クラッチの「今日の一言(つぶやき)」

スポーツ・コーチング総合研究所 オフィスKURACH 所長クラッチこと倉田伸司のつぶやきをお伝えします。

 

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ゆく年くる年 

今日から正月3日までは
【ある日のコーチング・カレンダー】はお休みさせていただきます。

今年一年ご愛読、感謝申し上げます。
過去の文章、また、新しく書き加えたもの、指導の参考になればと続けております。

きっと、来年の大晦日も同じ感謝を述べていると思います。
1月4日より再開する予定でおります。
その折には宜しくお願い致します。

皆様にとって、よいゆく年、くる年でありますことをお祈りいたします。

     スポーツ・コーチング総合研究所
      オフィスKURACH  倉田伸司
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category: クラッチのつぶやき

【ある日のコーチング・カレンダー188】《三つの”ばん”》 

【ある日のコーチング・カレンダー188】《三つの”ばん”》
 評判・看板・順番

評判・看板・順番(三つの”ばん”)

試合する時に高校生の心に潜む『三つのばん』に要注意。
負ければ終わりのトーナメントゲームにおいて、試合する前の高校生の心理状態は揺れ動くものである。

①評判(噂)
 あそこのチームは強いらしい、高体連の掲示板に書いてあったことや友達が対戦した結果などの評判、噂を鵜呑みにする。その結果、戦前から異常なプレッシャーを自分自身が作り上げてしまう。「噂を信じちゃだめ」である。誰かが言っていたとか、みんなが言っているとかの類のことは、自分で確かめた客観的な事実を提供されない限り信じることは非常に危険である。チームの報道管制までいかずとも、指導する材料である。噂話に振り回される事のない様に指導すべきことである。

②看板(学校名)
 過去の実績あるチームの名前(看板)に対する妄想を勝手に抱く。過去に凄い実績があっても、毎年、選手は入れ替わっている。伝統、強豪の実績は凄い事は理解できるが、それに反応しすぎるのも萎縮の材料になる。自分がそのチームに憧れて、一時は受験を考えたり、受験したりして、自分たちの努力対象であるチームをベストチームと言う心境になれない選手が居ると時にはチーム内亀裂が生まれてくる。この点の戦いはほとんど姿を消した畷北であるが潜在的にあることを予測しておく必要がある。チームイズム確率と徹底が必要である。

③順番(順位)
 その年の新人戦での順位で勝手に実力を判断してしまう。あのチームは1回戦負のチームとか、地区のベスト4とかの順位でプレイの質を変えてしまう。所謂”なめる”という行動をとってしまう。だから、予想以上の苦戦をしいられて、”焦り”をつくり、自分たちのプレイを忘れてしまうのである。逆に自分たちは、優勝したとか、大阪府ベスト4とか、過去になってしまったことを後生大事に引きずっている者達に警告を与えるべきである。このことはレギラーになったとたんに努力をしなくなったとか、どうせ努力しても試合に出れないし、などの行動に繋がる危険性のある発想である。目の前にあることに必死になって追いかける姿勢が大切させるチームの体質を大切にすべきある。

高校生はどうも自分を見失う傾向にある。若さと言う一言で片付けてしまっては、強いチームは創れないし、人間的な成長も望めない。”自信”&”戒める”の微妙なさじかげんが要求されるところである。だから、高校生の指導は手が掛かるが面白いところである。指導に乗ってくると青天井の成長を遂げるが、自信喪失を経験すると奈落の底に突き落とされてしまうのも高校生である。公式戦に心身ともベストコンディションで挑戦したいものである。

信じるか否かは、あなた次第である。
           

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【ある日のコーチング・カレンダー188】《後の先》 

【ある日のコーチング・カレンダー188】《後の先》

後の先(ごのせん)
相手の行動に対応した流れのまま、相手に対して行動する。相手が行動し終えたところや、行動をはずしたところも、効果的なタイミングとなる。

 武術や格闘技で使われる手法である。一呼吸おいて攻める。打たせておいて、打ち返すなどのカウンターパンチ通じるものである。バスケットボールのゲームにおいては、3pシュートを入れられれば、3pシュートでやり返す、このことは、精神的効果でお返しをしたほうが効果的である。バスケットボールというスポーツは、一々やられたことをくよくよしていては成り立たないスポーツである。だから、チームの戦法の原点は『後の先』の考え方がある。シュートを打たれているのではなく、打たせている。クラッチのバスケットボールの戦い方の中に、『シュートは、成功、不成功にかかわらず、自分たちの攻撃権の放棄』という考え方を持っている。シュートチェック&ブレイクのリーディングへのスタート。これも『後の先』の考え方に成り立っている。『後の先』の手法は、常に試合のリズムを自分たちでコントロールする考え方である。一本やられたことに一喜一憂しているよりも、『次にすばやくやり返す』トランディションゲームの原点を武術・格闘技から学ぶのである。ある人が「バスケットボールは手の出さない喧嘩である」と言ったことがある。

 ある練習試合で加熱した戦いの中で選手同士の喧嘩に近い小競り合いがあった。どちらの選手が先に仕掛けていったのか、両監督とも確認できていないし、審判も確認できなかったし、終結するだろうと判断した。けど、いつもでも大阪弁で言う「メンチの切りあい」(にらみ合い)をいつもでも続けていた。その後、バスケットボールの戦いではなくなりかけたので、ベンチから、「やめとけ!」と大声で声をかけた。チームの選手はベンチに向かって、「わかりました」と手を上げた。ところが相手チームの選手は、おさまりがつかずに睨みつけてバスケットボールに戻れないでいる。いち早く我に返ったチームのメンバーは、この小競り合いをチームの結束ということに結びつけた。その後、一方的な試合になってしまった。この試合後、部員に『後の先』という話をした。
 
『やられたら、やり返しなさい』はバスケットボールの点の取り合いや守り合いのこと。『手を出されたからと手を出す』のは単なる喧嘩である。バスケットボールは手を出すことを極力禁止したスポーツである。挑発に乗ってしまっては、勝者になれない。姑息な方法、例えば、試合中の暴言や無意味な肘鉄などで勝っても、それはバスケットボールというスポーツではない。この試合ではどちらに非があったのか判らなかったので早く冷静にさせなくはならない。自分を取り戻せたほうが勝者になれる。セルフコントロールのトレーニングである。公式戦では、相手チームとの戦いの前に、自分をコントロールできなくては、自滅する。揺れ動く精神状態を相手チームの挑発に乗ってしまっては、ますます自分たちのバスケットボールを見失ってしまう。この日の試合でチームは戦うアイテェムを一つ増やしたような気がする。『セルフコントロール』というアイテェムの獲得である。
 
 さらにこの日のミーティングでは過去の出来事にまでさかのぼった。

 ディフェンス強化練習のさなか、ドリブル禁止のオールコート4対4ラリーに取り組みの中で上手く行かない一部員がコートの外でチームメイトを蹴ってしまった。この現象を部員たちは、指導者に隠そうとした。コーチクラッチは見逃さなかった。直ちに練習中止である。「お前らは、言葉で解決できないのか!」とこっぴどく叱られた。「なぜとめられなかった」との追求は続く。キャプテンが「とっさで止められませんでした。少し時間をください」と練習を中止してミーティングを始めた。蹴った張本人が眼を真っ赤にして謝罪した。「見方を敵にしてどうする」との追求は続く。新チーム全員が『心』を一つにして戦おうとしているチームに、チーム内のもめごとはご法度である。ここで駄目なことを教えなくてが、チームの成長はない。

 それから2ヵ月後の練習試合で絶好の教材が提供されたのである。この試合での小競り合いで真っ先に反応したのは、当然、部員を蹴った人物である。2ヶ月前に叱られたことの意味がわかったのである。手は出されたが我慢して、バスケの技術でやり返した先輩に感動したとの申し出である。不貞腐れて、あの時にすねたり、やめたりしていてはこの日の感動は得られなかった。我慢したことにコートの部員たちは、我慢した部員を称えこの部員の活躍の場を次々に与えた。連続ゴールである。相手のチームは、まだ冷静さをとりもどせない。この試合の勝敗はどうでもいい。この試合で得たファイティングスピリッツがこの冬休みで最高のチームの財産である。『後の先』を学んだチームである。

信じるか否かは、あなた次第である。


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【ある日のコーチング・カレンダー187】《言葉》 

【ある日のコーチング・カレンダー187】《言葉》

 伝えらきれないもどかしさ。

言葉
 ある時、部通信を始めた理由のひとつに自分の意思を正確に伝えるためである。なぜ、部通信や発刊となったのか、日ごろの指導時間では、到達できない域を文章により表現し、部員たちに考えさせる時間を作りかった。けど突き当たるところは、気持ちを、心を、意思をいかに言葉や文章にして正確に伝える困難さを日ごろ痛感している指導者の嘆きである。

 口下手な自分を発見して話術を真剣に学んだし、下手な文章だから理解してもらえないのかと文章表現のために多くの本を読み引用することで文章力を高めようと努力してきた。しかし、日々自分の勉強不足さを感じるのである。微妙な表現ができずに徹底させない、伝わらない、もどかしさを体感する日々が続く。説明すればするほど、迷路に入ってしまう部員を看て、どう表現すれば理解してくれるのだろうとの葛藤の日々が続く。努力は努力であって、結果として意思、心、方法論などが伝わらない結果があれば、空しい努力である。

言葉001

 「これぐらい理解してくれよ」
 「この思いを感じてくれよ」
 行き詰まってしまう日々である。
 自分に言葉の巧みさがあれば、
 心に響く表現力があれば、
 自分の熱意を一人一人の心に届けることができれば、そんなことが重く感じる日々である。

 強く表現した言葉で指導すれば、「辞めたい」ともらす。
 努力の結果を問うと萎縮する。
 指導者が何も言わなくなると傲慢になる。
 一人の子を評価するとひがむ、ねたむ。
 
 前向きに取り組む力を引き出したいので、できる限り一人一人にあった表現を心がけているが理解できない。1分間でどれだけのことを伝えることができるか?これが日ごろのクラッチのテーマである。なぜ?1分間なのか。勝つ負ける試合の結果を問われるトーナメントゲーム、自分たちの不利有利さを端的な言葉で伝えなければ、致命傷になる貴重な時間、それがタイムアウトである。この短時間で心を揺れ動かし、その気にさせて、具体的な方策を指示しなければならない。それがタイムアウトである。だから、日ごろ短い言葉で心に響く表現力を自分自身、指導者として要求している。単刀直入に話す、訓練をしている。

 現実は。
漠然と話せない、全体として話せば他人事でしかない。ターゲットを絞って話せば、「わからん」の大合唱。叱れば落ち込む、辞めたくなる。誉めれば天にも昇る心地でわれを忘れる。この集団に適する言葉、文章、指導法は見つけるのは程遠い話である。孫悟空(クラッチ)の天竺までの大ロマンである。

 結論として、自分のこととして話を聞ける集団、個人を育てたいということである。新人戦での結果で見えてきたことが現実のものとしてとらえて、前向きになれるか、後退した集団、個人に生れるかである。新チームからスタートして6ヶ月は、言葉をどう理解させるという戦いであった。部員が次のステップにどう反応してくれるかである。  

信じるか否かは、あなた次第である。           

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【ある日のコーチング・カレンダー186】《見える域Ⅱ》 

【ある日のコーチング・カレンダー186】《見える域Ⅱ》

柔らかさ&しなやかさ
 
 プレイの説明をしても、試合のかけひき的なことを説明していても、頭の中で想像して見えてくる領域が選手によって異なる。これも一つのスポーツをする能力なのである。発展的なことを考えることの出来ない選手の多さに指導の行き詰まりを感じる。最近の選手は、物事を一方的に流れる画像としてとらえているような気がしてならない。何にも考えずにテレビの画像を眼だけで追っているような視線を持つ姿の子が、自分の生活のいたるところで見られる。じっとテレビ画面を観ているので何か思うことがあるのかなぁと聞いてみると「ただ観ているだけ・・・」で終わりである。

