、「クラッチを超えろ!」と指導している。「指導者に頼るな!」を言い続ける。
「俺はいつもトップを目指している。その俺を超えろよ」が口癖である。

この日のミーティングは「少しキャプテンにまいったしている」と2つの出来事を話した。「少しクラッチを超えつつあるな」と話したときに部員の”輪”から拍手が起きた。
当然、落ち込んでいる子も一緒にである。
ミーティングの最後に「このキャプテンを男にしてやりや」で終わった。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー226】《明暗》 

【ある日のコーチング・カレンダー226】《明暗》

教員の日々

明暗

”教師”と言う職業の日々は、明暗の繰り返しである。
相手が人間だけに非常に楽しくもあり、厄介でもある。
ある時代の新学期の4月が終わり、クラッチ担任3年○組の諸君にも学校リズムが出来上がり、遅刻指導の”早朝対象者ゼロ”を達成する。その報告を生徒指導部から受けた。
「よっしゃー」である。
4月30日の朝のホームルームで誉めてやろうと教室に入る。すると今日に限って6名ほどいない。「皆、どうしたんや」の言葉に無言の3年○組である。休日開けの雨の朝、確かに目覚めるには少ししんどい条件ではある。
「しかし、体育型クラスそんなことでくたばっていてはあかんやろ!」
身体上の理由で休むことは仕方がない。しかし、その理由が夜遅くまで遊んでいて、風邪をとか、身体がだるいとかは身体上の理由ではない。このことをしっかりと教えたいのである。

 時間を守り、勤勉に働き、真面目は宝、コツコツ地道に働く国民性をもつ日本人である。それが”日本の常識(スタンダード)”でもあった。時代は変われども、日本人が最も誇りにしていいものである。ところが日本、どうなってしまった日本人である。国際的に働きすぎは悪とまで言われて、日本人総反省?して、”ぐうたら日本人”に大変身する。それでも経済大国を辛うじて維持している。それは一部の大人の頑張りだけで辛うじて国力を保っていると思われる。街に溢れる働かずして、見せかけの裕福さだけを装う若い世代の日本人、ぐうたらは伝染して、DNAにインプットされて遺伝してしまった仮経済大国日本である。
 経済的な最低時期が到来しても、焦らないのが60歳代以上、不況になっても経済的に落ち込んでも、「また頑張れば良い」で地道に働き出す、なぜなら、しんどい時を克服してきた世代はくじけないし、耐えることができる。ところがコツコツと真面目に頑張った時期のない世代は、「不況は俺達のせいじゃない。社会が悪い。大人が悪い」と頑張る姿勢が作れない。揚句の果てに大人(親)にしがみつき、巣立ちをしない。しがみついているわりには大人の言うことを聞かない、逆らうなどの甘えだけが残る。どうなる日本である。悪いことに、そのぐうたら若者に同調して、理解者ぶっている大人がいることが、更なる不幸を呼んでいる。きちんとした生活を過ごすことを茶化して、楽して儲けようのバブル期の夢だけを追いかける大人がぐうたら若者とタッグを組んで生息している。日本全体が早く気付いて、真面目さが市民権を得る時代の到来を促してほしい。

 こんな時代に育った若者は、ほんの少しの努力でかなり努力したと誤解して生活している。運動クラブの子ですら、地道な努力せずして地位を得ようとする。少しの努力を指摘すると有頂天である。ところが新たなるステップに突入して出来ないことを指摘すると「前に言っていたことと違う」と指導者を批判する。ある段階で認められたことを後生大事に思い込んで、その部分だけを自分のために大切にしまっておく。所謂自分だけの世界を確立させて出てこないのである。だから、勉強でも、スポーツでも伸びてこないのである。本当に厄介である。「だから、君が成功して、皆が喜んでくれた時期は過ぎたんだよ」と説明しあげても、新たなる努力をスタートさせようとはしない。こんな子がめっきり増えたような気がする。更なる努力を指摘すると”心からすねる”のである。指導者の更なる指摘を受け入れられる子と入れられない子では益々差は開く。両極性が出現するのである。早い時期に気付かないと組織に大きな溝が出来上がる。溝の浅いうちは手がつくせるが、深い溝となって潜伏しだすと厄介である。この溝は埋まらないことの方が多いような気がする。毎年、この溝を埋める作業が指導者に圧し掛かってくる。特に大勢の部員を抱えだしたこの学校には、部としての課題として残る。

 少し前の話ではあるが、頑張りである成果は一部の者の勲章なのか。
 地道にコツコツはこの国の特性として、受け継がれても良いものだと理解する。

頑張り方を教えれば、能力は開花させることは可能である。一人が出来なくても、チームとして能力の発揮場所を模索すれば、可能性はまだまだある。指導者が諦めちゃ、その時点で進化は、変化は創造できなくなる。堅苦しい表現で書き綴ったが、実行動はシンプルに「やれば出来るやん!」を伝えたい。
何度も、そのやれば出来るとの出会いが続いている。きっかけでやれば出来るを知れば、その継続の仕方を提供する指導者の能力も世の中から要求されているのかもです。
諦めさせちゃ、ダメですよ。
それを今日は伝えたかった。

信じるか否かは、あなた次第である。

                

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【ある日のコーチング・カレンダー225】《夢心夢託》 

【ある日のコーチング・カレンダー225】《夢心夢託》

布石乃心籠を思い出して。

『夢心夢託』
 教え子のブログにクラッチの私造語『布石乃心籠』を大切に語り継いでくれている。最少の赴任高時代に作ったバスケ部部旗は、今はどうなっているのだろうか?過去を振り返らない精神が強いクラッチであるが、あの部旗は、どうなっているのだろうか少し気になるところである。「大切にしてください」と別れたのだが。指導者が変われば、新しい指導者の考え方があるので、何処で朽ちていても文句の言う事はできない。「心を篭めてバスケに没頭できる姿勢を己の人生に活かせよ」と掲げた『布石乃心籠』は,母校バスケ部の卒業生たちの心の宝物であった事は事実である。

 その言葉は、死滅したとクラッチは思っていた。ある時、教え子のHPの掲示板に投稿者のお一人が「『布石乃心籠』って何て読むのですか?」の書き込んであることにドッキリであった。自分が創った言葉が、語り継がれている。有難い事である。

 ある時代の高校入試があった。不安と期待を胸に朝早くから会場に集まる受験生達。朝から受験生を眺めていると何故かしら『布石乃心籠』のことを思い出していた。
転勤した最初の受験にクラッチを頼って集まってくれるバスケ好きの少年達が何人かいる。この子らの持つ夢をかなえてやれる指導者(クラッチ)でありたいし、この子達に夢を託せる指導者(クラッチ)でありたいと思いついた言葉が『夢心夢託』である。
 受験会場で答案用紙に集中している生徒が居た。凄い良い気の出ている子である。「こんな子がバスケットボール部に入ってきてくれたなあ」と試験監督をしている時に浮かんできた言葉が『夢心夢託』である。昼休みに準備室に戻り、好き勝手に思いついたこの言葉が気になるので、辞書を引いてみた。そんな言葉はどこにも載っていない。やはり、クラッチの私造語であった。
 『夢心夢託(むしんむたく)』と呟く。良い響きである。何処にもない言葉でもかまわない。いただきである。これからのクラッチのテーマは『夢心夢託(むしんむたく)』である。

 この『夢心夢託(むしんむたく)』という言葉は、今、愛知県のとあるチームで部旗となっている。この言葉を部旗にと一時考えたがこのチームではシンプルに『心』とした。

『布石乃心籠』から『夢心夢託』となり、更に『心』と受け継がれ、更に『夢心夢託』は他のチームで使っていただいている。直接指導するチームからは遠のいているが『心』の文字はよりシンプルに受け継がれてきたことを誇りに思う。たかが部旗、されど部旗である。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー224】《満足度》  