教室の黒板に向かっているときでも、前で説明される先生は、テレビの画像と同じで漠然として見ているだけのである。画像としてとらえているので、いつどもスイッチは切れるのである。自分の都合で心のスイッチを切っているのである。眼は開いているし、黒板も観ているが考えていないのである。勝手に他人の画面のチャンネルを変えられたら、自分の身勝手な世界に映る映像を中止させると心に飛び込んでくる映像が鬱陶しくてたまらないのである。「うっとい」と心で呟き、反応すらできない冷めた若者が其処にいる。そのような若者が非常に多いような気がする。それがスポーツをしている若者にも乗り移り、自分だけのチャンネル画像を楽しむ現代の部活世代のような気がする。チームとして見えてくるものを楽しめない世代のような気がする。だから、こそ創造性豊かなチームつくりにかなりの困難が待ち構えているのである。若者が想像できる心の映像をどのようにキャッチするかが、これからの指導者の能力になるだろう。
 
 画像としてとらえているものが、どれだけ発展させてして自分の物事してとらえられるかである。多くの子は、真似事の映像や画像であり、何処かで見たもののなら、想像できる域にある。しかし、記憶にすら残らないものに対することを想像しなさいなんて要求しても、思い浮かべることは無理である。そのことを要求すること事態ナンセンスである。全てのことを映像としてとらえているのスイッチを切ってしまうと都合の良い自分の世界だけが残るだけである。

 その点、本を読んで考える習慣のある人は、発展してことを考える能力を培ってきているので簡単に心のスイッチをきることはないし、考えたり、想像したことを記憶しておくの能力と引き出す能力、更に発展することを考える能力が培えるような気がする。学習して考えて行動させるためには、見える領域を高めてやることが必要である。一つのプレイを教えるにも、答えは自分たちで考えさせて、行動させることで自分たちのプレイの幅を作ることができないだろうかと考えて指導している。少々時間が必要でも、手堅く、自分たちの力で試合を創って行く能力が身につく言葉や指導方法を模索する日々である。きっと良い画像をキャッチして、考える力や想像力豊かなプレイが展開できること信じて畷北で悪戦苦闘している。
 想像する画像や映像が限られた貧困なものならば、想像させる映像や画像を豊かなものを与えつづければ良い。そして、受像する映像を記憶させる能力を高めるしかない。その良い画像や映像を幅広くキャッチできる受像機(本人)を創ることである。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー185】《見える域Ⅰ》 

【ある日のコーチング・カレンダー185】《見える域Ⅰ》
選手たちが見えているもの。
柔らかさ&しなやかさⅠ

 力強く、柔らかく、そして、しなやかなプレイが出来たら最高である。そんな選手に遭遇できるなんて、そうざらにあるわけではない。力強い選手には、柔らかさが無く、しなやかにプレイできるが強さが無いなど、何か何処か物足りなさを感じながら指導していることが多い。やはり、何か物足りなさを選手は持っていることが普通である。だから、色々な工夫をして練習に取り組み、その選手の持つ最大の力になるように練習させているのが現状である。柔軟性やしなやかなど、その能力を引き上げてやろうとするコーチングにテックニック的なものよりも、メンタル面が大きく左右しているのではないだろうかと悩む日々である。ストレッチ、ボディバランスやボールコントロールで個人的なプレイ域を広げたとしても解決できるものではないような気がする。

 過去に色々なチームと対戦したが、隣の庭は良く見えるもので、やたら、しなやかさやセンスを感じさせる他校の選手に出くわしたような気がする。そして、その選手に頑張りだけでは阻止できない華麗で力強いプレイでやられてしまった印象が強く残っている。あのような選手をどう育てたらいいものやらと悩む。

 センスは持って生まれた能力なのか?後天的に創れるものなのか?この論争は別にして、ミニバスケットを指導した経験から、低年齢からボールの扱いやその競技を経験している選手にゲーム感覚やセンスのよさを感じることが多い。
 
他のチームに目を向けている時ではない。何処のチームでも良い選手は良い。このことは、バスケットボール愛好者として認めるところである。それはそれとして、自分の所の選手が最高である。いや最高にするんだとの指導理念をもって指導するのが指導者の仕事である。隣は隣である。自分たちのチームにしなやかさやセンスが伴うまで指導の工夫と気持ちよくプレイさせるための工夫をどうすればと葛藤の日々は続く。しかし、何とかしたい。

 チームの選手は確かに力強いし、一所懸命である。これは自慢できることである。けど、しなやかさや柔らかさに欠ける。だから、余裕がない。プレイのしなやかさは、心の問題にもあるのではと考え込んでしまう。あまりにも堅実なプレイを要求し過ぎているのではと指導者としての工夫を考える。頑固な事はいい時もあるが、心の柔軟性の無い一途さは、人間的な幅の無さに繋がる。心の余裕がある選手は、プレイの見える領域が違う。

その2に続く

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【ある日のコーチング・カレンダー184】《群れる-その3》 

アップする前に読み直して、
群れる?と勝手に疑問が湧いてきた。
集まって、何かの目的をもって、頑張れば、意識が出来る。
それがいい意味の群れである。
って、勝手に定義づけております。
読み流してください。
2014のクリスマスです。
楽しい一日をお過ごしください。

【ある日のコーチング・カレンダー184】《群れる-その3》

群れるⅢ
 かなり前、全国級先生に「一言って、十悟れ、なんて高校生に出来っこない。十出来るようにするには、百教えないと」と教えていただいたことある。この先生に何か得ようと必死で練習試合をお願いしたことがある。この遠征で一日にフルゲーム5試合の体験もしたし、その強豪校のコートで遠征試合を受けていただいたのに、一日目が終了して、食事をご一緒させていただいた時に「明日、別の県に移動して別の強いチームと練習試合するから、一緒に来るかい」と急に誘われた。それが夜の10時過ぎである。こんな機会はめったにないと判断して、「お願いします」と返事してしまった。遠征費もかつかつで来ていることも忘れてしまっていた。

 一日目5試合100点ゲーム負けの連続で身も心もぼろぼろの選手に、
「明日、もう一泊する。移動することになった」と報告する。
たぶん、暗い顔になると思いきや「先生行こうや。そこでもう一度、やろうや」の返事が返って来た。凄い『群』であった。相手は全国の決勝進出校、かたや大阪でベスト8がやっとのチームである。その子らが「やったろうやないか」の心境になれたことが凄いとそのとき思った。

 到着するなり、お誘いいただいた先生に「もう一度お願いします」と朝の挨拶よりも先に言った記憶がある。それも「レギラー戦でお願いします」との生意気な(若僧)監督クラッチであった。その発言のきっかけは、昨夜の「先生行こうや。そこでもっぺん、(強豪と)やろうや」の選手たちの後押しに支えられてである。結果は、1点差負けであった。しかし、移動先の指導者たちは、昨日とは異なる目で見てくれた。先生には心からお礼を申し上げ、感謝した。そして、その日も4試合のフルゲームをさせていただき帰阪した。

 しかし、帰阪には更なる地獄が待ち受けていた。お金が底をついていたのである。選手を集めて、「普通の乗り継ぎで帰る金しかない」と説明した。快く受けてくれた。選手に感謝した。腹が減っても、我慢、我慢。いつもなら缶ビールとスルメの監督も我慢、我慢。この珍道中のおかげで『群』の結束が出来た。そして、沈黙の掟が出来た。それが『絆』である。  

 信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー183】《群れる-その2》 

【ある日のコーチング・カレンダー183】《群れる-その2》

群れるⅡ
 気持ちよく行動できる集団とは?
 コンビニで出会った見知らぬ子とほんの少し話して意気投合する。そして、あだ名しか知らない子を『連れ』と呼ぶ。現代社会では、こんな集団があちこちに存在する。子ども達は、その『連れ』を友達と呼び、仲間だと言う。大人は「そんなことないだろう」と言う。でも、それが現実である。このことを大人も少しずつ認識理解し始めている。そこで「自分たちの子どもの頃は、そんなではなかった」では遅すぎる。大人が、耳にする少ない事実を「それは一部の子」と思っている頃、すでに水面下では、かなりの数が気泡となって浮上することを待っている。こんな子達が『群』をくみ問題行動を引き起こす。一斉に問題の気泡が水面上に上がってきたときに大人は焦る。この焦りを子ども達は、嘲笑している。所謂大人を馬鹿扱いする若者が世の中に蔓延ってしまっている。子ども達は、ささやかな警鐘を鳴らしていたのにもかかわらず、見てみぬ振りをした『大人たちのつけ』が、まわって来ている。

 『群』の最も小さな単位は家族である。この最も小さな単位である家族の乱れが遺伝子(DNA)を狂わし始めているのである。『群』の中で馴染めない。『群』の小さな単位である家族でも掟(ルール)を作れない、守れない子が社会という『群』で適応できる訳がない。

 『群れ』は、『個』を無視することではない。群れるために個の英知を集結させることである。『個』だけを尊重し、群れることの大切さを軽視して日本の歴史が流れ初めて、世の中がおかしくなった。『個』を集結させて新たなる『群れ』創りを提案しなければ、崩壊だけが待っている。一度崩壊した『群れ』を元に戻すことは非常に困難である。一度破壊された自然を反り戻すには、何百年という単位を必要とする。しかし、崩壊を見逃し続けると修復不可能な絶滅が起きる。本来持つ本能がほんの少しでも残っている時に、修復すれば何とかなる。駄目な事ばかりが、日常のニュースになっている。これはそうさせてはならない、そうあるべきでないと警鐘する人間の持つ本能である。

 だから、現在、色んな所で本能を擽ることが復権している。故郷ユーターン、和風の見直しなど若者がそのような場所に眼を向け始めている。京都の町家を改造したコミニティゾーンや新和風つくりの家などが見直されているはその現われの一つである。日本人の持つ『和』を重んじる『群れ』再生への始まりと観ている。

 旅行先やレストランなどで家族的な雰囲気の場を求めるのは、本来おかしなことである。家族という『群れ』に家族の掟を持たないから、他の場所に求めるのである。身体や心の癒しを自分たちの家族でかもし出せれば、外に癒しを求める必要はない。『群れ』は、優しさや癒しの場である。その前に生きていく上での掟(ルール)、特に『群れ』での掟(ルール)を叩き込む場である。この原点を忘れかけたことを今取り戻そうとしている。それも若者の行動からである。

 大人が「これではダメだ」と思っている以上に、子ども達が「こんなんいやや!」と叫んでいる。しかし、子ども達は、どうしてよいのか、方法が解らない。大人は「個性だから、個人の問題だから」と解決策を子ども達に託した。それが失敗の始まりである。子どもは毎日が発見であり、体験である。世の中を少しでも先に歩いている大人が道を作ってあるのが本来の姿である。その道を手をつないで歩くのでなく、自分の力で歩ける子を育てることである。道のない原野に「好きなように歩きなさい」でどうしていいのかわからない。どうしていいのかわからない子が失敗して怒ることは簡単である。起こりうる問題を解決する術を教えるのが小さな『群れ(家族)』の道(仕事)である。

その3に続く

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【ある日のコーチング・カレンダー182】《群れる-その1》 

師走押しつまる中、まだまだ、続きます。
今回は群れるをテーマに1~3でクリスマスまで続けます。
ではその1

【ある日のコーチング・カレンダー182】《群れる-その1》
集団の中で生きる

群れるⅠ
 本来、『群れる』習性のある人間の本能が変化してきている。本能とは持って生まれた遺伝子に組み込まれたものである。人間と言う動物が進化してきた中で何度もコーピーを繰り返し、この地球、この日本、この大阪という環境で生きていく術を遺伝子に組み込んできた財産である。その中で『群れる』という習性は、仲間を守り、仲間と共に生きていく環境を整備して生活バランスを保っていく術である。

 『群れを成す』という習性を最大の特徴として生活を営んできた日本人がこの50年で大きく変わってしまった。『個』を大切に、『個性』を尊重すると言う名のもとに、本来持つ素晴らしい『群れる』という本能を奉仕し始めたのである。この本能の大切さを捨てて、忘れ去ろうとする傾向が世の中に蔓延させてしまって、日本の良さを亡くしてしまった。本能である部分を変えようとすると人間は、居場所が悪くなる。個性を重要視することは大切である。しかし、自分たちが心地よく生きるために作り上げた『群れる』という大原則を捨ててしまっても、深層的な心の部分では「なんか変だよ?」と葛藤しているはずである。日本社会にある『群れる『と言う本能を無視して新たな社会を創ろうとした世の中に大きな警鐘が鳴り響いている気がしてならない。

 指導者クラッチはバスケットを指導することが、最も得意とする人間である。ここ数年指導していて、「なんか変だよ?お前たち」を強く感じるのである。『チーム』と言う『群れ』を目指して入部してきているはずなのに、群れることができないバスケットというスポーツを目指す部員が入部してくる。『チーム』と言う『群れ』を維持存続させるには、掟(ルール)が必要になる。その掟(ルール)が理解できない、理解しようとしないスポーツ選手が多すぎる。所謂、自己中心型なのである。自分は主張するが、他人の主張は受け入れない。一方通行の生き方が大手を振っているのである。仲間を作れない。また、仲間を作ろうともしない。そんな子がスポーツをしようとするのだから、大変である。

 朝練習をして一人でコツコツとシュート練習をする。一見好ましい光景である。ところが仲間と何かをしようとすることは少ない。それがバスケットの練習だと思っている。バスケットって5人でするスポーツである。そして、バスケットボールのチームは、5人だけですまない『群れ』である。仲間と一緒に何かしなくては、ゲームを楽しむことが出来ない。仲間と一緒にゲームをすることの大切さは、人の持つ本能の一つである『群れる』ことの大切さを強調することである。だから、朝練習は、『群れ』に戻った時のための予備練習である。個人の自己満足のためのものでない。個人練習は、チームの中で活かせる技を磨く場である。「ある場面を想定したイメージでやりなさい」と指導する。その場で四六時中ついて指導している訳ではない。だから、「イメージしなさい」をインプットしておく必要がある。技術的なアプローチは出来ても、群れの中の生き方へのアプローチを指導するのは時間がかかる。

その2に続く

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【ある日のコーチング・カレンダー181】《教訓を生かせ》 

【ある日のコーチング・カレンダー181】《教訓を生かせ》

 優しさに便乗した、甘えは許せない。
 これはとある高校のバスケットボール部お話です。

『優しさ』&『甘え』
 練習試合でも、公式戦でも、途中駅で集合して目的の会場に向かう。これが続けてきたチームの習慣であった。全てではないが、監督クラッチ&コーチは、待ち合わせの場で点呼して、『チーム(軍団)』は、会場に乗り込むのが通常であった。
何故、そんなことをするのか。ある学校の先生が、集団で歩く『チーム(軍団)』を見つけて、「凄いですね。引率して歩けるなんて、凄いですよ」とお褒めの言葉?をいただいた。しかし、クラッチの内心は「なんで引率せなあかんねん。子どもじゃあるまいし」である。ところが、引率しないと『チーム(軍団)』は、統率できない軍団の時期があった。強がりを言う癖して、行き場所を解らずに右往左往する者が生息していた。自分一人で行動できないくせに平気で遅刻する。そして生意気な態度をとる。腹が立つが、基本的にはやさしい畷北であるので待ってやる。いつも待ってやるものだから、甘えて反省する心がない。強く言うと居直る、すねるである。みんなに迷惑をかけていることが理解できずに自分の主張だけをする。そんな状態にもかかわらず、軍団が一緒に行動する意識だけは強い。強いというより、集団の中にいると楽なのである。この状態がなくさない限り、この集団の成長はない。
 ある時に監督クラッチが集合場所に行けずに『チーム(軍団)』だけで会場まで来ることになった。9時開始のゲームにアップは始まっている。ところが様子がおかしい。人数が少ないし、ボールの音がしない。また、『チーム(軍団)』のわがままが始まり、アップが始まろうがお構いなしに、自分がトイレに行きたければ、ことわりもなしに勝手に行く。自分だけのことしか考えられない行動が始まったかとコートに入って、キャプテンに聞くと

「・・・・・。」
何も言わない、言えないのである。
せめて「オハヨウございます」ぐらいは、言えよと思うが
「・・・・・。」である。
「どうしたん?」
「みんな揃っていません」
「何でや?」
「遅れた者がいて、待ち合わせの駅でその子を待ってます」
「そんなら、一人だけ残してきたらええやん」
「・・・・・。」
こんな状態である。
 キャプテンの言い分は、○○沿線グループと△△沿線グループがあって、一つのグループの一年生がボールを忘れたのでとりに帰った。その子が来るのを皆で待っている。だから、遅れているのだとキャプテンは言う。その子だけが遅れればすむことであるが、グループで一緒に行動するという美学が働き、集団で責任をとろうとした。その結果、レギラーが揃わない試合となった。これにはさすがの指導者クラッチもマイッタです。

 その後、指導者クラッチがとった行動は、『集合は現地でする』である。いつもでも子ども扱いしているから、自立できない集団になっていた。自分の責任の元に自分の頭で考えて行動できる『チーム(軍団)』を育てようと方向転換した。この出来事は過去の話である。けど、いつまでも子ども扱いして手を差し伸べる『優しさ』は、この軍団に『甘え』を作っていたことになる。責任ある行動をとらせたいならば、失敗覚悟の勇気ある行動を与えなければ育たない。”そんなことは当たり前である”の集団ではない。

学力とか、そんなことだけで片付ける問題でもない。『しつけ』というモラルの問題である。その当たり前の行為、行動の教育が欠如しているから、責任のない行動を平気でし、許されて来ているのである。この遅刻事件、ボール忘れ事件、電車の乗り間違い事件、学校間違い事件など指導者クラッチがイライラする行動が日常茶飯の連続であった。だから、ハラハラ、ドキドキの連続である。そんなことも月日と伝統で随分なくなったが、心から信用していては、取り返しのつかないことも予想されるので、前日、遠征や対外試合のことについては、必ずキャプテン&マネージャーに最終確認をさせた上で別れるし、常に連絡できる状態にしておく習慣はこの軍団にはある。

『チーム(軍団)』の教訓
 一、時間を守れない者を基準とした集合時間を組まない。
*どうせ遅れるからと早く集まる習慣を作らせない。せめて10分前である。時には、集合出発が同時間を設定する。絶対に待たない。
 二 、集合時間に守れないものが試合に出さない。
*遅れても試合に出れるという『甘さ』を一掃させる。中学時代、朝起きれないからと先生に起こされないと試合に行けない者が居たと言う。「アホか」と思う。「その子が居なくて負けてもええやん」そんな『優しさ』はクラッチにないし、必要ではない。
 三、責任は個人で取らせればいい。
*いつもボールを忘れる、ボールを預かった日に限り休んでしまうなどの無責任なものを許せる土壌をなくせである。
 四、理由なき遅刻、欠席は許さない。
*だてに全員携帯電話を持っている訳じゃない。肝心な連絡のためにある。携帯に払う金があるならば、もっと有意義に使えよ。

 この教訓は、生かされるためにあるものである。幾多の失敗を乗り越えたチームの財産である。休み明けや年度初めには、やたらと学校外での問題行動が多い『チーム(軍団)』である。成長した軍団を報告したいものである。きちんとした行動は勝率に比例する。その勝利の方程式を証明させたい。

 馬鹿げたことを思われることをスタンダードにする。

 「そんなこと、当たり前やろ」で済まされない。出来ないから出来る方法を教えたに過ぎない。こんなことが日常に起きているのに対応できない大人(指導者)にはなりたくない。目の前に起きているマイナス要因を正すことの大切である。

 信じるか否かは、あなた次第です。
                          

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【ある日のコーチング・カレンダー181】言語から探る 

おはようございます。
今日のクリニックを始める前に書き始めます。

【ある日のコーチング・カレンダー181】言語から探る

アーリーの言語「初動」と訳されている。
とは言っても最初という意味ではない。

次にがありきの次へのスイッチを意味する。
第一ステージから次への初動を第二ステージとしての『アーリー』がある。
さらに第三ステージ(ミドルステージ)としての『展開』があり、
最終ステージとしてのレイター(later stage)ステージとしての安定した『成果をだす』がある。

この一連のバスケットボールチームシステムとしてを昨日、今日クリニックさせていただいている。

アーリーオフェンスを取り組みチームのシステムを真似れば簡単に習得できる。
「なんぁ~だそんな簡単なことなの」である。
とは言っても、各ポイントに潜む技術はとの結びつきをゲームで成果を出せるに至るチームとの出会いは余り見かけない。

キーワードは、①スタート時の判断②連続性③同時性である。
技術的には①パス力②ミート力③4レーン④リバンドポジション⑤セフティー
フィジカル的には①ダッシュ力②チームとしてのスタミナ
メンタル面は①信じる力②成功感構築③効力感のインプット

この徹底にさほど時間は要さない。
チームに理解させる『ほぐし』があれば、取り組む姿勢が変わる。
「出来るかも!」をインプットし、自分で考え、成功をイメージして
プレイすれば(アウトプット)ば、成果は出せる。

信じるか否かは、あなた次第である。

category: オフィスKURACH

勝手に区切ってま~す。 

【ある日のコーチング・カレンダー】をアップして今日で180回となります。

中途半端やな?とは言わないでください。半年分です。
【コーチングカレンダー』とネイミングして180日ほぼ毎日更新してきました。
まず、読んでいただいている読者の皆さんに「有難うございます」の感謝、
次に自分自身に「よくやったね!」とガッツポーズ、
もしできればハイタッチしたいのですが、コーチングで輪が広がった方々に『ばぁ~ん』を贈ります。

テクニカ重視のある人からつまらないとのご指摘を受けながら、
伝えていないことがあります。
メンタル面重視の文章には、実は裏があります。
このコーチングカレンダーに基づいたスキル・メニューがチームには事前に準備するためのものなんです。

ある人は気づき、オリジナルメニュー創りに取り組まれて成果を知らせてくださいました。
その言葉が「チームの取り組む姿勢に変化が起きました」とのことです。
『信じるか否かはあなた次第です』の件には『やるか否かはあなたです』、更に「やれば、何かが生まれる」です。
単なる技術の伝導では、成果が出にくい一面をしる知る一人の指導者として、伝えていきます。

1年365日の位置通過点、ある日のコーチングカレンダーの日めくりはまだ185日続けます。
私は年365枚のカレンダーを指導者の歴史分を切り取ったものを保管しています。
それを持ったまま、「私、指導者やめました」にはなれません。

このブログに行きついた方が一人でもおられる限り、続けるを決めております。
ツイッターに紹介し、且つ遅ればせながらFacebookにも遅れてスタートしております。
ダブル面も多々ありますがご了承ください。

今日、山梨の日本航空高校の皆さんと新たな出会いを今日明日クリニックさせていただきます。
そんな時も、【ある日のコーチングカレンダー】は続けます。

category: クラッチのつぶやき

【ある日のコーチング・カレンダー180】《教えられたこと》  

【ある日のコーチング・カレンダー180】《教えられたこと》 

「助からないけど、助かった」
教えられたこと。

 「助からないけど、助かっている」将棋永世名人大山康晴氏が肝臓ガンの手術後、復帰して対局された後のコメントだそうだ。”助からないけど、助かっている”この言葉をチーム副顧問のN先生から順位リーグ終了後の反省会で教えられた。

”助からないけど、助かっている”という言葉の響きに順位リーグ”の戦い”を物語るにぴったりの響きと心境である。近畿大会順位リーグ最終戦終了後、悔し涙を流しながら、歯がゆさをぶつけていった。最高のコンディションを作り出すために過ごした2週間、そして、インターハイという道を追い求めて、『現状のメンバーで何が出来る』というテーマで過ごした1年間。一度も駄目との結論にいたらなかったチームであった。
you can do it!(やれば出来る)を言い続けたクラッチである。なのにこれだけしかできないのかと部員の前で大泣きした指導者クラッチである。とにかく、この時点(順位戦終了)では近畿大会すらものにすることが出来なくなった心境で悔しくてたまらなかった。
近畿大会出場は絶たれた(助からない)。
 部員たちも、保護者も、チーム関係者たちも虚脱感が支配していた。努力の日々が短い時間で凝縮されて脳裏が走る。無理矢理に振り返らせる空しさから、「俺たちの努力はなんだったんだい」と自分を責める。

 その時、競技委員長S先生が近づいてこられて「近畿出場おめでとうございます」と笑顔で寄ってこられた。一勝二敗同士で直接対戦校の勝敗で『出場権あり』のルールを伝えに来られた。”狐につままれた”心境である。何とも言い難い心境である。前任高時代に二度8位で近畿大会出場件を逃がしている。その時の閉会式の空しさが思い出されていたときの吉報である。戦前から混戦を予想されていただけに何が起こるかわからない大会であった。”天国と地獄”を味わい。最終日に地獄を味わいかけていた時に天国に引き戻された心境である。6月6日に合わせた努力がなければ、その結果がなければ近畿大会出場はあり得なかった。複雑な心境で”小さくガッツポーズ”した。

”助かっている”