【ある日のコーチング・カレンダー224】《満足度》 

到達度と結果の差。
満足度

自分を分析する時、結果に関して満足しているか。
「満足している」と答えられる水準と「満足していない」と答える水準がある。
例えば、大会前に優勝という目標を設定して努力していた。そして、優勝。いいじゃないかと思える時と思えない時がある。それは何故だろうか?チーム目標である戦う術や個人の努目標やチームの目標を設定しているのにもかかわらず、その目標をクリヤーできぬままに優勝してしまった。この時に満足感があるかと問題である。私は、「NO!」と答える。自分が設定した水準に到達できずに大会を終えた。その結果が優勝であったとするならば、何にか納得できないものが残るのである。まして、新人戦の段階でこのことが起きてしまった場合にはなおさらである。
満足度001

チームを指導し始めた7年目の年度の幕開けは、新人戦地区準優勝、当然満足していない。これは結果に対してである。内容的を意味するものでない。内容的にも当然全て満足していない。ただ、部員の頑張る姿勢には、スタートラインとしては、OKである。それは何故、指導してこのチームに関わった7年の歴史の中で頑張る姿勢がかなりの水準に到達しているからである。チーム全体のモチベーションは高い。

満足度002
 
にもかかわらず、満足していないのか。コンディション面でベストでなかったのである。色々なことを想定して大会にあわせてきたのにベストで臨めなかったチーム、個人に不満を残すのである。中央大会に向けての調整をチームの課題にすることと、戦術や戦法にもにしてもレベルアップをはかる必要性はある。それがチーム分析であり、全体への分析にも繋がるのである。現状で進歩する可能性を残しての指導、次の段階へのステップのためのメニュー提示が当然要求されてくる。この要求アップに、精神的、肉体的、知的、興味的などに部員に右上がりグラフ曲線が創造させる能力がトレーニングされてきたかが昨年9月以降のチームの取り組む姿勢にかかわってくる。

満足度003

 
昨年、シーズン終了後の9月に立てた目標が「まず、地区優勝」である。それに似合水準に到達していたか、「YES!」である。だから、結果に対する不満はあるが、自分たちの努力を否定することのない水準にいることは、地区大会終了後、直ちに確認したことである。
 
ならば、何故負けたか?それが監督の分析力であり、チームの修正力である。次の大会への基準が設定できた。チームの水準を上げるメニューが当然要求される。それを部員に、どのように伝え、実行させるかが『新たなる取り組姿勢』である。更なる要求を受け入れる体制がチームにあるので、結果に対する不満は残るものの、目標のターゲットが遥か遠くにあるものではないことが確認できた大会である。自分たちの分析力や取り組む姿勢に間違いが起こらないように、中央大会を戦いたい。
                                       
信じるか否かは、あなた次第である。

なお、写真はその時代のものである。

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【ある日のコーチング・カレンダー223】《末端まで伝える》 

【ある日のコーチング・カレンダー223】《末端まで伝える》

徹底させるためのミーティング。
ミーティングの時間が長い訳。

 ある時代の、ある時期の合宿。 
合宿が終わり、早一週間が過ぎた。今年の合宿ミーティングは、2時間みっちりと使った。それは末端までの徹底が指導者としてのテーマであった。

チームの徹底:『チームの誇りを持って走れ!』
指導者の徹底:『末端まで行き渡る指令』

この2つのテーマで望んだ合宿であった。いつもなら合同合宿で他校の先生たちと深夜まで及ぶ『勉強会』で色々な事を学ばせて頂いたところではあるが徹底して、チームとの時間を大切にした。このことが出来たのは、昨年からバスケ顧問に就任して頂いた副顧問の存在が非常に大きい。先生のおかげで時間が作れた。この時間がチームにとって、貴重な貴重な時間を捻出する事が出来た。副顧問の「(クラッチ)先生はチームに専念してください。あとは自分がします」との言葉に甘えて、本当に専念できた。明日の準備、明日の試合相手などマネージャーと細かい打ち合わせの苦労は、半減した。だからこそ、『末端まで行き渡る指令』の徹底ができる判断して、時間との戦い&チームの末端までの徹底がクラッチのテーマであった。

ある日の合宿のミーティング。
クラッチ指導ノートより。
☆チームのプレイを頑張っている者
 複数名
☆勉強頑張った者
 ○○(ちょっとぐらい頑張っても、不満の顔をするようでは駄目)
☆よく寝ていた者                                 
 オフィシャルしながら寝ていた者(笑い&怒り)
☆ボールに座っていた者
 一人
☆チームのプレイが出来なかった者
 3名
☆頑張り始めた者
 5名
☆頑張ってほしい者
 12名
☆チームイズムが表現出来た者
 4名
☆時々チームの存在を忘れる者
 3名
☆頑張っているが余り印象に残らない者
 1名
☆何で使ってもらえないかを考えてもらいたい者(良くも悪くも)
 9名
☆疲れると適当なプレイが始まる者
 1名
☆バスケットを難しく考えすぎる者
 積極性がほしい・結果ばかりを追っているなどで4名
☆財布をなくしていることを一日気づかない者
 1名
☆いつでもAチームに、いつでもCチームの可能性がある者☆いつでもCチームから脱皮できる者
 20名
☆チームメイトを励ましていた者
 2名
☆少ない出番でも頑張っていた者
 3名
☆ベストオブマネージャー
 1名
☆全然試合に使ってもらえなかった者
 3名
☆せっかくの良いチャンスをつぶしていた者
 1名
☆ミスを取り戻した者
 1名
☆本日のミーティングで話題に上らなかった者
 1名
◎出来ないことを指摘すると不快感を顔に出す。
◎チームの悪い面で理解する脳力がない。
◎考える力がない
◎わかったふり攻撃
☆出来ないのではない、やろうとしないだけである。
☆走ることに誇りを持てないなら去れ。
☆Aチームにいて、使われる不安があるならB・Cチームでやれ!プライドを持て。
実際には、全て個人名でメモしてある。そして、ミーティングに細かく説明していく。

 このことを一つ一つコメントを入れて自覚させるのである。最低2時間は必要である。もしも、ここで眠気に負けていては明くる日、絶対に使ってもらえない。また、眠気が来るようなミーティングではない。飽きささない。自分のことであるという自覚を、誇りを待たせるための合宿である。全て自分のことで人任せでは出来ない合宿である。明日の所属するチーム、集合場所など自分で確認しないと出来ない。明くる日の発表はただ一回のみの発表である。聞き逃してはプレイさせてもらえない。何処にも書き残されない口頭での発表である。慣れてくると当たり前のように行動できる。脳を使わせるトレーニングである。

 精神的な事が終わり、やっと明日の徹底させるプレイ上のことの説明が始まり、質疑応答まである。それが終わり、各チームリーダーの発表があり、明日の予定が組まれる。
予定の発表は、ベストオブマネージャー”まや”の仕事である。実に綿密である。関心さされる。そして、各部屋に戻り、個人ノート記入が始まり、夜11時半ごろ就寝となる。

この一つ一つがチームの力となる。
共通ベクトル育成の為のイズム共有の為のミーティングである。
これが強さとなる。
そして、あくる日のコートではリーダーの指示でチーム目標を確認しながら、試合が進み、成果を出そうとチームとしての協力が始まる。監督として相談は受けるが、一々指示はしない。どうすれば、良いのかは各チームで悩み、結論を出す努力をする。それを評価する。4日間もすれば、何がしの形は見えてくる。

信じるか否かは、あなた次第である。

                               

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【ある日のコーチング・カレンダー222】《奉仕する火種》 