 大山名人の言葉「助からないけど、助かっている」がやけに重たくのしかかる日であった。反省会(チームスタッフによる)のほろ酔い気分の時に「助からないけど、助かっている」が何度も何度も、繰り替え繰り返し、それこそ、しつこく出てくるのである。大山名人は肝臓ガンの時に死を覚悟された。その後、大好きな将棋、ましてやトップでの対戦はもうあり得ないとの心境と体調の中で復帰されての対局後に残された言葉「助からないけど、助かっている」に凄く重さを感じる。

 決勝・順位リーグは、凄いを乗り越えて、凄まじい3日間である。各チームの死闘は語り継がれるであろう。最終日の最終ゲームが終了するまで、決勝リーグは4チーム共に出場権あり、順位リーグも4チーム共に近畿出場の権利が残っているという凄まじい3日間を過ごした選手、チーム関係者は凄い。自分たちがそこにいたが、凄まじい体験を頂いた。幸せである。
「助からないけど、助かっている」非常に奥深い言葉である。

信じるか否かは、あなた次第である。
        
                    

category: オフィスKURACH

【ある日のコーチング・カレンダー179】《距離をつめろ》 

【ある日のコーチング・カレンダー179】《距離をつめろ》

心の壁をぶちこわせよ。
指導者との距離をつめる。

 選手と指導者との思いの距離をどれだけつめることが出来るかがチームを変貌させる鍵である。
 一生懸命に指導すればするほど、選手と指導者の距離が開いていくばかり、毎年の恒例行事のように新人戦前のなると大きなズレを感じてしまう。

 変化していく、レベルについてこれない選手。
 変化を敏感に感じて、自分ものにしてしまう選手。
 要求水準を飛び越えて、監督を超える選手。
 要求の変化を感じられなくて、いつもまでも殻に閉じこもっている選手。
 凄い素材なのに自分を信じられない選手。

監督の要求の変化は、チーム力がアップし始めている事なのに、いつもでも初期段階で止まってしまっている選手の心のズレを気づかしてやろうとヒントを与え続ける。
 しかし、キャッチするレーダーが違うことだけに反応して、自分だけに出す危険信号で自己擁護し始める。アドバイスを素直に取り入れない耳と心を培養してしまう。

自分は悪くない。俺のプレイにあわせろよ。
失敗は自分のせいではない。他人事である。
 俺が上手く行かないのは、監督がこんなメンバーと組ますから勝てないんだと転嫁する。

 ほんの少し素直になれば、凄く飛躍する材料になるのに、聴く耳を待てないのである。とことん我慢してプレイさせるが最後の部分で何かもやもやしたものが残る。
 出来る限り、客観的な材料で話をしても、聞き入れられない心を培養してしまっている。心の壁を作り、自分の主張だけが堂々巡りして正当化していく。
 ほんの少し素直になれば変われるのに。

でも、放置してはおけない。この様な選手の心の壁を作らせては、チームの和は崩壊する。素直に受け入れている選手まで”心の壁”を作ってしまう危険性がある。

 全員で一つの目標を見つめることの出来るチーム創りを目指している。みんな同じ考え方を強制しているのではない。同じ目的に一人一人の個性を生かして、達成感をものにしようとしている。努力して来た集団がやっと見つけ出した方向性に乗れない者をつくりたくない。チームでつないだ手に走るインパルスが途中で変化する温もりでは、共に戦うことが出来ない。そのことを要求しているだけなのに、早く気づいてくれよ。
 
 12月ある日、新人戦はすぐ其処である。ここで変わるチームを創造するために遠征するのである。
 選手もチームも監督も勉強の場である。

信じるか否かは、あなた次第である。

                               

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【ある日のコーチング・カレンダー178】《基準の定義》  

【ある日のコーチング・カレンダー178】《基準の定義》 

普通の基準って?

 普通の定義ってなんだろうと悩む時がある。『普通の子が日本一に』佐藤久夫氏は凄いことである。普通の子が努力しだいですごい事ができるとは、現宮城明成(元仙台高校)バスケットボール部佐藤久夫氏がそのことを強く言いたかたんだろう。ところが一般の教育界では普通の子の基準があまりにも不確定なものである。時には普通の子が犯罪に近いことを犯している。世間一般に言う普通の子がとんでもない事を犯す新聞記事は尽きない。そして、社会問題になっている。最近、普通の基準って何なのだろうか?と悩んでしまう。
 自分の子どもが小学生の頃(数年前)、学期ごとに通知表を貰ってくる。
 ・よく頑張った。
 ・頑張った。
 ・普通
この3つのどれかに丸印がしてある。もって帰ってきた時に唖然である。「普通以下はないのか」と怒りを覚える。教育界には普通以下が存在していては駄目なんか。それは違うだろうと常々思っている。自分も教育界で働いている人間だから、余計に感じるのである。そこそこ出来たことを普通と言うならば、そのそこそこ出来た基準を明確に伝えるべきである。通知表に3つの基準しかなく、校内暴力や学級崩壊の張本人たちも持ち帰る通知表に”普通”と表記されていたら、面白くて仕方がない。もっと悪いことやっても、「きっと普通やで」と思うに違いない。勉強面でも九九の計算が出来ぬままにいても、分数がわからなくても”普通”なのはおかしい。子ども達はその評価が「変だ」とは理解できている。なのに大人たちは出来ない、理解できない自分たちを”普通”と定義つける。「それっておかしいよ」と子どもたちは呟く。

 その子どもが思春期をむかえる。世の中の基準には普通以下があることを知る。子どもたち、ショックである。益々わからなくなる。大人になればなるほど、自分たちの周りには、普通以下が存在することをさらに強烈に知ることになる。そして、暴れる。これが今の日本社会の構図である。(誤解のないように言っておくが全てという意味ではない。)
 
ある年齢になってから、「法的に君は法律を犯していますよ」と教えても、幼い時に摺り込まれた善悪の基準が定まらないので、普通の善人の基準は、簡単には身につかない。なんでも良し良しで育てられ子どもが、思春期になってからルールやモラルを教えても大人の言うことを聞くわけがない。15歳近くの子ども達には、簡単に変えることの出来ない自我は芽生えている。普通の基準が不鮮明でかつ、崩壊している日本社会では若者たちの言い分として、今更言われても「しったことかよ」で遅すぎる。やって良いことと悪いことの判断のつく普通の子の基準を大人が確立させて、教えてほしい。高校生になってから、この基準を教えるには、現在の教育界に要求するのは、かなり難しいものがある。「普通の基準を教えるのは、家庭の躾の問題ですよ」とあえて反論しておく。国民全員のモラルの最低が普通であるわけがない。出来ない子を差別扱いしろといっているのではない。「あなたはここまでしかできていませんよ」とはっきりと自覚させる教育の基準がほしい。だから、出来ない子には、もっと工夫をさせるなり、「出来るまでやってくださいよ」と明記すべきである。それが教育である。理解できていない子とまでを普通扱いすることは後々良くない。普通の基準のないファジーな国(日本)では若者は育たない。
 
何故、普通の基準なのか?もっと夢の源を提供して、春らしいものを提供されないのか。自分の実力の基準がはっきりと自覚しすることを教えて、一人一人の春を掴みとってほしいので、普通の基準を考えてみた。畷北では、まず教えることが自分の実力である。自分の力が定かでなく、過信している天狗な子は、最初良いが壁がすぐ来る。そして、出来ないことを知ると落ち込みがきつい。私の指導経験から、自分には、まだまだできないことがたくさんあると思っている子は学ぶな姿勢があり、努力して伸びる。だから、『自分は出来ない』宣言できる子は、吸収力が凄い。「もっともっと教えてください」と謙虚で素直である。そして、できるまで努力する。世の中には、普通以下が存在して、最低と言う基準もあることを自覚させることで、最高と言う基準を目標にさせる。それが指導者クラッチの考え方である。
自分の出来ない基準が最低と悲観するのでなく、現在、自分には実力が伴っていない。そのことを最低の基準にすれば、日々の努力で一歩ずつ最高に近づくことが出来る。その基準を自覚させることである。自分が最低だから努力しても仕方がないでは、この話は終わりである。最低だから、実行したこと全て吸収すれば、右上がりの曲線グラフになる。このことを最初に教えたい。それが畷北のクラッチの普通の基準である。この普通の基準を後から教えても仕方がない。畷北が最初に教える事は、普通以下の存在である。特に新入生には、普通の基準がチームに出来上がるまで、可能な限り、出来るだけ、「それは普通やで」の言葉は禁句にしている。

信じるか否かは、あなた次第である。
                  

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【ある日のコーチング・カレンダー】朝の一言編 

【ある日のコーチング・カレンダー】朝の一言編
朝のコーチングになるかも。
ある場所で、ある子が「バスケの事が大好きでたまらない」と熱く語り始めた。
「凄いやん!」としばし、その子の話と付き合った。
しばらくして、だけど他にもやりたいことがあるから、チームの活動を休むことよくあると語り始めた。
「どっちが好きなん?」と問いかけると「どっちも」と言う。
「バスケはチームで活動するから迷惑かけている」とも言う。
でも、他にやりたいことが魅力的でどっちか言うと「そっちの方に行く」と付け加えた。
そこで、「そっちの方に言ったら...」とで、その時は話を終えて、別れた。
しばらくすると連絡があり、「バスケ、やっぱり好きやし、また、やりたいねん」とのこと。
ここで話は終わりません。
チームは受け入れて、一緒にプレイすることにメデタシ、メデタシではなかった。
暫くするとまた、「他にやりたいことがあるので」と来たり、こなかったり。
よくある話です。
二つ同時に好きなことあるなら、工夫して時間を作ればね。また、優先順位で本当に好きら、どっちか選べばいいのに、それも実は自分で決まられない典型の行動である。
何とかしてやりたいけど、最後は自分で決めるしかないことである。それを何とか教えてあげたいけど、自分の都合で行動していて、相手の気持ちへの配慮がない。そのことも教えてあげたい。
私が出来ることは、バスケという競技の楽しさを自分のものとして捉えられる環境を伝えることである。バスケ大好きを長く継続して続けられる人を一人でも多くつくることである。
個の集まりだけでも、チームで行動する素晴らしさを伝えていきたい。
自分以外の人の存在を認識して、自分を生かしながらプレイすることの『楽しさ』を伝える。競技スポーツバスケを目指すなら、そこに色々な要素が加味される。今日はそのことは置いておきます。
行動するか否かは、あなた次第です。
『個&チーム』のほんの一面でした。
そして、コーチとしての私はバスケの魅力を創り伝えるを再認識の朝であります。
では、皆さんとお楽しみはこれからでバスケライフを続けましょう。
『継続は力なり』の魅力を伝えるための朝の一言でした。

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【ある日のコーチング・カレンダー】突然の夕方編 

この日のコーチングカレンダーは12月8日Facebookからのもです。
【ある日のコーチング・カレンダー】突然の夕方編
お遍路=脳みそ空っぽ状態を創れた。
空白の4日間、部分的に記憶はあるものの思い出せないことの方が多い。
私の取って、この時間が大切である。
本当に大事なものだけは、濃く浮上してくる。その浮上してきたものをどのようにキャッチして、具体化するか。
それが自分自身が理解する作業ではなく、人に伝えて、『その気』になっていただけるかが大きな問題として浮上してくる。
かなりの条件が整っていても、最後に成果が出てこないのには、それなりに理由がある。その理由は、実はおぼろげにわかっている。しかし、指摘されると反発する自分も心の中に存在する。アドバイスを受け入れれば大きく変わった人と何度も出会っている。私の勝利へのピラミッドの導入であり、第一章は『素直さ』である。
この導入なくして、成功への階段は昇れない。
どんな状況下でも、『素直に』聴いていただけることをまず考える。
お笑い界の前説でのほぐしが必要である。
漫才師ダウンタウンが放送前に自分ら自身でお客との遊びをしてから、本番を迎える。お客はその時から、笑いの準備は出来ている。その関係を創れば、ひょっとしたら、仕事が増えたり、プレゼンが上手く行ったり、ゲームで成果が出たり、するかもしれない。
信じるか否かは、あなた次第です。
是、いつも通り…。
そんな夕方をオフィスで過ごしております。

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【ある日のコーチング・カレンダー177】《殻を破る》 

【ある日のコーチング・カレンダー177】《殻を破る》

反論する勇気を持たせる。

殻を破る!
 殻を破る前に、殻に閉じこもる。
 殻とはポリシーである。
 自分の殻を持てるかである。
殻を破る前に殻を持てである。

妙な表現ですが、チームと向き合う時に必要な私には必要な殻(ポリシーの殻)でした。

自分の主張がない人に、飛躍のために殻を破って、「次の自分を発見しよう!」なんて言っても馬の耳に念仏である。ポリシーの殻を破る前に、ポリシーの殻に閉じこもる自分もOKでありたい。自分をしっかりと持てることを教えたい。殻に閉じこもると言う表現は、「自己中心な人になりなさい」ではない。孤立しなさいを意味するものではない。
 「自分はこういう人間です」とか、
 「自分はこういうことが出来ます」とか、
 「自分はこんな選手です」などをはっきり言えることを意味する。
 チームに馴染まず、自分だけの世界にひたることではない。チームに貢献する自分探しをして行く姿勢を意味する。自分にかぶせる殻をしっかり持って行動できる選手を育てたい。自分の殻を持った選手に、殻を破る刺激を与えるのが指導者としての仕事である。
殻を破る刺激とは、チームの一員として色んな殻をぶつけあって、チームとしての大きな殻を作ることである。この殻もつまづき、割られながら大きな大きな殻を作っていくことである。殻を破るには、やはり殻に閉じこもる作業が必要である。それがチームの方針である。大きな殻になるか、小さな殻になるかは本人次第である。器の大きな集団に育てるには、所属する一人一人が大きな殻を持つことである。殻を持つことは、わがままを意味するものではない。ポリシーという殻である。
 反抗すると、反論するは異なる。これを一緒に考えては、ダメである。「其処まで言うなら、何か他に言い分があるんだろ。言ってみろよ」で「自分はこう思います」は反抗でない。課題を与えられて、「こんなことやってれるか」ですねる、きれる、聴く耳を持たない、その場を離れるは反抗である。その課題が自分の成長のために与えられたものにもかかわらず、聴く耳を持たないことは反抗である。その課題が納得のいかないものならば、「それはおかしいです。自分はこう思います」は反論である。そして、「君の飛躍のために用意した課題が受け入れられないのなら仕方がない」と課題の意味を説明されたときに「解りました。やってみます」で初めて会話になる。これが殻を破るである。
 自分の殻を持たない者に限って、主張できない場合が多い。影でブツブツである。これをなくしたいのである。指導すると指導を受ける立場が異なる。このことははっきりと理解できた上で、自分の殻を持たせる必要性を多いに感じるのである。プレイをさせるのは好き勝手やらせては、チームは成り立たない。しかし、プレイすることは選手にしか出来ないパフォーマンスである。しっかりと自分を持たないとチームとして何をするか、一選手として何をするかを見失ってしまう。だから、しっかり自分の殻を持ちなさい。チームのために、いつでも破れる殻を持ちなさい。それを指導したい。

バスケットボールにおけるプレイは自己主張だと考えている。

自分のプレイを主張すればこそ、存在感が出てくる。その存在感という殻を持った者が殻を破り、チームでタッグを組んで相手チームにぶつかる。それが楽しいのである。みんな同じプレイをして何が面白い。相手チームからすれば、簡単にやっつけることが出来る個性なき集団となる可能性がある。一人一人が殻を破って、個性的集団(チーム)がやっていても、観ていても、取り組んでいても楽しいのである。これは私のコーチング感である。意見バラバラな主張を持ちながら、チームとして和を重んじる。そのアンバランスさがチームカラーとなる。そんなチームがあってもいいじゃないですか。

信じるか否かは、あなた次第である。

                     

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【ある日のコーチング・カレンダー176】《下り坂》 

【ある日のコーチング・カレンダー176】《下り坂》

漫談家のギャグにドッキリ!
”人生、昇り詰めていないのに、下り坂。”
人気の漫談家”綾小路きみまろ”の言葉にどっきりである。

頑張る人間に頑張れる材料は必要である。自分なりの励む材料を探し求めて、てっぺんを目指して、切磋琢磨している人間、各年代の旬を感じて、トップを目指す。10年20年・・・と頑張り続けるも、何時しか下り坂、華の咲かないままに引退の時期を迎える。自然的に朽ちたくはない。ああ無情である。

「疲れました」の言葉を吐けば、それで終わりそうな日々である。この言葉だけは吐きたくない。けど、”人生、昇り詰めていないのに、下り坂。”は笑えないギャグであった。この言葉を舞台で聞いたのではなく、夏休みのある日、テレビをボォーと観ているときの”綾小路きみまろ”の苦労話で語られていたものである。芸能人の人気と旬の関係でギャラのバロメーターは比例する。若い時代に華やかな芸能界で苦労するが、自分自身が最も充実していると思っていた頃には、全く人気が出ず、”地方(どさ)周り”で食いつなぐ。として地道に芸を磨き、こつこつを稼ぐ。土地も買ったし、家も建てた。趣味の野菜作りで楽しく過ごせればと華やかな芸能界社会を捨てかける。

もう人気は出なくとも、テレビで取り上げなられなくても、あきらめの境地になったときに人気沸騰する。この人の”しゃべくり”には、洗練された芸を感じる。単なる笑いでは済まされない凄さを感じる。 ”地方(どさ)周り”で何日もかかって頂くギャラが、人気が出れば数分、数時間でその10倍も20倍のギャラが入って来るという。このように苦労して得た地位は離したくないのは当たり前のことである。苦労したときの漫談ギャグがさえ渡る。実に面白い。客が安心して笑える。芸にゆとりと幅がある。妙な共感をこの芸人に感じてしまったのである。
 
若手でぱっと出の芸のない漫才師ではない。練った芸で、天然ぶって笑いを意のままにとる。関西で言う天然ぼけの笑いとは、ちょっと異なる。天然ものは腐る(あきる)が早い。本物は遅咲き傾向にある。この人なりの努力とチャンスを与えた人と運を感じ取れて昇り坂を的確に見つけ、磨いていた芸を世に出した。そして、本当に良いものをキャッチできる世の中が其処にあった。人気が出る。こんなにインパクト強く存在感のある芸人に出会ったのは久しぶりである。この人に漫談には人生があり、共感があり、郷愁がある。

チームが勝てないときに頑張るしかない。勝てないと自棄になる必要もない。人生に下り坂を造らない、下り坂を感じないように足下を固めて上を見るしかないだろう。人生死ぬまで勉強である。あきらめが大敵であることを教えられた。あきらめは他人が作るものではない。自分自身の心の中にある。自分自身に負けない自分を考えさされた人の出現であった。

なんでもかんでも、コーチングに転嫁して思いをはせる。
一度は全て、取り込んでみる。
結構、後で役立つこともある。

信じるか否かは、あなた次第である。
                            


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【ある日のコーチング・カレンダー175】《一問一答その2》 

【ある日のコーチング・カレンダー175】《一問一答その2》

《一問一答その2》 自分発見のために。
その2も書き残したものを少し修正してアップしました。

一問一答その2
会話形式で書いてみたら、結構、面白いので(2)にチャレンジしてみました。
すると、自分の意見を第三者的に書けたり、読めたりできました。

━いつブログなどの原稿を書いているのですか?━
 (教員時代)会議中、練習中には書けませんよね。けど、気づいたことをメモするぐらいはできるでしょう。くだらない会議中なんぞは、絶好の原稿書きの時間ですよね。全ての議案、連絡事項に反応することはないと思うんですよ。会議でしか学校の全体像をつかめない様じゃダメですよね。学校の会議の半分以上は、必要のないものだと理解しています。

━その時間に原稿の全てを書いてしまうんですか?━
 いいえ、ポイントだけですよ。思いついた言葉をメモしておく。そして、メモの言葉や短文を繋ぎ合わせていく。そうすれば、結構な量の文章が浮かび上がってくる。それを少しだけ読み返してみる。少々乱暴な文章表現でも自分的にはOKなんですよ。他人に気に入られよう何てことを考えていては、自分らしさは表現できない。それが私流です。

━しかし、話題は尽きませんね?━
 話題は尽きませんよ。話題が尽きていては、新聞、雑誌は成り立ちませんよ。観たもの、読んだもの、聴いたこと考えてみるだけで話題って提供できるんですよね。結構パクリは多いですよ。著作権とかがあるので、文章などは、勝手に流用出来ませんよね。けど、話題を貰って、自分流に考えるのは勝手ですから、好きなように話題を膨らましていけば楽しいですよ。自分流に直してしまうことは、私の特技ですかね。

━ブログやフェイスブックやツイッターを提供し続ける発想は、何なんですか?━
 昔、”布石乃心籠”から始まり、”勝利の日のために”そして、”ステップ”という部通信を発行していたんですよ。”布石乃心籠”は手書きで週間紙として、部員に配っていましたし、”勝利の日のために”は47号ぐらいまで行きましたかね。”ステップ”部通信を発行し始めた頃に、ホームページに出会うはめになってしまたんですよ。ぼちぼち更新していくブログに気を取られて、部通信が休刊状態になってしまいました。横着かまして部員にはブログページに言いたい事を書いといたで済ましてしまう結果となりました。サボりですよ。部通信に比べて、ブログの方がずっと楽なのですよ。印刷はいらないし、製本することもないしで原稿=発行ですむ訳ですから。邪魔くさがりには、楽で適した機械ですね。ある高校の先生に「頭の中どうにかなってんのんとと違いますか?」と言われたことがあるが、何で伝えたいことが無くなるんですかと反論したこともあるんですよ。その先生はそのうち、ブログのネタ切れになることを期待されていたんですが、今では毎日読んでいるとの連絡を頂きました。私の勝ちですね。”継続は力なり”ですよ。この言葉を書いただけで、ご本人はそれを自分やと申し出てこられるでしょう。

━発想の原点を教えてください。━
疑問に思うことですよ。知らないことばかりですので、日々発見ですよ。バスケットボールだって、なんだって知らないことの方が圧倒的に多いですよ。知ったかぶりするのが嫌なんですよ。だから、なんでも吸収してやろうという気持ちは、この年(この文章当時54歳)になっても非常に強いものがあります。買った本の中に『始めるのに、遅い事はない』という題名の本があった。この本は、結局題名だけ読んで終わった本であるが、まさしく、始めるに遅い事はないである。始めた年齢が高いと悪いのかというのが私の言い分ですよ。

そんな、こんなで日々コーチングです。
では、また次を考えます。

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【ある日のコーチング・カレンダー174】《一問一答その1)》 

【ある日のコーチング・カレンダー174】《一問一答その1)》
もっとも興味のあること。
一問一答(1)
この文章は過去に書き残したものです。
コーチングの何かの参考にしてください。

 ある大会のスタッフ控室で雑談中に突然質問を受けた。


━先生の指導原点は何ですか?━
 ずばり”怒り”です。何でこんなことぐらい出来ないのという”怒り”です。また、こんなことも指導できないのかという自分自身への”怒り”でもあります。この”怒り”のエネルギーこそが指導の原点にあります。

 「私もそうなんですよ」と質問された先生は答えられた。大会の準決・決勝をひかえながら、話が盛り上がり、

━悩むことはあるんですか?━
 日々これ決戦です。悩まない日はありません。悩むより行動派ですが、悩みながら何かを始めてしまうTRY&ERROR方式で失敗だらけで、また悩む日々ですよ。常に何かに追われているような強迫観念に陥ることがあるので、頭をフラットいやカラッポにする必要性があるわけです。でないと気がおかしくなってしまいます。

━TRY&ERROR方式って?━
 ある競技団体の先生の教えていただいた言葉で、”完璧でなくともスタートさせる”、”実行しながら改善していく”ということを教えていただき、少し気が休まりました。見切り発進ばかりの自分行動を浅はかな人間だと悩んでた処がありましたが自信を持ちましたね。凄く悩むわりには、すぐ忘れる都合の良い精神行動を持っているんですよ。所謂”自己ちゅう”なんですかね。悩みすぎて否定的になる自分が大嫌いです。だから、マイナスの気が出だすと進んで考えないです行動をとりますね。

━考えないですむ行動って?━
 30歳代で水泳、40歳代でマラソン、50歳代は温泉ですね。一人になって頭の中をフラットな状態にしたいんですよ。複数でチームを指導していますし、特に妻もチーム関係者として協力してくれています。一日中関係者といる訳ですから、自分一人の時間がなければ、良い関係ではいれなくなります。夫婦ですので、言いたい放題のことを言える反面、親しい過ぎて、ぶつかり合う事が多くなります。だから、自分一人のニュートラルな時間が必要です。特に最近は、練習帰りに妻の愛車で奈良県まで足を延ばして、温泉に入り、近鉄新大宮駅前の居酒屋”俵”で一杯の生ビールと二杯の焼酎”くろ”の湯わりを飲んで帰るのが明日へのエキスですよ。