【ある日のコーチング・カレンダー222】《奉仕する火種》

口火となった本たちの出えて得たこと、奉仕する。

 何かに奉仕することは、何かを犠牲にして成り立つ。辞書では『報酬を度外視して国家・社会・人のために尽くすこと』と説明されている。
 一企業が利益を追求して、会社の発展に努力する集団を育成しようとする。ところが魅力ある企業とない企業が存在する。何かが違うのである。社員の輝きである。企業だから当然、社員の働きに担う給料が支払う義務がある。社員は自分の技能・能力や時間を提供することで報酬を、権利を持つ。この権利を持つことに進んで自分の能力や時間を提供できる環境が労働を提供する側にあるかが大きな問題である。当然、経営者は進んで労働力を提供できる社員を雇用育成しようとする。
 本棚を眺めていると、
偉大な経営者たちの本を読み漁った過去を思い出すこととなる。
それに伴って過去の遺物が続々とクラッチの遺跡として発掘され、押し入れ、屋根裏、物置などから掘り出し、かなりの読んだ本が並んでいる。懐かしのあまり、読みふけった。小さな本屋なら負けない経営・経済学の本が並んでいる。
我ながら”あっぱれ”と呟いてみる。
本の数量はどうでも良い。中味が問題である。何を学びたかったか。繁栄する企業の経営力学であり、企業のトップの考え方である。

 読者、それは何のために、
スポーツチームや組織のマネジメントに活用するためである。
特に印象にあるのが、松下電器産業の松下幸之助氏の「地域への貢献」という考え方が印象強く残っている。この「地域への貢献」=奉仕である。この精神に影響されて立ち上げたものは多くある。ずばり『スーパーカンガルー杯』(ミニ・中学)、『リトルカンガルーチーム発足』、『枚高杯』、『畷北杯』、『6校リーグ』、『インターミューラル』『大阪招待』などなどである。

 特に松下電器スーパーカンガルーズには非常にお世話になり、貢献していただいた。その結果、多くの指導者、多くの選手が影響を受けて現在にいたっている。奉仕する精神を持ちたい、そのためには何らの犠牲を払わなくてはならない。それが奉仕の精神である。その奉仕することに偽善は必要ではない。ある事業を成功させるためには、人の奉仕の善なる精神が必要である。見返りを要求してはならない。要求するとすれば、人の持つ誠意である。成功をかげながら、喜べる奉仕に精神である。
 成果を出せたとしても、成功しても、自分だけの力であると決して思わないことを今かみしめる。チームに成果を出すために指導者としての頑張りが必要である。
今、それを日々伝えようとしている。
過去の学びの後の本たちでえたものを陽の当たる場所にだす意欲再発見の口火が切ることが出来そうである。
やってみようと試みている。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

今日はちょっと一休み。 

ある日のコーチング・カレンダーはお休みをいただきます。

バレンタインデーを楽しんでください。
私はぶらり旅を楽しもうと思っています。

では、2015年のバレンタインデー万歳!です。

category: クラッチのつぶやき

【ある日のコーチング・カレンダー221】《変化が起きる》 

【ある日のコーチング・カレンダー221】《変化が起きる》

上級生へのアドバイスで・・・。
公式戦後、変化が起きる。

ある時代の、ある時期のチーム。

チームの朝練が少し変化してきた。
チームとして強制していることではないが朝6時過ぎには2~3人程度の部員が朝練をするために登校してくる。特に本年度はその数が多い。うれしい悲鳴である。本人の努力と家族の協力なくしてはできないことである。ここまでは、人数の大小はあるものの、当たり前のように朝の自主練(朝練)は続く。
公式戦終了以降、朝練が自主的なチーム練習に変化しだしている。きっかけは上級生の指導者クラッチの呼びかけから始まったことである。
「3年生にとっては最後のインターハイ全国予選、このままでは、上位戦へベストのコンディションは作れない。特に結束を創造する材料が3年生に感じられない。監督に勝敗の行方を任して置けば良い。放課後の練習時間だけで充分であると考えていては、本当に自分たちが負けた悔しさや勝ちたい執念みたいものは生まれない。」とキャプテンに話した内容である。
どのようにキャプテンは受け取ったのだろうか?
そして、どのような行動をとるのか?
上位戦までに如何に過ごさせるかが、今後のチームに関わる重要な日々となる。
「悔やまない日々のために君らはどうする。」

 その言葉を受けてキャプテンは、「この期間を悔やまないように充実した日を過ごしてほしい。特に3年生は後輩たちに良いものを残せるようにがんばろうぜ!」とチームに話した。この時キャプテンの心には、きっと3年生全員が自分の課題をもって、朝、集まってくるだろうと仲間を信じていた。ところが翌日、数人の3年生が朝練に来たにすぎなかった。キャプテンはかなり不満を覚えた。そして、見守るクラッチも不快感を覚えた。これでは単なる、主力が欠けた単なる個人の朝練にすぎないのである。このようなことをキャプテンも、クラッチも思ったのではない。

午後の練習で「これでいいのか?」とキャプテンが3年生を集めての緊急ミーティングがもたれた。その内容はクラッチも知らないが、感性はクラッチとよく似た子であるの。「何故みんな集まって、自分たちのプレイを作り、次の大会に備えることができない」と訴えたに違いないと思っている。

練習後、『部活動は誰のもの』という話と『キャプテンシーは誰がとる』という2つの話を珍しく長々指導者としてクラッチが語った。
このミーティングでも最もクラッチが多く使った言葉が「これでいいのか?」である。次に使った言葉が「誰のためのバスケットボール部なんや」である。「やらされるバスケットボールを目標にしているバスケットボール部なんか」ということを延々と語ったクラッチであった。もし、これで理解してくれないのなら、”出来ないのなら明日のチームはない”とまで感情の高ぶりを覚えた。

『誰のための大会なのか?』とクラッチは訴える。
『俺は勝ちたくて仕方がない。敗退は悔しくてたまらない』
本当に悔しくないのかと訴えるクラッチにどのように反応するのかである。
「もう一度言うぜ、誰のための活動なのか?」で終わったミーティングである。

ここまで言って動きがないのなら、指導者としてむなしいものがある。部員を信じるが部員は、指導者の言葉に反応できないのなら、その部は終わりである。3年間育てた3年生がもし、この呼びかけに「バスケットボール部は自分たちが頑張るものである。」の返答が帰ってこないようでは、この部に発展はない。まして、キャプテンは3年間苦楽を共にしてきた仲間に感じてもらえないのなら、本当に寂しいだろう。

部室の中で3年生だけのミーティング。
何が話されたのか、クラッチは聞かない。

そして、翌日を迎える。

その朝、3年生がコートで輪を作り、何か話し合っている。
そして、申し合わせ練習が始まった。
上手くいかないとすぐキャプテンが練習を止めて、話し合いが始まる。
いつも朝早く来ている下級生のシュートを打つ手が止まって、3年生の自主練習に固唾をのんで観ている。そこに入る余地などない。
少し遅れて来る者を怒るのでなく、申し合わせ練習は続く。
遅れて来たこの顔に「本当にゴメンなさい。」と書いてある。
その日以来、このフロアーミーティングは続けられている。

次の日、傍観していた下級生も入っている。
上級生の「入りたかったら、この仲間に入れや」の無言の呼びかけに輪(和)が広がる。

ある日の休日練習はあえて午前10時からにした。クラッチはあえて10時ぎりぎりに登校した。体育館に上がる階段でサッカー部顧問の先生とであった。
「何か先生に叱られたんですか?朝早くから部員だけで練習していましたよ」
「そうですか!」クラッチの顔がほころぶ。
「別に怒った訳でもないんですよ。悔やむなよと言っただけですよ」
バレー部の顧問の先生も
「自分たちだけで凄い練習をしていましたよ。」
女子バスケットボール部の顧問の先生も
「何かあったんですか?」
などなど部員たちの変化を受け止めてくださっている。

クラッチ「続けろよ。」と呟いた。

その後は、ご想像にお任せします。
チームの動向を信じて見守る指導者がいたことは事実である。

信じるか否かは、あなた次第である。
                             

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【ある日のコーチング・カレンダー】異なる種目から学ぶ編 

【ある日のコーチング・カレンダー】異なる種目から学ぶ編
オリンピック金メダル柔道家野村忠宏の講演を聞く機会があった。
その時のメモ書きより

学びの領域は無限。
だからと言っても、なんでもかんでもは主体が不透明になる。
「異なる種目から学ぶ」をテーマに話を聞かせていただいた。
まず、そのスポーツを純粋に好きになるがスタート。
感謝と礼儀を学ぶ。
最初は弱くても、続けることの大切を感じる。
一所懸命なれることを見つけてからでも、競技スポーツの道を歩めばいい。
世界のてっぺんを目指した人でも、異性に負ける。
中学時代は県でもBest16程度の選手も
自信はなかったが、期待を持ち続けた。
たまにできた得意技が心の支えとして、たまに勝てたことが自分が持てる可能性に期待感を持ち続けた。勝ちにこだわった。
現実のギャップで心も折れかける。
努力しても勝てないことへ無理を浴びせるな。
期待されない寂しさと悔しさが努力のばねとする。
井の中な蛙が大海に出て、ますます弱さを知る。
そのような選手が強くなるきっかけは、成果が出し始めのきっかけは、聞く姿勢、学ぶ姿勢の自分自身の中できる変化である。わらをも掴む感覚である。
飛躍する時にアドバイスを受け入れられた時に降りてくる聞く耳を持つことである。
曲げないものを貫けば、何かを手にすることができる。また、別のことを手にすることにつながる。何かとは、勝てる競技性を身につけることである。
それが努力する糧である。
練習時の意識の変化を要求されたことが飛躍に繋がる。
選手として、練習取り組む時に時間を気にするな。一所懸命していれば、指導者の目を気にするな。
指導者は時についてもいい嘘は必要である。選手が持つ可能性を引き出すには時には、10回をつやしたのにまだ7回しかやってないよとを変然と言えるか否かも高いレベルに導くための一つの方法として、時には必要な領域の指導法である。
限界を選手以上の領域でコントールできる指導者は出なければ、一流を育てることは不可能である。
選手としての復活は、効力感という財産はあるものの、また負けたらどうしようとか、上手くいかなかったらどうしようとかのネガティブな自分との葛藤とも戦いである。負を振り払うには、原点に戻る。原点とは基本に戻り、過去と今とのやり取りをフィードバックして、プライドを捨てる作業と平行して努力して、復活を手にするための努力することが復活への道となるし、復活(成果を出す)することが出来る。

講演後、凄い興奮状態で会場を後にした。
箇条書き出すから読みづらいことはお許しください。
でも、伝えたいと思った。



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【ある日のコーチング・カレンダー219】《脳力その2》 

【ある日のコーチング・カレンダー219】《脳力その2》

この子が自分自身に誓ったこと。
授業中、絶対に寝ないこと。
たったこれだけのことである。別に授業に興味があったわけでもない。
自分が部活の長である責任感、
「スポーツだけやっている適当な部活じゃない」
そのプライドに火がついたのである。ただそれだけのことである。

 勉強を拒否していたのも、受け入れたのも脳である。脳が判断したのである。一人一人の持つ能力は、脳が判断している力である。潜在的でも、後天的でも良い。そのこの持つ能力を引き出しているのは、脳である。この脳に拒否判断さえさせなければ、きっと出来るようになる。240人中、240番であったこが50番程度まで上がってきたのは、学習することを受け入れた脳の力、脳力である。
 
 教える立場の人で非常に上手く教える能力が高い人がいる。その人をつかまえて「あの人だから出来ること」で片づけてしまう。それは本当だろうか。わからない子に必死でその子の目線まで落として、努力なさった結果ではないだろうか。その目線まで落とすように判断したのは脳である。その方法を学ぼうと判断したのは脳である。そして、理解力のない子にわかるような方法論、話術でその子と向き合ったのも脳の判断である。
 
 能力の有無は、脳の力である。脳に拒否させない限り、必ず出来る。出来ない子には、出来るすべを教える。出来る子には更なる飛躍を教える。この教えるという欲求を発現させるのも脳である。そして、学ぶ姿勢を発現させるのも脳の力である。何かしたいと、させたい欲求を発現させるきっかけさえ間違えなければ、脳は全てのことを受け入れる。気持ちよく行動させることを常に念頭に置いて、生きていけば、能力は高くなる。
もし、生きていく過程で脳が拒否することで、本人にマイナスなことがあれば、過去に遡り、その脳が拒否する材料を取り除けばいい。過去に数学が出来ないと自他共に押す烙印を取り除くために、わからなくなった時期まで戻ればいい。
 
 バスケットボールで自分が能力なくて、良い結果が出せないと思いこんでいる選手には、バスケットの取り組む初期に戻ればいい。そこから始めれば、少し時間は必要であるが、高校3年間ではきっと間に合う。間に合うとは試合で使えるようになる。この初期に戻ることがファンダメンタルである。基礎練習、基本練習である。この部分を無視して、指導を進めると良いことはない。1年次で能力の高い子でも、自分の持つ能力に甘えて努力しなく3年目を過ごした選手は、ただの人になる公算は高い。自分に能力がないと考える選手、生徒と出会えば、出来る限り早い時期に、「貴方は出来る」と脳にインプットさせて、脳の能力に拒否されないメカニズムを確立させるべきである。それには時間が少し必要である。この夏休みが絶好のチャンスである。

全日本級のことが出来ないと能力はないと判断するのが指導なのか。
ささやかなことが出来たことを褒める、喜ぶ姿勢を作ることが能力の生徒を生む指導なのか。
それは難しい判断ではある。
指導者クラッチはささやかなことを喜び、その子が生きていく上の自信を持たせてやることの出来る指導者として生きていきたい。
ささやかなことを喜べる指導者を目指す。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー218】《脳力その1》 

【ある日のコーチング・カレンダー218】《脳力その1》

能力は脳の判断する力である。
能力は脳力である。

一つのことを教える、そして、学ぶ。
バスケットボールなら、コーチと選手の関係。
教育界なら、教師と生徒の関係。
たった一つのことを教え学ぶ関係で結果を見据えたプロセスを如何に伝えるか、如何に受け止めるかは、教える人間の能力であり、学ぶ人間の能力である。その能力の高さが好結果を創造させている。潜在的な能力の高さは、教える立場としては欲しいものである。能力のある人間を集めて、能力の高い学習、勉強、練習に取り組めば、良い結果が見え隠れするのは当然である。
高校ぐらいの年齢になると自分自身で出来ないのは、生まれつきの能力がなくて、出来る日とは生まれつきに能力があると判断して決めつけていることが結構多い。果たして、そうなんだろうか?

 自分は勉強が出来ないから、この学校を選んだ。もっと学習能力が高ければ、別の学校に入学したと信じている。本当にそうなのだろうか。それが真実なら、生まれつきの能力の高低で学力や自分の進む道は決まってしまうのだろうか。「いや違う」と訴えたい。
ある学校を合格ラインぎりぎりで入学、1年間は勉強コンプレックスで学習することを全て拒否していた。黒板に書かれた分数をみるとまず頭に浮かぶことは「わからない。」「出来ない」などと出来ないバリヤを自分自身で張ってしまう。こんな子に何を教えても、受け入れるように脳は働かない。拒否する。時には黒板に書かれた文字すべてが見えなくなる現象まで現れる。
 
 コンプレックスの固まりのような自他との認めるような生徒がある日突然変わった。急に学ぶ姿勢が出来たのである。それ共に授業を受け入れて、聞く耳を持ち始めたのである。テストで良い点を取る。益々授業を大切にする。この子が40人クラスで10番以内の成績を取り、表情が明るくなったである。すると「あの子は学力に潜在的な能力があったんや」と教師は潜在的能力と判断する。この子の潜在的な能力を引き出した指導者はものを言わない。本音は「そんな簡単に言わないで」である。学ぶ姿勢を受け入れない生徒と向き合った日々は語らない。少しオーバーな表現であるが壮絶な戦いであったはず。
 