━練習やHPの更新で、そんな時間持てないでしょう。━
 ゆとりの時間を持てない様では、ギスギスした指導しか出来ないような気がします。ゆとりを創って、自己啓発のための勉強もしたいし、勉強と言って本を読む程度のものですがね。本は、乱読です。何でもいいんです。本屋に立ち寄って、気に入った『題名』で買ってしまいます。買って積読(つんどく)だけの可愛そうな本もありますがね。

━その中で最近、興味を印象に残り、バスケの役立つものはありましたか?━ 
ありましたね。本と言うよりHPで何か良い本はないかなと検索している時に、~デザインが世の中を変える!~川崎和男氏(デザインディレクター)名古屋市立大学院教授に出会ったことですね。出合ったと言っても本人とあったわけじゃないですがね。上杉鷹山以来のインパクトがありましたね。同年代ということもありましたが、共感できる処ばかりでしたね。医学博士でありながら、総合デザイナーであり、Gマークの選考最高責任者であるなど肩書きをお持ちの人です。そして、事故による車椅子生活の人です。ハンディがあるからすごいんじゃないんですよ。この人の生き方、考え方に目を覚まされましたね。”人生これからですよ”と感じましたね。

━その共感したことを教えてくださいよ━
 いやです。それはウソですが、共感した事は一つです。好きなことをするには、好きなことだけを追い求めていては大成しない。もし絵を描くことが好きなら、絵ばっかり描いていては絵は上手くならない。絵を描く感性を磨くことである。だから、色々なことを命をかけて勉強しろと川崎氏は、学生に教えておられることです。感性が感じられない学生のレポートは、その場で破り捨てる。その破り捨てられた行為に怒りを感じる学生は、伸びる。だけども、大部分の学生はへらへら笑っているだけある。そのことがこの川崎氏は悔しいと言われるのである。自分のレポートに自信があるなら、”怒れよ”と言われるのである。心のない内容だから、怒れないのである。”徹夜して1枚程度のレポートで何が人の心を打てるんだよ。本当に興味があるなら、真剣に勉強したいなら、命がけでレポートを書けよ。命がけで書いたものならば、提出とともに破られたら悔しいだろうが”という場面があった。”破られて悔しくないレポートは本物じゃない。教えている人に失礼じゃないか”という川崎氏の言葉が心を打った。この先生は、メガネのデザイン、人工心臓のデザイン、企画書のデザインと多種多様にわたるんですよ。この人のデザインしたメガネを今度購入しようと思っています。

━その先生の考え方を実践したことがありますか?━
 ありますよ。川崎氏の考え方に共感すると言いました。共感すると言うことは、すでにどこかで実践したことがあるからです。それは、畷北の部員に良くつかう言葉に『時間を返してくれ!』がある。俺はお前たちに会う一日3時間のために、オーバーな言い方かもしれないが、命を張っている。監督が提供するテーマや話を聞けないのは、何故なんだ。一生懸命説明していることを聞こうとする姿勢のないものは去れ!である。聞いた振りをしたり、先頭の者の物まねで済ませようとする部員と出会うと必ず使う言葉が『俺の時間を返してくれ!』である。上手い下手を問いかけているんじゃない。学ぶ姿勢を持っているかどうかを問いかけているだけなんだよ。時間を無駄使いしない部員には、指導者として勝たせる義務がある。このことで日々悩み取り組み時間がある。その時間を無駄にしたくない。それが時間を返せ!になるんですよ。強く言うが聞く姿勢や行動するのは部員です。強制させる事柄でもない。

こんな会話をしている間に試合時間となりました。では、この続きは反省会で。
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【ある日のコーチング・カレンダー173】《萎縮する》 

【ある日のコーチング・カレンダー173】《萎縮する》

 力の発揮できる選手とできない選手
萎縮する

本番に”力”の出せる選手と”力”の出せない選手との境界線は何処にある。
①本番に”力”の出せる選手
・日頃、しんどい練習でバスケットボールを楽しめている選手。
・楽しめるとは、そのチームのバスケットボールを理解している選手を意味する。
・ミスを克服しようとする選手。
・練習の習熟曲線が緩やかであるが右上がりで実戦的である。応用力のある選手。
・コーチの説明するプレイを頭の中で描ける選手。
・描いたプレイが出来なくとも、身につくまでコツコツと地道な練習を続ける選手。
・悩んでスランプも訪れるが克服しようと努力する選手。
・基本的には明るい選手。
・発展的なミスをする選手。チャレンジャーである。
・他人の立場になって物事を考えられる選手。周囲の状況を見れるので、相手の弱点を見つけるのも早く、臨機応変な行動が取れる。
・人間関係を上手く作れる選手。
・チームの仕事を顔色一つ変えることなく、進んでする選手は、このことが色々なプレイに発展する可能 性を創れる選手に成長する。
・キャプテンシーが持てる選手。
・アドバイスを素直に聞き入れる心を持つ選手。
・頑固であるが、柔軟な心を持つ選手。一つの事にこだわるが、それが駄目なら、こんな方法もあると考える柔軟な心を持つ選手。

②本番に“力”の出せない選手
・与えられたことしかできない選手は時には良いこともあるが変化する相手チームに対応できない。
・自分自身で考えてプレイしようとしない。
・自分たちの求めるプレイを理解できていない選手、積極的に理解しようとしない選手は、不安な精神状態でプレイしている。
・理解する能力の低い選手は日頃、なんとなくコーチの話を聞いているし、なんとなくみんなの物まね的なプレしてすごしているので日常的なところではミスは目立たないし、少ないが発展的なプレイは期待できない。
・大勢の中でプレイしていると目立たないアベレージ選手が、プレッシャーのかかる試合に起用させると全くプレイできずに右往左往している姿に出くわす。
・できる選手を見て、生まれつき上手な選手と諦めて、自分は能力がないと諦めてしまう選手。
・一つのパターンしかやろうとしない選手。発展的な次のプレイをしたときにできなければ、二度とやろうとしない選手。
・一つの成功を後生大事にして、別のプレイをやろうとはせず、失敗することを恐れる選手。結果として成功していたプレイまで出来なくなってしまう選手。チャレンジャーになれない選手。
・いつも他人事で自分には関係ないという”そぶり”をする。責任を背負ってプレイすることはない選手。
・自分のことしか考えられなくて、常に他人のせいにしているわがままな選手。
・コミュニケーションがとれない選手は、チームプレイの成功感を共に味わえない選手である。他人のことなんて考えずに協力したプレイに楽しさをみつけられない。他の選手同士は上手く協力してやっているのに自分の時には協力してくれないと勝手に差別意識を持つ選手。
・日頃からコミュニケーションをとれないし、自分から進んで人間関係を作ろうとはしない。じっと他人が何かをしてくれるを待っていて、自分から責任ある行動をとろうとはしない。自分勝手なわがまま選手。
・チームの仕事を進んで出来ない選手。指示されれば、それはやらされている感情に支配される選手。
・素直じゃない選手。
・自分の世界から抜け出せない選手。だから、一つのことしかできず、他の方法を受け入れる心が持てなくなってしまう選手。

 “力”を発揮できるか否かの境界線を考えた時に日頃の生活行動が左右しているとクラッチは考える。プレイの上手い下手じゃなくて、プレイを支えるその選手の生活行動パターンが成功の是非を左右すると考える。苦しい場面での心をこめた一本のシュートの背景にはその選手の生活を見ることができる。努力の神様は正直である。不安材料を持つ選手にチャンスを回すときには、負け試合、勝てる試合は地道な努力をしている選手にチャンスを与えてくる。そのチャンスを苦しい時にものにできる選手は①の要因を多く持つ選手である。実力の社会に人間性を持ち込める選手を多く抱えたい。

もっと考えられる要素はたくさんある。実際にコート上で計り知れないことが多々ある。経験したことから割り出したものを箇条書きにした。チーム事情、指導方針、地域性、性差、学年、年齢などなどの要素を加えると指導者自身が委縮してしまいかねない時代的な背景はある。指導者の苦労たるものは計り知れない。
そこで挫けていては、指導者は務まらない。
プレイヤーや学生、児童、生徒の可能性を引き出す努力は惜しまない。それが指導者のモラルではないだろうかと考える。

信じるか否かは、あなた次第である。
                  

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【ある日のコーチング・カレンダー172】《ルーツ》 

【ある日のコーチング・カレンダー172】《ルーツ》
 ”GOOD&STRONG"を求めて。
 
悩める時代、打開策を求めて、チームに変化を求めていた頃の話である。

ある時期、指導者として、自分さしさのバスケットボールの原点(ルーツ)を求めて、決心したことが見知らぬ場所への遠征試合である。出来る限り知人の居ない場所で自分(クラッチ)が「お願いします」と頭を下げるしか相手してもらえない環境に飛び込むことを求めた遠征としたい。それがこのチームを飛躍させる原点となると考えた。

明日あたるチームがどのようなレベルで、どのような環境のチームかも知らぬまま、知人の紹介だけを頼りに遠征にでた。

 帰阪後、ある場所で指導者の懇親会があった。
「私のチームは何処其処に遠征してきました」
「其処には○○府県のトップチームが集まっていましたよ」
と別に自分から聞かせてほしい事でもないのに連絡してくださる指導者が居られた。
「あっそうですか?」のつれない返事に、其の方は戸惑いを感じておられた様である。教えられた大会が凄い大会であることも知っている。其処に行きたければ、私にだって行くことは出来る。誰がどのような大会に参加していようが我がチームには関係のないことである。

今、チームに必要なのは、飢餓状態であり、チーム内での信頼関係構築と判断した。強くなるためにチームが天狗になるような環境はいらない。誰も練習試合も相手してくれなかった弱小チームからのスタートを見知らぬ地への遠征に求めた。頼れるのは、チーム関係者だけである。特に、選手と指導者との密なる関係とチームメイト同士の密なる関係を求めた遠征に出たいのである。全てが勉強であり、全てが自分たちで判断すること要求した。自分たちで決めたことは、自分たちで責任を持つ。
そして、出た結果は、その日のうちに修正改善へと発展させる。
ある時の遠征、初戦100点ゲームをされた。「このレベルで遠征ですか?」と皮肉も言われた。そのこともチームに隠さず伝えた。遠征の間に「このチームに勝ってやる」宣言で深夜にまで及ぶミーティングと選手間での話を繰り返した。結果は最終日1点差ゲームでの惜敗。悔しくて、次の日と言っても次の日はなった。
場所を変えて、更にレベルが高いチームを紹介していただいた。
そのチームには勝利した。それを見ておられた昨日のチームが「もう一度やりせんか」との申し出があった。さすが時間がなく、次回ということになった。
でも、何かが変わった自覚がある。
簡単には負けないチームに変わりつつあった。
いや、その後を見れば変わったのである。
 
 昔、むかし、その昔、大松監督の率いる”東洋の魔女”というバレーボールのチームがあったとさ。ブラジルという地球の裏側にまで遠征して、”何しに来た”とブラジル人からからかわれたチームがあったとさ。その日本から来た”東洋の魔女”が東京オリンピックで金メダルを頂いたとさ。この物語が私のチーム創りの原点(ルーツ)である。指導者として憧れた人が”鬼の大松監督”だったから、鬼以上の”地獄”を求めたのかもしれない。その時、”仏の指導者(私)”を求めて遠征の旅に出ているのである。
 
 強豪校に一気に追いつこうとした指導者の姿勢に歪みが生じ始めてた頃である。それはどんな歪みなのかである。”GOOD TEAM”になっているが、”STRONG TEAM”になっていない。其処がクラッチの嘆きであり、チームの歪みである。強い、強い、めっぽう強いチームの監督さんが「人間関係がこじれたって、俺は気にならない。恨まれたってかまわない。俺はこのチームを勝たしてやる」とおっしゃった事がある。私にもそんな時代もあった。何せ、徹底し成果を出すまでやる”地獄の倉田”と呼ばれていた時代もあったぐらいである。この監督のようなことをチームに求めては、このチームの存在自体が成り立たない。”GOOD&STRONG”なチームを求めて、このチームで何年か指導に携わっていたはずである。その求めるものに歪みが生じ出したのが、チーム内の甘えであって、自主性の吐き違えが起き出しているのである。平均化した戦力になろうとするが、それ以上の努力をしない集団になりかねない。そんな部員が増えつつある。劣悪な環境でも俺はやる。厳しい環境でも、チームらしい楽しいバスケット求めてやる。そんな意識が希薄になりつつある時期である。「そこそこ勝てれば、それでいい」と思っているような雰囲気が感じるのである。その一つが、指導者のアドバイスを聞いていれば、それだけで良いと意識が感じられるのである。「それでは、駄目」とアドバイスし続けるがそれ以上のものが出てこないのである。この意識の修正と改善を求めるための”遠征の旅”に出た。 