 この子が勉強をやる気になったのは、実は授業が面白くなったからではない。勉強以外のことで自信が持てることを引き寄せたのである。自分が自分に誇れるものを創造したのである。それは部活動である。学業では勉強コンプレックスで心の傷を持つ子が部活動でやれば出来ると自信が持てたのである。自分が貢献した部活動が学校内、対外的にも実績を持てたのである。その部活動の代表として堂々とした態度で取り組んだ証が成績の上昇につながったのである。この点を多くの教師集団に自覚して欲しいのである。この子の場合、テストの点数がとれてから勉強が出来るようになったのではない。誇りを持てることが出来たから、やる気が発現したのである。部活の代表という器が人を変えたのである。「やれば出来る」。ならば苦手の分野でも頑張れば「出来るんとちがうん」と思えた心が、この子に学習意欲を引き出したのである。

脳力2に続く

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【ある日のコーチング・カレンダー217】《「認められた!」》 

【ある日のコーチング・カレンダー217】《「認められた!」》

少しの成長を喜ぶ。
「認められた!」

 バスケットボール部の部員を早く大人扱いしたい。子供の集団から、精神的大人の集団に成長させたい。それがクラッチの指導方針の一つである。だから、時間がかかっても、『自分の眼で観て、自分の耳で聴いて、自分の頭で考えて、自分自身の判断で行動できる』部員を育てようとしている。技術的に凄い部員でも、人間的に欠点だらけの選手をまずは、大人にさせることからはじめる。その大人とは、チーム内での協調性とチーム貢献ということである。
ある公式戦直前の練習後のミーティングでキャプテンから「監督、明日は集合までのシミュレーションをしなんですか?」提案があった。
シミュレーション「Simulation」とは

①試合当日の準備をして、私物&チームのすべての道具を分配して持ち帰る。
②チームのホームコートを自分たちが行く試合会場と想定して、校門前に時間を決めて集合する。
③学校校門前で点呼してから会場校に入る。欠席者、体調不良者は監督に報告する。
④学校の体育更衣室で全員が更衣する。 
⑤更衣後、軽い昼食をする。
⑥係ごとの準備をする。マネージャーが水係、貴重品係、オフッシャル係、部旗係、太鼓係、テーピング係、残分時間係な  どを確認する。
⑦更衣後、荷物を一箇所にまとめる。荷物番をつかせる。
⑧マネージャーが監督&サブ顧問を探して、その日のベンチメンバーと登録書を確認する。
⑨キャプテンの指示で外アップの時間を確認する。
⑩テーピングが必要な部員は、監督&コーチに巻いてもらう。最優先で時間の余裕を持たせる。
⑪必要なときは、コーチからイメージトレーニングを受ける。
⑫ハーフタイムで当日のベンチメンバーとスタートの発表を聞く。

この①~⑫を体験させておくのである。それは何故か。もし、何かがないとか、時間がないとかは、あせりになり、チームにパニックを起こさせる原因になる。それが試合での”あがり”にもつながることになる経験を過去に何度もあった。だから、畷北では試合前に必ず実行する儀式である。
 
 ところが練習後のミーティングで①~④を省略してもいいと監督から言われた。そのときにおきた言葉が「認められた!」&「俺ら大人になった」である。世間様から観れば、幼稚すぎるのではというこのという儀式シミュレーションは、このチームでは絶対に必要なチーム行動なのである。すこし違ったことがおきるとパニックる部員集団なのである。自分たちが出来ないことを幼稚な行動を認めさせて、習慣つけるまでは必要な指導なのである。このシミュレーションでも成長したことを確認できる集団になったことが大切なことであると指導者クラッチは確認できた。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー217】《二面性》 

【ある日のコーチング・カレンダー216】《二面性》

どちらが本性
二面性。(担任と部活)

ある時、担任に復帰した。
体育型のクラスである。バスケットボール部の3年生、マネージャー含めて全員同じクラスである。その担任がクラッチである。早朝から晩まで部員と一緒である。
4月の頃は、HRではよそよそしかった部員もクラスの一員としての居場所が見つかり、それなりの学校生活が始まった。

顧問であるクラッチ、担任であるクラッチ、学年主任であるクラッチ、教科担当であるクラッチ、HRで一緒に遊ぶクラッチ、厳しいクラッチ、楽しいクラッチ、ぼけたクラッチなど多重人格を思わせるクラッチの七変化に戸惑う部員たち。

「普通にすれば良いじゃない」と言葉で言っても、学校の普通の基準が通じないクラッチであることを知っている連中である。「この学校の常識、日本の非常識」と訴え続けるクラッチの普段をみるとますます手が抜けない3年部員たちである。

しかし、張りつめた日々も慣れるとそれが当たり前になると凄く良い変化が現れてくる。その良い変化を強制でつくったことではないので他の生徒に良い影響が出だしている。体育祭は独壇場、成績もクラス全体がアップして、成績会議に審議される者”ゼロ”に近い状態である。座学の先生方から「やりやすいクラス」の声がちらほら聞こえるようになってきた。「ちょっとしんどいことを続けなさい」と訴え続けるクラッチに明るい材料は続く。4月からの遅刻指導対象者は1名のみで、かつ直ぐに早朝登校指導で済ませてしまう。こんなクラスが駄目なわけがない。更なる良変化が望めるだろう。
 
 今までのこの学校なら、しんどいことが続くと逃げ出す傾向が強かった。けど、それではいつもでも進歩しない組織で終わってしまう。強い指導にでると生徒たちは、二面性を持つ。強く指導する指導者の前で顔と裏の顔を持ち出す。

このことが最も嫌うクラッチである。だから、素顔のままの姿を見ようと少々の態度の悪さや格好を許していた。無法地帯をつくる気持ちはサラサラ無い。”器が人を育てるだろう”とひたすら我慢をしてきた。変化させる場面が現れるまでは、決して口出ししない我慢の指導を実践してきた。そのことで教師クラッチを取り巻く多くの方が支えてくださっていた。そして、指導しても聞き入れる心を持つまで我慢した。

 日常的に服装の乱れがひどくとも、日の当たる場所(表彰式や決勝戦)などにでれば注目される。「伝統校のユニホームを観ろよ。きちんと指導されているチームはさわやかじゃないか。」と訴えてきた。行動に移すのは、部員自身の心の問題である。決して、指導していないんじゃなく、心から変化できることを待つ指導を心がけていた。
でも、奢りかもしれないが、例えば服装のだらしなさを放置しておくと学校内外で影響力のある立場に立てるようになってきた。だらしなければ、「この学校のバスケットボール部はだらしない」「バスケ部の子は、きちんと出来ない。バスケだけでの子や」などの声が直接クラッチの耳に飛び込んでくる。それは放置しておくわけにはいかない。
最近は、このことを強く指導し始めている。遅すぎると批判されても、やり始めている。まずは、”服装を正そう”から始めている。明らかに変化を求めた。シャツはズボンに入れる。
「そんな当たり前のことが出来ていなかったんですか?」
「ハイ!出来ていませんでした」と顔が赤くなる思いでした。
でもそれには、ある方針があった。学校内で浮き上がる存在になることであった。学校全体が出来ないことをバスケットボール部に求めるのはおかしい。そのおかしいことを我慢せざる得ない状況であったのである。けど、今は違う。
一般生徒の大半がバスケットボール部の活躍の存在を知り、この地域にとどまらず、もっと多くの人にその存在を知ってもらっている現在では、状況が異なる。
「心から、変わろうよ」と訴え始めたクラッチである。表面的に明らかに変化は出てきた。

ところが、二面性が出てきた。
3年生は、学校生活の大部分はクラッチと生活している。変わったことを続けるのが当たり前である。下級生はクラッチの前の顔と裏の顔が見え隠れするのである。
部活できつく指導しても、隠れ場がある。その隠れ場が二面性をつくる。このことが嫌でたまらない。これだけ毎日つきあって、わかる指導を心がけても、末端にまで及ばない指導力に落胆する日々である。
駄目なことを駄目と言える大人が減っている。
駄目を承知で黙認する。そうせざるを得ない社会っておかしい。

駄目と言い続けるクラッチの心を察知して、心ある部員の呼びかけで始まった自主ミーティング。学年別に始まっている。最初は3年生から、そして、下級生へと。
その内容は、指導者クラッチが叱っていることが理解できないレベルの部員への説明会のようである。心ある子が耐えきれなくなったのだと思う。自分が出来ていても、出来ていない部員がいれば、駄目である。そのことに気づいて部員の呼びかけで始まったこのミーティングを高く評価したい。チームが更なる進化を遂げるスタートである。

器が人を育てるである。
連続近畿大会出場や各大会最終日までいるチームの存在が、大きく自分たちを変えようとする姿を受け入れられるようになってきた。
だらしなさがかっこいいのではない。
きちんと出来ることが、かっこ良いことを覚え初めて畷北男子バスケットボール部である。
クラッチの要求が素直に受け入れられるようになるまで、7年の月日が必要とした。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー215】《自己管理の忠告を守れ!》 

【ある日のコーチング・カレンダー215】《自己管理の忠告を守れ!》

試合会場での盗難騒ぎ!

忠告は守れ!

 遠征先や多くの練習試合相手が集まる場所では、貴重品や自分の荷物の管理は当たり前である。自分たちのチームだけに限らず、チームで行動するときの自己管理は当たり前のことである。日頃、部員たちには貴重品袋の管理と脱いだ制服やスポーツバックの管理をコーチから強く指導されていた。にもかかわらず体育館観客席や通路に、自分の服が散乱していたり、携帯やウォークマンなどがバックの外にむきだし状態のことが結構多い。このことだけを取り上げてもまだまだGOOD TEAMには程遠いチーム君たちである。自分の物の管理が出来ないものは、プレイ上も向上しない。この比例曲線は各チーム共通のことであるかもしれない。

 ある日の試合会場で悲しいかな盗難があった。自己管理のまずさを狙われた犯行であった。盗むほうが悪いにきまっているが、自己管理のまずさを狙われた犯行である。「自己管理をきちんとしよう!」の忠告を聞けないことは、プレイ上の注意を聞けないことと同じである。しかし、後味の悪い一日であった。スポーツの社会ぐらい爽やかに行きたいと思っても、毎年どこかの会場で起きる盗難である。自己管理というよりも、自己防衛しなくてはならない。”人を見たら泥棒と思え!”では、寂しすぎる。
けど、よく起きる出来事である。盗難にあった部員は、きっとご両親からお叱りを受けているに違いない。高価なものを自己管理できていないことに対することは反省してほしい。

その後、チームバック・シューズ等の整理整頓は徹底されて、会場でも大変身となり、話題にもなったことがある。
                            
信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー214】《指導の原点は怒り(自身との葛藤)》 

【ある日のコーチング・カレンダー214】《指導の原点は怒り(自身との葛藤)》
怒ることに訳あり。
指導の原点”怒り”

 ある時に、一問一答の質問に応える事があった。
指導者としての原点はと質問された。
「指導の原点は怒りである」と答えている。この答えを文章だけでイメージすると怒り(おこり)たおしているクラッチの姿が浮き彫りになる。確か喜怒哀楽がはっきりしている指導者クラッチであるので、怒りが罵倒や強制とイメージがクローズアップされてくる。そんなつもりで”怒り”と答えたのではない。クラッチ指導術は、何故出来ないとの怒りが原点である。それは事実である。そこから先が誤解を生むキャラクターの持ち主であるから、厳しいとか、強制するとかの勝手な印象で観られている感じがする。それを一々否定しないので、勝手なイメージを創られているような気がする。

 怒りの考え方の違い。「何故、出来ないんだ」と怒る、罵倒する、突き放すでは、選手の力は発揮できない。このぐらいのことが出来ないと怒るのは、ほとんどの場合、心の中での行為である。このぐらいのことが出来ないのかと怒りの発源が起きたとき、クラッチのとる行動は、細かく分析された段階指導である。この段階を一段ずつ上がらせる事に繋がるのである。これでもお前はできないのかの怒りを込めて、練習メニューを提供しつづけるのである。一つのメニューが終了した時に、当然お試しコースが待っている。このお試しコースに力が発揮できるかどうかが、選手の仕事と位置つけている。このお試しコースに乗れる選手と乗られない選手の差がある時期から明白になる。

 ある時期(お試しコース期)まで、平等であった練習メニューが不平等になる。この時期が新たなるコーチングの段階になる。それは何故か?選手の気持ちの中に甘えが出来上がっている。やろうする、やろうとしない部員を別扱いして、練習メニューの平等化を徹底していたクラッチが豹変する時期が来る。チーム力向上のためにステップアップさせるときに、意識の高い選手、つまり、自分で考えて式バスケットで自分のものにしようと意識してきた選手とそうでない選手の差がぐ~んとでる。当然、上手くいかなくとも何とかしようとする姿勢のあった選手が使われ始め、徐々に成果を得る。その成果の基準は、しんどいことに体をはったプレイで信頼を得られた選手が生き残れるのである。生き残れると言う表現を使うのは、レギラーとりはサバイバルゲームであることは、多人数のチームの宿命であるので当たり前ことであると認識している。ただ、チームはレギラーをとった選手が勝ち誇った態度はご法度であるし、ベンチメンバーに入れなかった選手の居場所がなくなったわけではない。両方を無視して、50人を超えるの部員を維持できるはずがない。

 頑張り差が出始めた頃、このときである。クラッチの怒りが吹き上って来るのは。
まずは、「自分は出来ないと認めろ」と指導する。
するとほとんどの選手が
「俺はそんなに下手じゃない」と不満の顔色を示す。
この顔色の変化を見逃す手はない。
「何が不満なの?プレイ上の差が出たのは何故?」と指導する。

この質問をぶつけられる選手の特徴に
①与えられたことをこなすだけの選手、巣の中にいる小鳥のように親鳥の運んでくる餌を ピーピーと口を 開けて、待っているタイプに選手である。何の努力をしなくてもある時期までは大きくなれる。
②自分は上手いと思い込んでいる選手。適当にしていても新チームが出来た頃には、試合に出られていた選手。
③監督の要求の変化が飲み込めない選手。自分のプレイから脱却しようとしない選手、低いレベルの試合で通じたことが、ハイレベルの試合でも通じると思い込んでいる選手。
④自分が出来ないことを他人のせいにする選手。例えば、明らかに自分がキャッチミスを しているのに「もっと、いいパス出せよ」と言っている選手、顔に出す選手。このことが頻繁に起こる選手。反省の色のない選手。
⑤時間にルーズでチームに迷惑がかかっている事が自覚できない選手。

 このような選手は、ある時期から進歩が止まる。しかし、心の中には「俺はできる」だけが残る。巣立つ時期にある小鳥に対しいて親鳥は、手を貸さない。また貸せない。自分で巣立つしかないのが自然界である。人間の社会だって同じこと。バスケットボール部だって同じことである。選手自身が持つ素質を伸ばす手伝いは出来ても、所詮試合を自分たちの手でするものである。自分たちで責任を負ってするのが試合である。この試合を自分たちの手で創造することが練習である。その手伝いをするのが指導者クラッチの仕事である。この関係を選手に解ってほしいのである。理解できない者に”怒り”を強く感じるのである。それがクラッチの指導原点である。