信じるか否かは、あなた次第である。

                    

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【ある日のコーチング・カレンダー171】『立つ位置』と『想定』 

12月1日(月)読売新聞朝刊より
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その①
葛西レジェンド今季も
その記事の一説
一回目を飛び終えて「自信の階段が一つ上がった」という。「自分が続けることで。みんなそれを目標に頑張ると思う」…。

その②
山形キーパー劇的弾J2プレーオフ準決勝対磐田戦
後半ロスタイム92分CK…ボールに飛び込んだのはGK山岸。
36歳のベテランはこうした場面を想定した練習もしてきたと明かした。

『立つ位置』と『想定』
この記事を読んで【ある日のコーティングカレンダー】書かずにおれなかった。

【ある日のコーチング・カレンダー171】『立つ位置』と『想定』
見えているものが具体化される。
日常のスキルや練習メニューはこなしているだけでは、公式戦で成果を導き出せる可能性は低い。
この二つのスポーツ記事、指導者は心に記事見込んでおく必要がある。
『見える指導』である。
見えてくるものを想定して、日々のスキルを提供する。
出来たことが練習中、偶然であったとしても、その結果に近づこうとした結果であった。必然であることを指導者は自覚すべきである。

あの時があるから、『今』がある。
過去から観れば、『今』目の前で起きている事実(成果)の為に描いてきた努力である。
この二つの記事には、当然、感動があって、歓喜もある。
冷めてはいないが、成果を出せた人(選手&指導者)は結構クールに現実を見ていることがある。
「奇跡的な○○!歓喜の渦に」は大切な感情表現ではあるが
その陰には日々の繰り返しの想定した練習があることを知ることは大事である。
その事を想定して、指導者は選手に、教育者は生徒、学生に伝えるべきである。

想定した『未来』に起きるだろう成果をインプットして
『今』何をすべきかを描く。
そして時間が経過して、今、過去に想定した未来の成果は、実は過去に思いを募らせたことである。
その効力を積み重ねることが日々のトレーニングに組み込まれなくてはならない。
このことを知る指導者に教えられたチームは、個人はかなりの確率で成功を勝ち取る。

この二つの記事を未来に書き残しておきたくて、書き綴った。
私の思いが皆さんのお目に留まるのは、1週間後の未来である今日である。

信じるか否かは、あなた次第である。

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【ある日のコーチング・カレンダー170】《リセットボタン》 

【ある日のコーチング・カレンダー170】《リセットボタン》

努力のボタンを教えたい。 
”リセットボタン”時代
大阪弁丸出しで読みづらいところ、お許しください。可能な限りリアル感を出したくてあえて、そうしました。

体育授業の補講時に体育嫌いの女の子に30分間走の伴走をした。
「30分間も、先生無理やわ」
「無理して走れなんて言わないから、途中歩いてもええから」
「・・・・。」
「いつも途中で投げだすんやろ。あんたの将来のお金の使い方までわかるわ。」
「なんでわかるん」
「なんかほしいと思えば、先生やったら、コツコツ働いてお金貯めてから買うな。あんたやったら、きっと誰かにお金返りて直ぐの欲しい物を手に入れようとするやろ、所謂借金や。あげくのはてには、”何でかしてくれへんねん”と捨て台詞するタイプやろ」
「そうやんねん。なんでわかるん」

次に10分ほど走ったところで
「しんどい」
「歩いてもええよ」
「先生優しいな」
「おまえに最後までやらせたいからや」
「こんなこと(補習)してたら、かっこわるいわ。みんな笑ってるやろな。」
やたら人目を気にする。
「ここにいる子は笑へんで」
(バスケットボール部が練習している体育館内を走っている)
「何で」
「ここで練習している子は下手やとか、出来ひん(ない)ことは笑へんわ(ないし)。一生懸命しないことは馬鹿にすることがあっても、頑張る子を笑う子はこのコートにはおれへん(居ない)で」「そうなんや」

するとこの子は何も言わずに黙々と低速で走りだした。
明らかな変化である。
顔が真剣である。そして、泣きながら走っている。
トップアスリートを目指す、横で17年間生きてきた中で30分間走すら、完走したことがない子が初めてチャレンジした気持ちを大切にしたい。残りの20分間、常に声をかけ続けたクラッチ、「これが俺の生き方、指導法である」と自分にも言い聞かせて、心地よい30分間走を終えた。この日の補習には3人の子が参加した。卒業を意識した子たちの最後の意志である。気がつくに遅すぎることはない。頑張ることを少しでも芽生えてくれればそれで良し。

 もし、この子らが、気がつかなくてもかまわない。見返りを要求しないのもクラッチの生き方である。やらせていては一生自覚のない人生になってしまう。本人がその気になるまで待つしかないのである。当然、アドバイス&ヒント&見本は指導者として与え続ける。けど、最後のスイッチを押すのは、本人なのである。
 
 コンピューターゲーム時代に育った若者たちの嫌なことのスイッチは直ぐ切る。ゲーム途中でも上手くいかなければ、直ちにゲームをリセットさせる。平気で一からやり直す、一からやり直すならまだ良い。攻略本を片手にマニュアル通りにゲームを成功させ、いかにも自分がゲームを終了させた錯覚を味わい、仮の満足感を得る。このことを現実の社会にも当てはめてしまう世代、”リセット”世代が年齢だけ大人になっていく。早く社会が気づかないとゲーム感覚で全てのことをリセットさせてしまう事になりかけない。

 上手くいかなくても、簡単に押せる”リセットボタン”を設置しない生き方を教えたい。その結果、すねる、きれる子が居ても、自分の頭で考える子を育てたい。少々時間がかかっても”辛抱”である。

 その年の新チーム男子バスケットボール部は”?マーク”が飛び交っている。疑問解決は自分の手でさせることを指導している。ここでも直ぐに”リセットボタン”を押そうとする部員が多発している。上手くいかない事だけが頭を支配させて、解決策を自分で考えようとしない。中学レベルのプレイで高校ハイレベルへのステップを踏もうとしないのである。上手くなった部員のことばかり気にして、「俺は下手になった」とか「試合に使ってもらえない」とか責任転嫁する傾向が強く出てきている。この”リセットボタン”だけは簡単に押させない指導者クラッチである。
 ”上手くいかない、直ちに辞めたい”のリセットボタンは、私の心のキーボードから抹消してある。大きく”努力する心”のボタンだけを用意してある。

信じるか否かは、あなた次第である。
 

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【ある日のコーチング・カレンダー169】《意識の改革》 

【ある日のコーチング・カレンダー169】《意識の改革》

ある学校の文化祭中の
取り組み姿勢、朝練の変化。

意識の変革
ある学校の朝。
早朝6時30分に数名がすでにやってくる。
いつもの光景である。クラッチが頑張れる材料の一つである。
新チームになって『全国への道は自己管理から』をテーマに取り組ませている。
「少しぐらいの努力でやったつもりになるな」と強いメッセージが付け加えられている。
真似は上手である。そこから先がない。これが飛躍を止めている。
指導過程で先輩の背中を観て育てることを意識させてきた。
先輩の背中を観て育っている。それが伝統である。
真似て維持は出来るが発展はない。
多くの部員は先輩のようになろうとする健気な態度はある。
しかし、発展はない。これをクラッチは嫌う。
だから、新チームへのメッセージに『自分たちの手で新しい歴史を創れ!』を付け加えた。

負けて悔しい。
数日は誰でも思うことである。悔しさの持続が向上心を生む。
悔しさを持続させて卑屈になるのなら、その日で悔しさとはお別れすることである。
サバサバと現代風の若者になり、「俺たちは良くやった」と傷をなめて過ごせばいい。
でも、その生き方では、進歩を見いだせることは出来ない。
負けた日の涙を直ぐ忘れて、より以上なる努力に飛び込めない。
あれだけやっても勝てなかった。
「あれ以上のことは出来ない」のでは、また同じ敗戦の涙を経験するだけである。
昨日までの戦いは過去のことである。
積み重ねてきた努力を土台に更なる努力の層を積み重ねる精神がほしい。

数日前からの朝練が大きく変化してきた。
やたら大勢が早朝の7時前から登校してくる。
新キャプテンが7時半になると全員を集めて何やら、ミーティングをしている。
内容は文化祭期間中の練習である。
・クラスのことを手抜きするな。
・可能な限り全体練習をする。
この2点を確認していた。そして、部としてとった行動がある。
・部を2班に分けて、クラスに集中する日をつくる。
・朝練を全員でやる。
今までの学年にはなかった工夫である。
ほぼ全員来ている。
でも、自分たちで決めたことを徹底できない連中を自分たちでどうするかが楽しみである。やらされているバスケではないはずである。
けど、自分たちで決めたことの責任を果たせないようでは本物ではない。
自主的に始まった朝練をコートの隅で観るクラッチである。

強制したことは、一度もない。
自主練だから、口出しもしない。

信じるか否かは、あなた次第である。

              

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【ある日のコーチング・カレンダー168】チームの乗りノリを考えるⅦ 

【ある日のコーチング・カレンダー168】チームの乗りノリを考えるⅦ
長々と読んでいただき感謝いたします。
チーム創りの何らかの参考になればとこのシリーズ(Ⅰ~Ⅶ)をアップいたしました。
表現のまずさ等はお許しください。
この取組により、学校が変わり、そして、チームが大きく変わったことは事実である。
諦める前に、やることがある。
やることの『具体』を如何に示せるかが鍵となる。
その一例をまとめてみました。
では、このシリーズ最終章です。

”乗り(ノリ)”を考える -そのⅦ-

 先駆者に学べ。

成功された人の実績をまねる。そして、自分たちにあった運営組織を創ればいい。
この発想で”ノリ”の取り組みに入った。
 
 ”良いノリ”を創造する結論としては。
先ずは、
 ①良い指導者が居て
 ②良い環境を整備して
 ③良い育成プログラムを持ち
 ④良い選手・生徒がのびのびと
 ⑤良い結果を求めて
 ⑥良い練習・学習を続けて
 ⑦良い人間性を創造することである。    

この七つは、元強豪高校サッカー部監督の講演資料より、クラッチが勝手に纏めたことである。

①良い指導者が居て
・最初から素晴らしい理論や実践実例を持つ指導者なんていやしない。
・良い指導者とは、自分が指導しようとする媒介(クラッチならバスケ)持つことである。
・始めから玄人は居ない。誰だって、始めは素人である。良い指導者とは、この子らを何とかしようとあきらめない情熱を持った人である。

②良い環境を整備して
全てが整う環境なんてあり得ない。良い環境とは、人が創る者である。そこで活動する人がどれだけ気持ちよく頑張れるかが問題である。全て整う環境では、工夫は生まれない。物足りなさを工夫で充実した環境は創れる。バーベルを購入するお金がないと嘆く前に、手作りの物を作ればいいし、危険だと指摘されるなら、それに代わるヒューマンパワーで工夫をすることは出来る。悪い環境だからと嘆く指導者は、工夫の出来ない烙印を自ら押しているようなものである。

③良い育成プログラムを持ち
入学・入部してくる生徒を導ける理論を提示することが出来て、生徒に信頼される人間性を持つ指導者であること。技術・戦術・体力・メンタル面にわたり、個人、チームに育成プログラムを提示できる指導者であること。

④良い選手・生徒がのびのびと
・生徒・選手の能力を最大限伸ばせる環境を整備する。
・オーバーコーチングにならない環境を提案できる指導者であること。
・提案されたプログラムを自分で考えて行動・練習することが出来るテーマを与える。
・集中出来る環境や指摘を出来る指導者であること。
・生徒・選手のアドバイザーであり、提案されたテーマを改善していけるキャパの広さを持つ指導者であること。
・わかりやすい指導を心がけることが生徒・選手がのびのびと学習・練習する大きな要因になる。
・安心を与える。
・一貫性を持ち、生徒・選手の一歩前を歩くことが出来る指導者であること。
・常に、主体は生徒・選手であることを崩さない姿勢を持つこと。
・オーバートレーニングは、モチベーションを低下させる。
・クラッチの提案としては1日2時間半の練習時間を守ることである。