 この逆に新チームつくりの当初、上手くいかず悩んでいた選手は時期が来るとぐ~と伸びる選手がいる。このタイプの部員の心はスポンジである。指導者の全てを吸収して、自分で考えて上手くなってやろうと心のそこから願っている選手である。だから、無限大に伸びるのである。苦しさをも楽しさに変えてしまう選手である。この選手の数を増やしたいのである。このことが理解できない選手に寂しいさを感じるし、指導半ばで去っていった部員に悲しさを感じるのである。もう少しのところを我慢できなかった選手を指導出来なかった寂しさを感じるときがある。チームで指導してその数が極めて少ないことが指導者として誇りである。チームの誇りは、頑張る部員が居ることである。下手だっていい、自分たちのやっていることに誇りを持てる部員が居ればそれでいい。チームにかかわる全ての部員に居場所探しに協力する指導体制を求めている。それがチームである。
                                                
 信じる否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー213】《怒りと失望》  

【ある日のコーチング・カレンダー213】《怒りと失望》 

何故か様子がおかしい。
怒りと失望

 ある時、あるスポーツクラブのホームページと出会った。
そのクラブ理念の一節に
 『最近、大人が正面から子供と向き合う事が出来なくなり、家庭も学校も地域も、子供達にフレンドリーになりすぎています。子供の人格は勝手に出来上がるものでは決してなく、大人によって作られるものだと考えています。私達スタッフは、子供達の成長過程で最も重要な時期に、スポーツと言う媒体を使い、微力ながらでも影響を与え近年の日本が忘れてしまっている、「自分の頭で考えられる子供達」が少しでも育って行ってくれれば、と願いながら指導しております。』
 と書かれてあることに共感を持ち、指導者して、組んできた自分たちの姿勢に間違いなしと信念を新たにした。
『子供の人格は勝手に出来上がるものでは決してなく、大人によって作られるものだと考えています。』 その大人によって作られるは、子供の人格は自由を強調するあまりに”好き勝手”をインプットされた子供の不幸を戒める言葉であると理解する。家庭の教育力が低下し、社会が子供を育てることを放棄し始めている日本でスポーツを通じて救いたい、教えたい理念に拍手を送りたい。

 自分が指導していたチームの部員は純粋であるがしつけという面では全体のこと(雰囲気)の善悪をつかめない傾向にある。一部の部員の雰囲気を察知できるレーダーのおかげで、行動の善悪を全体に伝えることが出来る集団としてのここ1年で飛躍的に成長した。それも色々な公共の場に出て、チームが組織として行動できた”おかげ”である。公共の場とは人間が一つのモラルを形成して、社会に迷惑をかけないで行動できる所であると理解している。
 随分、組織として成長してきた部員ではあるが集団で行動すると、どうもお祭り気分が抜けきれずに試合会場で”悪のり”のサポーター化する傾向がある。余り締めすぎると畷北らしさもなくなるが、成長して来ている大人としての行動が随分とれるようになったので安心しているし、任せている部分もある。ところが誤解を受けやすいのか、チームの行動を良く思われていない方がおられる。このことは指導者として常々戒めていることであるがテンションが上がると興奮気味になる傾向が多々ある。一部の子の行動が場の雰囲気を感じられなく、この日の公式戦会場で観客席や通路で騒いでいたようである。それを戒めて頂き、”しつけ”して頂いたのである。このことは戒められた子が監督に申し出たことにより発覚したので、直ぐに指導して頂いた方に謝罪した。試合以外の所で手のかかるチームである。この”しつけ”の部分を早く卒業したいがこれが現状である。この日、試合後のミーティングもこんなことばかりで暗いことになってしまったのである。

 ”一部の部員の雰囲気を察知できるレーダーのおかげ”である子の様子がどうもおかしい。いつも監督ミーティング後に部員たちの自分たちだけのミーティングを持ち、監督の言葉と自分たちの行動を再確認して、みんなに注意して、その日のミーティングが終わる。この子の言葉が監督より重いことが結構多い。ところが今日の監督の「周囲の迷惑を考えて行動しろ」にこの子が憮然としているのである。「これは何かあったな?」と感じて、聞いても「・・・・。」無言であった。気になったが明日冷静になったときに聞き直そうとその場を離れた。「失礼します」と解散したがいつもの明るさはない。やはり雰囲気がどうも違うのである。
 
明くる日のクラブ個人ノートにこの子が切実と訴えてあった。
 ノートには、観客席が狭くて自分たちの試合を通路で待っていた。その時に騒がしくしていたので注意された。直ぐに謝って「みんな静かにしてや」でその場は治まったと書かれてあった。ところが、その場に居た他校の保護者に「どうせどっかの弱いチームの子が騒いでいるやろ」ともろに言われたという。非常に傷ついたがチームの代表として「すいませんでした」とお詫びしたけど、その目が軽蔑の目であったと言う。悔しかったが頭を下げたという。その程度しか観られていない自分たちにショックを受けたという。
 この子のノートの最後にこう書かれてあった。
 『自分たちの行動は悪かったけど、軽蔑の目でしかみてくれない大人を軽蔑します。私たちのチームを誇りに思っています。この人たちを見返してやりたいです』で終わっている。自分たちの非を非と認めて、次の行動を取ったこの子を誇りに思う。そして、成長途上のチームが取った行動は指導者クラッチの責任である。”しつけ”は大人がすることである。この子たちが心から詫びて行動できるチームに育てて見せます。そして、一人一人が責任と言う自覚をもてる組織にしたい。心ある子を泣かせては、大人の恥である。

その後、ある時代の上位チームとして頑張れたのも、この子たちが育ったおかけだと自負している。

信じるか否かは、あなた次第である。
                    

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【ある日のコーチング・カレンダー212】《聴く(聞く)耳を持つ》 

【ある日のコーチング・カレンダー212】《聴く(聞く)耳を持つ》

一部の若者の持つ基準(スタンダード)と戦う日々。
ほんの少し変えてみれば・・・。

ほんの少し自分を変えてみれば成長するのに。
「お願いします。教えてください。」
この一言を言えるだけで自分を飛躍させる材料が転がり込むのに。

聞いたふりをしている。
知ったかふりをしている。
理解できていると思いこんでいる。

ところが実際には上手く行かない。
悶々とした日々が続く。
好きだったことが面白くなくなる。

「お願いします。」の一言で大きく変わるのに。
自分一人で解決できるなら、指導者なんて必要じゃない。
指導者は選手の敵ではない。
きつい要求をしていても、奥に秘めていることは、個々の選手が上手くなって欲しいと願う心である。

多くの場合、自分の弱点を指摘されるとほとんどの選手はすねる、顔色を変える。
確かに自分の嫌な部分を言われると良い気分には慣れないのも事実である。
ところがその選手に優しい言葉ばかりでは、気づかないときがあるので言葉がきつくなる。すると現代の若者は多くの人がいる前で叱られた経験が少ないので落ち込む。
「其処まで言わなくても良いやン」と自分を主張する。

教室での会話。
「バイト先の店長とあわないので次の給料で辞めるわ」
「なんで辞めるン」
「あれしろ、これしろと口うるさくて」
これが多くの若者の基準である。
「お前が店長にあわせるのが普通やろ。誰が経営者と思っているねん」
中には、理不尽な要求をする経営者もいるかもしれないが
言葉からそうではない雰囲気である。
「ええねん、辞めても次のバイトあるし。困るのはあの店やし。」で終わりである。
この基準がまかり通る社会で、自分を変えさせることの大変さを連日味わっている。

こんな若者相手でも、人の心を動かす言葉や指導法は必ずあるはずである。
全ての若者がこのようではない前提であるが、ちょっと、多いような気がする。

「今、何故、君たちに厳しくあたるのか。」を納得させるためのコーチングを模索している。
凄いプレッシャーの中で究極の選択を迫られる場面が想像できるから。
しびれる手で勝敗を左右するシュートを打つ場面が想像できるから。
先輩が凄いプレッシャーの中で意図も簡単にシュートを打っていたと思うのか。
凄いプレッシャーと戦ってプレイしていたんだよ。
今度は君たちが当事者になる。
逃げ出せない状況でのバスケを楽しめるのか。
それは何も難しい事ではない。
チームの徹底力が問題である。
チームの一体感が必要になる。
チームプレイに中で自分に何が出来るかを狂いなくできる環境を整えようとしたときに
厳しさが必要な時もある。それがバスケットボールという競技を楽しみ成果を出せる秘訣なんだよ。