⑤良い結果を求めて
・自分たちが自覚できる目標を設定させる。
・指導者が与えた目標では、自覚が薄いし、責任を持とうとしない。
・もし、指導者が考えるより低いレベルのものならば、客観的に理解できるものを示すべきであるし、体験させるべきである。そして、生徒・選手が同時性をもてる目標を設定して、一丸となって努力する姿勢 を持つことである。その目標が達成させなくとも、自らの問題点を発見し、改善できる前向きな組織作り を求める。この結果が例え、1回戦まけで納得できるものならば、それでも悔やむことはない。次につながる環境を構築できる組織でありたい。

⑥良い練習・学習を続けて
・生徒・選手が納得する学習・練習なら。少々きついトレーニングでも納得して、指導者が提案する練習に飛び込んでくるだろうし、厳しさを楽しむことはできる。
・質の高い、目標が見えてくる学習・練習のエクササイズを提供するのが指導者の仕事である。生徒・選手に質の高さを要求するならば、指導者も”昔取った杵柄”イズムは一掃すべき問題である。この点は生徒・選手は敏感である。
・質の高さは、難しさでない。理解して、有効にパフォーマンスできるものを提供できるコーチ力である。さほど難しいことではない。生徒・選手の目線にたって考えれば良いことである。
 
”良いノリ”を考察してきた結論。
わかりやすい指導者の学習・練習は”良いノリ”を創造させる要因である。

⑦良い人間性を創造することである。
・コーチ上のパフォーマンスの良い悪いは、日頃の基本的な生活習慣からできあがる。
・自己管理がしっかりできることは、いいパフォーマンスを生む。
・良いモラルが”良いノリ”を創造させる。

 今回の考察結果は⑦良い人間性を創造することである。良いノリを創造させるには、日頃の生活態度を作ることにある。おぼろげながらに行き着いた未熟な指導者クラッチの結論である。今回の考察に費やした労力を無駄にはしたくない。畷北式に置き換えて、もう一考察必要である。悩んでいるときに出会った人、文章、などはクラッチの宝物である。特にK先生(サッカー部顧問)に拝読させていただいたプリント(元強豪校監督)は、暗闇に『道しるべ』を照らしてくれた貴重なナビであった。真似事から入れが先人からの教えである。遠慮なく使わせて頂きました。

果たしてこのチームが取り組んだ”良いノリ”をマネして成果が出る、実現するだろうか。

信じるか否かは、あなた次第である。
              

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【ある日のコーチング・カレンダー167】チームの乗りノリを考えるⅥ 

【ある日のコーチング・カレンダー167】チームの乗りノリを考えるⅥ
”乗り(ノリ)”を考える -そのⅥ-

 そこでクラッチは考えた。学校の中にがんばれるものをクラッチなりに創造しようと。
クラッチなりに誇れる学校を考えようと。
 では自分の出来る良い環境作りとは・・・・?を考えた。
 自分は教師であり、バスケットボールの指導者である。この2点で学校に貢献できることは何かを真剣に考えた。

 ある小さな市の中にある高校、その中のバスケ部、地域の中の高校などのスタンスで物事を考えてみた。それをことあるごとに訴えたし、”かたち”にして提案していった。その一つが学校の体育科としての取り組みであり、その町の教育委員会後援の高校杯(中学校招待試合)であり、学校見学会のクラブ体験などである。自分の意見が最も及ぶ組織”体育科”に訴えたのである。

 その学校の体育科として類型”体育型”というものを取り組んでいる。選択スポーツⅠ・Ⅱという型で(Ⅰ)はスポーツ教養学とトレーニング学、(Ⅱ)は専門種目学を実践している。この体育型の目的は、部活動バックアップとリーダーの育成である。そして、共通テーマとして『目指せ、トップアスリート』を目標にしている。現在、2年3年生で72名の選択者が居る。2学年で72名と書いたのは、(Ⅱ)の専門種目学は、男女共習でかつ2・3年合同の縦割り教育なのである。珍しい授業形態である。何故、こんな授業を開講したのか。学校の部活動活性化とリーダーの育成である。5年ほど前の運動部の部員数が学校全体で100名に満たない現状で学校の大半が下校部であった。この状態で学校が良くなるはずがないと体育科がこの状態を憂いて5年先を考えて、地道な活動をやろうと立ち上がった。試行錯誤して平成13年に承認をうけて、昨年度より体育型がスタートした。提案した張本人もどうなることかと思案と試案を繰り返して1年が終わり、開講時の大きな目標である『男女共習で縦割り教育、そして部活動の活性化』という欲張りなカリキュラムがスタートした。実に楽しい授業である。現時点では、生徒も教員も楽しめる授業として、パラダイスである。
 
 この体育型がその学校の”良いノリ”を創造できると信じている。学校教育と部活動で頑張れる学校を創造することはできると信じている。この生徒たちとの取り組みが”良いノリ”を提供することが出来る。実際に授業が楽しくて休まない。頑張れば評価してもらえる。クラス全体が運動部員であるので部活動しているのが当たり前である。運動しているので連帯感を作りやすい。
 その結果、遅刻、欠席がほとんどなく、勉強も中位以上でお互いに助け合いながら、クラス生活を謳歌している。そうすると座学の先生方からも良い評価を得られる。ある先生が、ある先生とは体育系生徒に批判的な先生までが、「先生のクラス学年でトップです。びっくりしました」と報告して頂いた。その原因は、「いつも1限目の授業なのに誰一人遅れることなく着席している」とのことである。これが”ノリ”である。
 
 クラッチは教師として、ガッツポーズである。
 
 -続く-

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【ある日のコーチング・カレンダー166】チームの乗りノリを考えるⅤ 

【ある日のコーチング・カレンダー166】チームの乗りノリを考えるⅤ
”乗り(ノリ)”を考える -そのⅤ-

 チームとしての”ノリ”の取り組み

 例えば、色々な部活動がある中でバスケットボール部だけでも良くなればいいと言う考え方では、その学校でバスケットボール部が浮き上がった存在になる。あまり良いことではない。確かにクラッチも最初は、そう言う一面を持って取り組みだしたことは事実であるが何かしっくりかないものを感じていた。それは全国を目指すという意識だけであって、学校の部活動である域からはみ出したものでなかったが、この学校で共感を得られるものではなかった。
 
バスケットボール部だけが特別扱いしてくれとか、特別な行動をとらせようなんてことを考えていたのではない。ただ、頑張っているのは自分たちだけであって、それ以外の部は頑張っていないしというものでは駄目である。学校の実情からはみ出たものなら、やはり受け入れられないだろうし、反発だけが残る。学校の大半の部活動や生徒が頑張るという意識が出来ない限り、本物にはならないだろう。だから、学校を変えるしかない。とはいってもクラッチ一人が頑張っても定着したものにはならない。自分たちだけが徹底されることは素晴らしいけど、その徹底は指導者の前だけで、「何で俺たちだけが・・・?」が残るのが実情ではないだろうか。事実、現在でも二面性を持つ部員は居る。ここがまだ”良いノリ”を創れないところである。畷北全体が頑張る姿勢を持つことが出来なくては意味がない。

 部員が日頃生活する教室でのことも考える必要がある。自分たちの所属する小さな単位のクラスや学校で市民権を持って、「俺たちの学校でバスケットボール部は誇りや」とか「バスケット部に続け」などの連帯感につながる組織でなくては駄目である。成功されている多くの指導者は、学校ぐるみ、地域ぐるみなど、所属する地域、学校の中で取り組みが実践されている。息の長い教員として頑張っておられる。そこに成功の秘訣の鍵がある。偉大なバスケット界の先輩をみれば、明らかである。真面目に取り組む姿勢の子が正しい評価を受ける組織でないと駄目である。適当な学校生活する生徒が主流で市民権があるような組織では駄目である。遅刻、茶髪、ピアス、アルバイト、不勉強などがまかり通っている学校の中で自分たちだけが頑張っている意識を持って学校生活を過ごしていては、部員も住みにくいだろう。
 
一度”悪いノリ”が学校を支配するとそのノリをくい止めるには、時には10年以上の月日と教員のかなりのエネルギーが必要になる。そして、頑張りだして3年、定着させたとして2年、少なくとも5年の頑張りが必要になる。このことを訴えたら、多くの場合は反対されるのが普通である。大概の場合は計画の時点で「この話はなかったものにしよう」でお終いである。ならば、会議とかでこつこつと話していては前には進まない。既成事実を創ってしまうことである。まずはスタートさせることである。スタートさせてしまえば、責任が伴う。やるしかないのである。
 そこで、クラッチが提案したこと。

-続く-

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【ある日のコーチング・カレンダー165】チームの乗りノリを考えるⅣ 

【ある日のコーチング・カレンダー165】チームの乗りノリを考えるⅣ
”乗り(ノリ)”を考える -そのⅣ-

 若者の”ノリ”はエネルギーである。

 ”悪ノリ”を考えよう始めた考察ではない。若者が持つエネルギーを発揮できるにはどうすればいいのかがテーマである。エネルギーの方向性さえ間違えなければ、きっと”良いノリ”は創造することは出来る。若者のエネルギー発散ではなく、発揮のメカニズムはあるはずである。クラッチはバスケットボールの指導者であるまえに教師である。このことを抜きに指導は考えられない。

 このテーマに取り組むきっかけは、勤務先の体育科K先生との朝のミーティングからである。K先生がとある有名高校サッカー部N監督の講演の話からである。夢を追いかけて20年、常に悩み続けた”勝つこと”と”育てること”の狭間に立ち、選手の反発との戦いの中で得た日本一という話から”若者”というテーマが浮かんできた。単なる技術指導だけでは済まない域が高校スポーツ界やヤングゼネレーションの指導者に要求される時代が来ている。非常に高い質を問われる時代に突入している。若き指導者が若者を指導する。兄貴的な存在が選手を引っ張って行く魅力は当然必要である。ところが若き指導者の導入がままならぬ時代で高年齢化した指導者が長く続き、指導者側が変わりようのない慢性化した時代である。今、間違えれば、スポーツ界に本当に冬の時代がやってくる。

 ここであきらめては、若者のエネルギーを受け止めることができない。我々指導者が若者に近づき、かつ、スポーツの持つ魅力や厳しさを伝えることが急務である。すでに実践しておられる指導者がこの文章をお読みになれば、「遅れているぞ、クラッチ先生」と言われかねない。けど指導者クラッチは、指導者としての質の向上を求めて自分なりに、バスケットボール競技の楽しさを再考し動き始めた。

技術・体力・精神力・戦術といったコーチングの必要条件は監督としてのクラッチとしては、自分自身の中では、ある程度できあがっている。30年の月日はだてに過ごしていないと自信めいたものはある。だから、クラッチの育てるチームのテーマは『人を育てる』である。このことは何年取り組んでも突き当たるテーマである。人が人を指導する難しさの克服は語れば尽きない永遠のテーマなのか。それが”若者のノリ”を考えてみようとするきっかけとなった。結論はでないかも知れない。けど、若者のエネルギーをどのように受け止め、競技する楽しさに夢中にさせるかというものが自分なりに見え隠れし始めている。

 ある年のインターハイ2次予選敗退で全国の道はなくなった。チームなりに頑張ったが選手、監督が再びチャレンジするエネルギーを持つには、少し落ち込みがきつかった。会場を去りがたい心境であった。そんなときに我がバスケットボールの恩師”Y先生”のベンチワークである。退職され、新たに嘱託という立場で孫のような年代の子供たちと”勝たせたい思い”を必死で表現なさっておられる姿に、天の声が聞こえてきた「クラッチ何しているねん、指導の原点は選手に近づくことやで」である。Y先生は選手と一緒にハドルを組み、ベンチに座ることなく、選手を励まし続けておられた。子供たちと一緒にガッツポーズ、そして、時には罵倒する。なりふり構わず、勝たしてやりたい一念がベスト16進出ということを勝ち取られた。勝った瞬間に子供たちと抱き合っておられる姿に「まいった」いう言葉を発していた自分を思い出す。この原点を忘れる事なかれである。

 この姿勢を観て、会場を出るときには、既に頭は次の1ヶ月のテーマは決まっていた。

 その結果が順位戦から近畿大会に結びついた。けど、若者の”ノリ”をこの大会の最後まで真につかむことは出来ていないような気がする。チームの持つ能力を最大限伸ばしていない指導者クラッチに自分自身出くわすのである。

-続く-」 

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