頑張った成果を喜べる環境、
その為には、しんどいことやろうよ。
一度、しんどさの克服さをすれば、歓喜を味わえる。
その味を知ったものは、また、頑張ることができる良い連鎖があるのにね。
負の連鎖は、捨てても構わない。
ほんのちょっとしたしんどさを克服すれば、人生の財産になることが多いのにねを伝える。


信じるか否かは、あなた次第である。

                           

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【ある日のコーチング・カレンダー211】《朝のクラクション》 

【ある日のコーチング・カレンダー211】《朝のクラクション》

何か変なモラルの基準。

朝早くのクラクション

午前6時。
多くの人はまだ眠りの中だろう。駅から勤務先の学校まで15分の道のりを歩いている。車一台がすれ違うにやっとぐらいの道である。学校に着くまでに1台か2台の車が通りすぎていく程度の交通量である。この時間にしては多いぐらいである。この2台程度の車にいつも驚かされるのである。住宅地の中の小さな四つ角が幾つもある。その四つ角を通過する度にクラクションを鳴らすワゴンが通りすがる。

なんて非常識なワゴン車である。考え事をして歩いているときには心臓が止まるかと思うほどである。運転する者にとっては安全確認かも知れないが甚だ迷惑な行為である。毎日の出来事である。間違った基準を世の中に押しつけている典型的なわがまま人間だと推測される。善意に考えたら、四つ角で衝突したかそれに類似する事故にあったかでクラクションを鳴らして、本人は警告しているつもりであるろうけど何かが違う。30km制限の地域でかなりスピードを出している。クラクションの鳴らして人にびっくりさせるぐらいなら低速で走れよとこの運転手に言ってやりたい。

世の中は格好この類の人が生息していて、自分の基準だけで生きている人の数が年々増えているような気がする。そんな人が親になり、DNAでこの基準を子供に知らず知らずに伝承させているモラルが恐ろしい。こんな人に善なる教育をしても、馬の耳に念仏である。このような基準のモラルに押しつぶされそうになる。

クラッチのクラスでは進路の事で連日、調査書依頼を持ってやってくる。
「出願受付開始の月日は・・・?」
「明日です。」
「明日から何日までやねん。」
「明日締め切りです。」
「おまえな。受付開始日の1週間まえが約束やで今日中に出来る訳ないやろ。」
顔を見ると困った様子である。
「おまえが困るかもしれんけど、世の中の常識でそれは無理やで」
と言いながら間に合わせてしまう教師クラッチが其処にいる。

そして、合格発表日がくる。
何の連絡もない。
これを黙って見逃すわけにはいかない。
「合否の連絡は来たんか」
「学校に連絡してあると書いて合ったので、先生はもう知っていると思ったので」
頼むときには無理を押して、終われば何の連絡もしない。こんなことが続いたので、さすがに仏のクラッチもキレて、鬼とかした。
「ええ加減にしろ!」と激怒である。

しかし、世の中、クラクションのワゴン車のようなモラルがまかり通るのが日常的である。おかしなモラルが確実に次の世代に遺伝にしている。寂しい限りである。

ある日のコーチング・カレンダーもコツコツと積み重ねて、211回目の更新を終えました。
指導者の日々は、喜怒哀楽の連続である。
1年なんて、あっと言う間に過ぎていく。
トータルで成果が見えてくれば、はなまるで合格であると自問自答する。
指導者の皆さん、頑張りましょう。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー210】《朝から晩まで》 

【ある日のコーチング・カレンダー210】《朝から晩まで》

集中とリラックスで朝から晩まで。
ある時の、ある時期の、長期休暇の
遠征先での一日の主な日程。
06時30分:起床
07時00分:朝食
08時50分:バス乗車
08時10分:体育館到着
08時20分:アップ開始→*この時間の充実度が一日の出来を左右する。
09時00分:第1試合開始
この間、審判&TOがある時がある。→*昼食が出来ない時がある。
11時30分:第2試合アップ開始
12時00分:第2試合開始
14時00分:第3試合アップ開始
15時00分:第3試合開始
16時30分:日程終了。
17時00分:風呂&洗濯
18時00分:夕食
19時00分:試合ビデオ鑑賞&試合の反省とミーティング
21時00分:自由時間
23時00分:完全就寝。

 この日程に近い形での一日が続いた。その強行日程の中で、何処で何を集中して、何処でどのようにリラックスできるかを体験させる目的で実施した。この遠征での生活は、クラッチの方針で任された事をきっちりできれば、ほとんど文句を云われる事はない。それは何故か、自主性と自覚を身につけさせるためである。その中で最も一番うるさく注意させるのが『時間』である。集団での5分前行動がチームでは、当たり前である。この時間厳守、『集中』&『リラックス』の使い分、そして、チームで協力して『勝つ』を学びの目標に遠征にでる。

 『経験』という観点と『自分たちの頑張りと工夫』で勝つという成果を出すで、”ためし”を考えたメンバー構成でスタートさせて、勝つ試合にチャレンジさせる。スタートを固定せず、全員を試合にというチーム方針で臨む。時には30名全員(練習試合)で戦う試合もいくつかあった。一方、7~8人でおこなった試合も幾つかあった。

この遠征の2日目は、非常にハードで、その日の3試合目に体力の限界域で試されたこともあった。この春の遠征で唯一負けた試合で精神的にも、肉体的にもどん底状態で宿舎に戻った。そして、遠征の最終日は、この遠征のきっかけになったインターハイチームとの対戦があり、朝9時の試合で最悪のコンディションでむかえることになった。この日ばかりは、指導者としてがアップから帯同して、この日の過し方、試合の目標、そして、絶対負けない試合を実行させるべく動いた。長期休暇の最終クールを気持ちよく終わらせることで達成感を持たせたかった。それが強くなる最大の秘訣だと考える。この第1試合の充実が、第2試合、最終試合と盛り上がり、最終試合では普段あまり出番のない部員が意地を出して、レベルが上のチームに辛勝するなど帰阪のバスの中は大いに盛り上がったものである。
                      
 信じるか否かは、あなた次第である。

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一人反省会 

ある日の一日、一人反省会で過ごした。
途中、植木鉢をひっくり返すアクシデントもあったが、今後への修正・改善が見えて来た一日でもあった。

『伝えた』は『伝わった』ではない。
『伝わった』が『出来る』でもない。
『出来た』実感を自覚できなければ、次はない。
『出来た実感』が上手くインプット出来れば、次が見えてくる。

 そこで『やってみようかな』が芽生えれば、『もっと』浮上してくる。
さらに『やってみて』、『出来るやん』でもっとやってみようかの効力感が記憶される。

 この一連のスキル構築が指導者としての『やてみようかなメニューづくり』となる。やってみようが芽生えれば、少々ハードな練習も受け入れて、必要にせまられて『頑張りイズム』が構築される。

 今日一日は、自分のための一日で過去から未来への通過点である『今(日)』を考えることが出来たことに充実感を感じた夕方を迎えている。

 でも、課題も見つかった。
 それは『語彙力』である。
 一つの課題に対しての引き出し、表現の仕方、多くの例題を持つなどなどを考えさされた一人学習の一日だった。思い込みを捨てる。思い込みとは語ったから、例題に上げたから、作業したから、『出来る』は保障されない。さらに『出来るまで』体験が今後のオフィスKURACHとしての活動方針である。

 まもなく2月は『支援する』の月となる。大会の後方支援となる。何故、大会を開催するかを伝えるのが未来へのスポーツ界、特にバスケットボール界への貢献となる。皆さん、会場でお会いできることを楽しみにしております。
 『する、観る、教える、審判する、支援する』などなど、それぞれの場で楽しみましょう。

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